2013/09/13

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(5):1887.03.06 (IV)

(4のつづき)


このテーマを扱い始めてから、もう5つめの記事になるのにまだ初日ぶんから一歩も進んでいない…いったい、いつまで初日ぶんの読み解きを続けるのだろう…?
と思われる読者もあろうかと思いますが、「できるまでやる」というのが答えになります。

もちろん、隅から隅まで余さず理解し尽くすというのは土台無理な話であり、加えて体系的な理解を目指すのなら尚更、「かたっぱしから」進める、というのは方向性として間違っています。(なぜ間違っているのかわからない人は、たとえば、白いキャンバスに髪の先から書きはじめて全体をうまく捉えたデッサンができるかどうか、を考えてみられるとなんとなくイメージできるでしょう)

ただそれでも、やはり一定の理解に達しているのでなければ、焦って先に進むべきではありません。わたしが今回基準にしているのは、繰り返し述べているように、「自分はまだこんなにわからないところがあるのか…!」と、それぞれの学生さんにそれぞれのアタマで、はっきりと、自分のわかっていなさ加減をしっかりとわかってもらう、という段階です。もちろんこの段階というのは、「わからない、わからない」をかたちの上でだけ連呼することでは決してありません。

一般的に言って「わからない」と言いうるのは、「ここまではわかったが、この先に進もうとしても独力では到底無理である」というふうに、わかったところとまだわからないところとの線引きが、その線引きこそ(!)が、はっきりとした認識として浮上してきた場合だけです。このこともやはり、弁証法的な事実なのであって、わかるということとわからないということを統一して考えてゆかねば、わかるということの構造は決して把握しえないということができます。

しかしともかく、その段階にまで達していないのであれば、どうしても、何度も何度もあらゆる角度から問いかけをして考えていってもらう必要があるのです。辛抱して、ついてきてもらいたいと思います。

さて今回取り上げるレポートは、その点を満たしているでしょうか。

レポートの前に、今一度、参考書の、初日ぶんの内容をふまえておきましょう。前に引用した時は前半部だけでしたが、今回は後半部についても引いておきました。
(引用部として指定するとBloggerのシステムの都合上レイアウトが崩れてしまい、編集作業に時間を取られてしまうので、長文の引用については、今回の記事から色変えのみになっています)


◆『ヘレンケラーはどう教育されたか』本文◆

1887年 3月6日

 ……私がタスカンビアに着いたのは、(引用者註:3月3日の)六時半でした。ケラー夫人と兄さんのジェイムズ君が私を待っていてくださいました。おふたりの話では、この二日間列車の到着するたびに、誰かが迎えに出ていたとのことでした。駅から家までの一マイルばかりのドライブはとてもすばらしくて、気分の安らぐものでした。ケラー夫人が私より余り年上でないくらいお若く見えるのにおどろきました。ご主人のケラー大尉は私を中庭で出迎えて下さり、元気よく歓迎して心をこめた握手をしてくださいました。私は「ヘレンさんはどこですか?」と、まっさきにたずねました。私は熱い期待のために歩けないほどからだがふるえるのを一生懸命おさえようとしました。家に近づいたとき、戸口のところに子供が立っているのに気がつきました。ケラー大尉は、「あれです。あの子は、われわれが誰かを一日中待っていることをずっと前から知っていました。そして母親が駅へあなたを迎えに行ってからというものずっと手におえないくらい興奮していました」と話してくださいました。

 私が階段に足をかけるかかけないうちに、ヘレンは私の方へ突進してきました。もしケラー大尉がうしろで支えてくださらなかったら、突き倒されてしまったほどの力でした。

 彼女は、私の顔や服やバッグにさわり、私の手からバッグをとりあげてあけようとしました。バッグは簡単に開かなかったので、かぎ穴があるかどうか見つけようと注意深く探ってみました。かぎ穴を見つけると私をふり返り、かぎをまわすまねをして、バッグを指さしました。すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました。ヘレンの顔は、ぽっと赤くなり、お母さんがバッグをとりあげようとすると、ひどく腹を立てました。私は腕時計を見せて、彼女の注意を引くようにし、ヘレンの手に時計をもたせてやりました。するとたちまち騒ぎは静まり、私たちはいっしょに二階にあがりました。

 そこで私がバッグを開くと、彼女は熱心にバッグを調べました。たぶん何か食べものが入っていると思ったのでしょう。おそらく友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがあるので、私のバッグのなかにも何か見つけようとしたのでしょう。私は、大広間のトランクと私自身を指さし、頭をうなずかせて、私がトランクを持っていることを理解させました。それから、いつも彼女が食べるときにする身振りをしてみせ、もういちどうなずきました。彼女はすぐにそれを理解して、力強い身振りで、トランクのなかにおみやげのキャンディがあることをお母さんに教えるため、階下にかけおりました。数分でもどってくると、私の持ち物を片付けるのを手伝ってくれました。彼女が気取って私の帽子を斜めにかぶり、それからまるで眼が見えるかのように鏡の中をのぞくのは、とても喜劇的でした。

 これまで私はなんとなく青白くて神経質な子どもを想像していました。たぶんローラ・ブリッジマンがパーキンス盲学校に来たときのことをハウ博士が書いておられたものを読んで、そう考えたのでしょう。しかし、ヘレンには、青白くてひ弱なところは少しもありませんでした。大きくて丈夫そうで血色もよく、子馬のようにたえず動いて、じっとしていることはありません。彼女は目の不自由な子どもたちによく見かけるような、みじめで神経質な気性をもち合わせていません。彼女は体格が良く、活気にあふれています。ケラー夫人のお話しだと、聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがないということです。彼女の頭は大きくて、肩の上にまっすぐにのっています。顔は描写するのが困難です。顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一日で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の目は他方より大きく、めだってとび出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのはほんの一度か二度です。また、反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムズの外は誰も彼女をおさえようとしませんでした。

 彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆる物にさわりますが、長い間彼女の興味をひきつけておくものは何もありません。かわいい子どもです。彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りしています。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は何んでもこわしてしまいます。

 私のトランクが届くと、彼女はあけるのを手伝ってくれました。そして、パーキンス盲学校の少女たちが彼女に送った人形を見つけて喜びました。このとき、私は今が彼女に最初のことばを教える良い機会だと思いました。そこで、彼女の手に、ゆっくりと指文字で、d-o-l-lと綴りました。そして人形を指さし、うなずきました。うなずくことはあげるという合図なのです。彼女は誰かに何かをもらうときはいつも、その物を指さし、つぎに自分自身を指さし、うなずくのです。彼女は戸惑ったように、私の手にさわりました。私はまた、指文字をくり返して綴りました。彼女は、かなり上手に文字をまねて綴り、人形を指さしました。そこで私は人形を手にとりましたが、彼女が文字をうまく綴ったら人形をあげるつもりでした。ところがヘレンは人形をとりあげられてしまうと思ったのです。たちまち怒り出して、人形をつかもうとしました。私は頭を振り、彼女の指で文字を綴ろうとしましたが、彼女はますます怒ってしまいました。私はヘレンを力づくで椅子に座らせ、おさえつけましたので、くたくたになるほどでした。こういう争いを続けることは無駄だと気づき、彼女の気をそらすようにしなければなりませんでした。そこでヘレンを放してやったのです。でも、人形はわたしません。私は階下に行って、ケーキをもってきました(彼女はお菓子がとても好きなのです)。私はケーキをヘレンの方にさしだしながら、手にc-a-k-eと綴りました。もちろんケーキがほしかったので、彼女は取ろうとしました。けれども、私はまたこの単語を綴って、彼女の手を軽くたたきました。彼女はすぐに文字を綴ったので、ケーキを与えました。ケーキを取りあげられてしまうかもしれないと思っているらしく、大急ぎで食べてしまいました。それから、私は彼女に人形をさし出して、もう一度単語を綴りました。ケーキのときと同じように人形をさしだしたのです。彼女はd-o-lと文字を綴ったので、私がもう一つlを綴ってから、人形を与えました。ヘレンは人形をもって階下にかけ降りると、その日は一日中、どんなに誘われても私の部屋にもどってきませんでした。

 昨日(引用者註:3月5日)は、ヘレンに裁縫練習用カードを与えました。私が縦の第一番目の列をぬって彼女にそれをさわらせ、小さな穴の列がそのほかにもあることに気づかせました。彼女は喜んで仕事をはじめ、数分でやりおえましたが、とても手際よくできました。私は他の単語をためしてみようと思って、c-a-r-dと綴りました。彼女はc-aと綴ると手をとめて考えていました。そして食べる身振りをすると、ドアの方へ私を押しつけ、下の方を指したのですが、それは私がケーキをとりに階下に行くはずだという意味でした。あなたは、c-aという二つの文字が、金曜日の「授業」を彼女に思い出させたとお考えでしょう。でも彼女はケーキが物の名前であるということは全然わかりませんから、それは単なる連想だと私は思います。私はc-a-k-eという単語を綴り終わると、彼女の命令に従いました。ヘレンは喜びました。

 それから私はd-o-l-lと綴ると、人形を探しはじめました。彼女はあらゆる動作を手で追いかけ、私が人形を探していることがわかりました。私は下を指しましたが、それは人形が階下にあることを意味していました。私は、ケーキを持ってきてほしいとき彼女がするのと同じ身振りをして、彼女をドアの方へ押しやりました。ドアの方へ歩きかけて一瞬とまどったようですが、それは行こうか行くまいかどちらにしようかと考えたようです。そして彼女はかわりに私を下に行かせることに決めたのです。私は頭を振って、より強くd-o-l-lと綴ってドアを開けました。でも彼女は頑固に従おうとはしません。まだケーキを食べ終わっていなかったのです。そこで、私はケーキをとりあげると、人形をもってくるならケーキを返してあげるということを身振りで示しました。彼女は顔を真赤にすると、長い間じっと動かずに立っていました。ケーキがほしいという欲求が勝つと、階下にかけおり、人形をもってきました。もちろん、私はケーキを返してやりました。けれども、いくら説得しても、彼女は再び部屋に入ろうとはしませんでした。

 今朝(引用者註:3月6日)、私が手紙を書きはじめたとき、ヘレンはとても手におえませんでした。ずっと私のうしろにいて、紙の上やインク壺のなかに手をつっこみました。この便箋のしみは彼女のしわざです。最後に、私は幼稚園で使うビーズを思い出し、彼女にビーズを糸に通す仕事をさせました。最初に木のビーズを二個とガラスのビーズを一個おき、それから糸と二つのビーズの箱にさわらせました。彼女はうなずくと、すぐに糸いっぱいに木のビーズを通しはじめました。私は頭をふって、ビーズをすべてはずし、二個の木のビーズと一個のガラスのビーズをさわらせました。彼女はそれをじっくりと調べ、再び糸を通しはじめました。今回は、はじめにガラスのビーズを、つぎに二個の木のビーズをおきました。私はビーズをはずすと、最初に木のビーズ二個を通し、つぎにガラスのビーズを通すことを教えました。彼女は、そのあとではたやすくやりました。はやく、事実はやすぎるくらいに、糸にビーズをいっぱい通しました。糸に通し終わると両端を結び、首のまわりにビーズをかけました。私はつぎの糸には、十分大きな結び目を作らなかったので、彼女がビーズを通すとすぐぬけてしまいました。でも、彼女は糸にビーズを通してそれを結んで、自分の力で困難を解決しました。非常に賢い子だなと私は思いました。夕方までビーズで遊び、ときどき確かめてもらいに私のところへ糸をもってきました。

 私の眼はひどい炎症をおこしています。この手紙はとても乱暴に書かれたと思います。お話したいことがたくさんありすぎて、それらをどうやってうまく言い表したら良いか考えている暇がありませんでした。他の方には私の手紙をお見せにならないでください。でも、もしお望みなら、私の友だちには手紙を読み聞かせ下さっても結構です。



そして以下がレポートの内容です。


◆Oくんのレポート◆

 本書はヘレン・ケラーの幼少期の教育を担当したアン・サリバンがヘレンの教育に関してつづった手紙をまとめた物である。アン・サリバンは幼少期に目の病気を患い全盲に近い状態となった後に回復し、1887年に半年の準備期間を経てヘレンの教育に携わる事になる。おそらく自身が視力を一度大きく欠いてしまった事がヘレンの教育者として選出された一因ではないだろうか。また前述の準備期間中にサリバンはハウ博士による盲聾者であるローラ・ブリッジマンの教育に関する報告書による学習を行っている。

 サリバンはこの手紙を書く三日前の3月3日にヘレンと初対面をした。家の玄関に到着したサリバンに向かってヘレンは突進していき、サリバンのカバンをひったくろうとした。この際にヘレンの母親はヘレンに対してバッグに触ってはいけないという合図を行った後にヘレンからバッグを取り上げようとしている。一方のサリバンは腕時計を用いてヘレンの注意を引くことで事態を収拾した。この時に母親もサリバンもヘレンと厄介事を起こしたくないという気持ちは双方持ち合わせていたはずである(※1)。しかしながらヘレンに対する態度は全く違う物であった。仮に自分が同じ場面に居合わせたとしてもヘレンを無理やり押さえつけて服従させるか、「子供には子供の思う所があるのだろう」と看過していたはずである。ところがサリバンは力づくでヘレンを抑える事もヘレンを野放しにすることもなく、ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た。サリバンはこの時点で子供に対しての内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来るという考えをヘレンに対して持っていたのではないだろうか。
 この時点でサリバンはヘレンについて、想像していた青白い顔をして神経質な人間ではなく、活気にあふれた知的な顔をした人間であると評している一方で、めったに笑わず、母親以外の人に愛撫されるのを嫌がり、すぐに怒り出す短気さがあると記述している。(何故活気にあふれていながら感情の表現である笑顔がないのかは自分にはわからない。快感に対する反応である笑顔と不快感に対する反応である怒り、ここでは「暴れる」と言った行為の、出現の差の理由は何だろうか?)その直後にどの様に彼女を訓練し、制御するかが課題であるとして、ヘレンからの愛情を勝ち取ること、そして力だけでの征服は行わないものの、最初からある程度の従順さは要求するとの考えを記しており、この時点でサリバンはヘレンという人間がもつ衝動は、ただ発散する事を看過したり、抑えつける事では人間として必要な教育は出来ず、発散する仕方を整えてやらなければ人間として生きて行くために必要な方向へ発散させる事は出来ないと考えたのではないだろうか?

 続いてサリバンの日記は人形と言う言葉を人形と指で書いた文字を用いてヘレンに教えようとする場面に移る。この際にヘレンが自分の興味の対象であった人形をサリバンに取られるかもしれないという思い違いから激しく怒りだしてしまった。この時にサリバンは一度はなだめるために頭を振り、ヘレンの指で文字を綴ろうとしたが、ヘレンはますます激しく怒りだしてしまった。(このときヘレンが激しく怒りだした理由は母親以外の愛撫を受け付けない事とも関係するのだろうか?)結局この時は別の物で気を引くという考えに至り、お菓子が好きなヘレンにケーキを持ってくることで事態を収めた。(この時の発想も最初の腕時計に近い発想ではないだろうか?)
 その次にサリバンがヘレンに対して人形とケーキを用いて教育を行った一部始終が記述されている。この場面ではヘレンがcardの綴りとcakeの綴りを勘違いする一幕とケーキを用いてヘレンに対する服従を要求する場面が記されている。サリバンがヘレンにcard
という言葉を教えようとした時caという文字の形の記憶からケーキを連想し、サリバンにケーキを催促するのが前者の話である。サリバンはこの時に「連想だと思います」と記述している。この時のヘレンの頭の中は犬が餌を与えられる前に合図を受ける事によって次からその合図を受ける事によって餌の受け入れ態勢を整える犬と同様だったのではなかろうか?
 最後にサリバンが手紙を書いている際にヘレンが落ち着きなく過ごすために、ビーズを用いた仕事をヘレンにさせた事を記している。(この時にヘレンは一度自分が入れたビーズの入れ方が違うという事でサリバンにやり直しを命じられている。この事はヘレンにとって不快ではなかったのか?それともすでにヘレンの中にサリバン、他者に対する服従の心が芽生えつつあったのだろうか?)

 これらを見るにサリバンにとって最初の三日間はヘレンの衝動を人間として正しく発散させる事をその興味を別の物に移すという回り道をしながら教えるとい第一歩だったのだろうか?



このレポートには、かなりの数の「わからない」が含まれています。通常の大学の授業であれば、こんなものがレポートと呼べるか!と叱られるかもしれませんが、実のところ、本質的にはこれでよいのです。他の人間が「へぇ、そんなものか」と、なんとなく像を結んでおしまいになっているところを、「あれ、よく考えたらわからないぞ…?どこがわからないかと聞かれるとそれもわからないのだが、違和感みたいなものがここにあるな」とだけでも「わかって」いられるかどうかは、後々に大きく響いてくる大事な気付きなのです。だからこそ、鈍才のほうが最終的には伸びるのです。「ここがわからない!」と明確なわからなさでなくとも、「あれっ?」という違和感がある場合には、忘れないうちにしっかりとその箇所をマークしておくことです。
(わたしは学生さんに、本のなかで大事な箇所は赤で、わからない箇所は青で線を引いた上で、前者と後者についてそれぞれ上と下に折り目をつけておくことを薦めています。こうしておくと、背表紙を確認したとき、下側が折れたままになっている本は、まだ読み残した部分があるということが一目でわかります。)

さて今回は、読み進めるうちに解けてくる問いかけもありますから、まずは基本的な探究姿勢が不足している箇所を見ておきましょう。論者は、こう書いています。
 サリバンはこの手紙を書く三日前の3月3日にヘレンと初対面をした。家の玄関に到着したサリバンに向かってヘレンは突進していき、サリバンのカバンをひったくろうとした。この際にヘレンの母親はヘレンに対してバッグに触ってはいけないという合図を行った後にヘレンからバッグを取り上げようとしている。一方のサリバンは腕時計を用いてヘレンの注意を引くことで事態を収拾した。この時に母親もサリバンもヘレンと厄介事を起こしたくないという気持ちは双方持ち合わせていたはずである(※1)。しかしながらヘレンに対する態度は全く違う物であった。仮に自分が同じ場面に居合わせたとしてもヘレンを無理やり押さえつけて服従させるか、「子供には子供の思う所があるのだろう」と看過していたはずである。ところがサリバンは力づくでヘレンを抑える事もヘレンを野放しにすることもなく、ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た。サリバンはこの時点で子供に対しての内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来るという考えをヘレンに対して持っていたのではないだろうか。
ここでOくんは、サリバンが、ヘレンが彼女のバッグをとりあげようとしたことにたいして、腕時計を見せることで注意を引き騒ぎを静めた、という箇所についての考察を進めたわけですね。

たしかに、ここに書かれていることは、事実としては誤りではありません。そして、前回までの記事を受けて、「内発的な衝動というものは、ただ悪いものであるというわけではなく、それが正しく発揮されればむしろ大きな意義のあることである」と、ものごとをその両面から、つまり弁証法的につかもうとしているところまでは良いのです。

ただ、その事実の根底にある構造についての理解として見るならば、この理解は表面的・平面的な理解である、と言わなければならないのです。構造を見ようとしてはいるけれども、その見え方が単純である、ということなのです。

弁証法は、世界を常に変化し続けるものとしてとらえ、その運動法則を扱うものでした。つまりこれは、世界を静止したものとして見るのでなしに、過去から変化し続けたことで現在が存在するのであり、それはまた今もなお変化し続けているのだ、と、あらゆるものを変化の過程として見なければならないということです。それだけに、弁証法が扱う構造は、静止した構造ではなく、変化する対象の<過程的な構造>、<立体的な構造>でなければいけない、ということが言えるのです。



ここで論者は、サリバンがその認識において、「(ヘレンの)内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来る」と把握していたから、「ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た」のだ、としています。

しかし、ヘレンの内面で動き、その行動を規定している<内発的な衝動>(サリバンは他に<自発的な衝動>などと表現している)というものは、指導をはじめてから数年後、日々の指導の末にようやくまとめられた概念であることに注意を払わねばなりません。サリバンの指導の過程を追おうとするときには、のちに整理された概念をそのままに受け止めるのでなしに、その時点、その条件の下、サリバンが実践の積み重ねの中からつかみとってきた論理を、しだいしだいに体系化してゆく過程をこそ、自らの脳裏に繰り返してみなければならないのです。

たとえば以下の箇所など、読者のみなさんは深く感じ入るところがあったでしょうか?
そういうわけで、私たちはある一つの課題のために学習し、計画し、準備をしても、いざことをはこぶ段になると、あれほどの骨折りと誇りをもって追求した方法が、その場合にはふさわしくないことに気がつくことがあります。そこで、そうなると、私たちは心のなかにある何か、つまり知識や行動のためにもって生まれた能力を頼りにするほかはありません。その能力は、それが大いに必要となるまで、自分たちが持ち合わせていることに気づかなかったものです。(1887.03.11)
ここでこれからあることを申し上げたいのですが、あなたのお耳にだけ入れておいていただきたいのです。私の夢が必ず成就するだろうと私の内部でささやくものがあるのです。とてもありそうもない、馬鹿気た話だとは思いますが、ヘレンの教育がもしかしたらハウ博士の業績をしのぐことになるかもしれないと私は考えているのです。ヘレンは非常にすぐれた才能をもっていますし、私はその才能を発展させ訓練してやることができるだろうと信じております。どうしてそう考えるか私には言えません。ほんのしばらく前までは、私はどうやってこの仕事に手をつけたらいいか何の案もありませんでした。まるで暗闇の中にいるような気持ちでした。けれど、どういうわけか今ではそれがわかったような気がします。わかったということがわかったのです。それを説明することはできません。でも困難が生じても、途方に暮れたり懐疑的になったりすることはないでしょう。その困難にどう立ち向かったらよいのかわかっています。私はヘレンの独特の要求を見抜くことができます。それは何とすてきなことでしょう。(1887.06.02)

これらは、無我夢中の実践の中でも何か手がかりになるものがあるはずだ、という一念で、何度も何度もめげそうになる自分に活を入れながらひとつの道を歩み続け、その手探りの実践の中でしだいしだいに論理を引き出してきた人間の生きた実感がにじみ出ているとは思われませんか。このような実感を、その決意や喜びとともに、読者も筆者の立場に立って感じられているでしょうか。

もしそれができているのであれば、サリバンがまったくの手探りのまま日々目の前にうずたかく積まれ、また日々積み重ねられてゆく問題になんとか対処してゆくなかで、少しずつ少しずつ論理を引き出してきたのだということもわかるはずです。わたしたちが先人から何かを学ぶときには、当然にその残したものを読んでゆくわけですが、誰かが整理して「しまった」、整理し「終えてしまった」ものを、それが引き出されてきた努力を無視してかたちだけ受け止めてしまうような姿勢ではいけません。




さてやや話が逸れましたが、過程をしっかり見るということを、今回の文章に即して具体的に言えば、「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」という事実を、もっと具体的なところまで下りて、あたかもその場にいるかのように想像しながら、その過程、過程がどういう積み重なり方をしていたのかをしっかりと見てゆかなければいけないということになりますね。

繰り返しになりますが、今回取り上げた論者を含めて、ふだんから考えることが好きで得意な人ほど、「考える」ということを、いきなり「抽象化された概念を組み合わせたり足したり引いたりする」ことと直結させてはいけない、ということを常に肝に銘じておいてほしいと思います。このことを正しく表現するのならば、それは考える、ということでなしに、誰かが考えた結果の、いわば残骸を、かき集めてくっつけてそれなりのかたちにする、ということなのです。これでは、実践においても発揮しうる力を養うことはできません。

ほんとうの意味で考えるということは、誰かの出した結果だけを見るのでなく、その探究過程において、その者がどんな夢を抱きどんな困難に負けずに歩み続けたのかということを、自分の一身に繰り返してみることも含めてのことなのだ、と言っておきたいと思います。

さてその基本線に従って、サリバンの業績を追ってみてゆくことにしましょう。
まずサリバンの卓抜な認識力は、<相互浸透>のかたちにおいてこそ明確なかたちで浮かび上がってきます。一般的に言って、何らかの利点や優位性を調べる時には、それを<相互浸透>の関係に置いてみることが大事です。たとえば、親のありがたみを知るには親から離れて暮らしてみることが大事なのですし、生物にとって月がいかなる影響を与えたのかをしらべる時には、月がなければどうなっていたかと考えることが大事なのですし、自国の特徴を明確にするためには他国のあり方と比べてみることが大事になってくるのです。今回の場合で言えば、それは、サリバンとヘレンの母親の比較によってであるということが言えるでしょう。



まず「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」ことにたいして、ヘレンの母親はそれを遮り、「ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図」しましたね。

ここまでは、表面的な事実であり、また構造の面から言えば、ヘレンの母親の<表現>であるのです。ところで人間の表現は、必ずなんらかの認識に基づいていなければなりませんから、ここで大事なのは、ヘレンの母親の<表現>が、どういう<認識>に基いて表れてきたものであるのか、を考えてみることです。

そうすると、ヘレンの母親は、こんなふうにヘレンの内面を捉え返していたことがわかるはずです。
「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」(ヘレンの表現)

「サリバン先生のバッグをとりあげようとしている…ということは、この子はきっと『サリバン先生のバッグか、その中身がほしい』と思っているのね」(母親の認識)

「ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図する」(母親の表現)
母親は、ヘレンの表現だけを見ていたわけではありません。彼女の認識のあり方を、「…ということは、」というかたちで自分なりに捉え返した上で、ヘレンの認識を『』内のように考えたわけです。ここでは、ひとりの人間が他者の表現を見る際には、それがなぜ行われたのかを、その源泉たる認識に立ち返ってわが身に捉え返している、という構造があることをわかってください。



次に同じように、「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」という同じ場面を、サリバンはどう見たのか、を考えてみましょう。それはこんなふうになるのではないでしょうか。

「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」(ヘレンの表現)

「私のバッグをとりあげようとしている…ということは、この子は『私のバッグか、その中身がほしい』と思っているのかしら…それとも…」(サリバンの認識a)

「(母親がバッグをとりあげようとしてヘレンはさらに腹を立てたのを見て、)それとも、ヘレンの欲求はもっと基本的なところにあって、たとえば『ただ好奇心を満たしたいだけ』なのかもしれない」(サリバンの認識b)

「ヘレンの手に腕時計をもたせてやる」(サリバンの表現)
サリバンの場合も、さきほど見た母親と同じように、ヘレンの認識を我が身のように捉え返している、そのおおまかな構造については同じです。しかし、母親の失敗にも助けられ、その中身が違ってきていることに着目してください。

ヘレンの「サリバンのバッグをとりあげようとした」という行動を見た時にも、母親は、「バッグを欲しがる→バッグかそれに関係するものが欲しいのだろう」と、ほぼ直接的なかたちでヘレンの認識を捉え返したのにたいし、サリバンは、「バッグを欲しがる→もっと根源的な欲求があるのかもしれない」と読み取ったのです。

ここで、ヘレンがサリバンのバッグを捕まえて離そうとしないという表現を見たサリバンが、その表現のあり方に引きずられることなく、「この子はバッグやその中身が欲しいのだ」と短絡しなかった、そのことがまずは大事なのです。

そして次に、ヘレンの欲求が実のところどういうものであるかをより深く検討してみたうえで、それは具体的な個物であるというよりも、抽象的でもやもやとしてはいるが心の底から沸き上がるような、「なにか楽しいことをしたい」、「なにか面白いことをしたい」といったたぐいのものであることを突き止めたのです。

こうしてたどってみて初めて、サリバンが後の報告書で<内発的な衝動>・<自発的な衝動>と呼ぶことになる、ヘレンがその認識の中に持つ欲求のあり方が引き出されつつある過程が自分のものになってゆくきっかけとなるのです。


より深く学習してゆく場合には、以前わたしが書いた記事文学考察: 風ばかー豊島与志雄や、三浦つとむ『認識と言語の理論 Ⅰ』、薄井坦子『科学的看護論 第3版』を参考にすると、人と人とのやりとりのうちに、互いの表現から互いの認識を逆向きに読み取るという二重構造が存在することがわかってくると思います。

現時点で「わからない」箇所にしっかりとマークをした上で、次の手紙の内容に進んでゆきましょう。


(6につづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿