2012/05/30

文学考察: 不可説ーアンリ・ド・レニエエ(森鴎外訳)

5月も終わろうという時期ですが、



今年はまだ涼しいですね。
なんだか春を飛ばして梅雨になってしまいそうな気がします。

わたしは雨の中を走っているうちにそうするのが好きになってきたので、梅雨入りしても世間の人たちが抱いているような嫌な印象はありません。
それを言うと暑いのも寒いのも好きなのですが、冬なら冬で、どだい、袖をまくって身体のどこかを冷たい風に当てておかなくては、暖かいということも本当には理解できないでしょう。

外が寒いから家の中が暖かいということがわかるのであって、どちらかだけを取ろうとすれば、好んでいたはずのものもそこそこしか理解できなくなってしまいます。

こんなことを言うとどうも他人行儀のようですが、今回扱った作品は、その他人行儀の話です。


◆文学作品◆
アンリ・ド・レニエエ Henri de Regnier 森林太郎訳 不可説 UNERKLARLICHT!

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 不可説ーアンリ・ド・レニエエ(森鴎外訳)
 ある時、「僕」はあることをきっかけに、自殺する決意をしたためた手紙を「愛する友」に送ります。そのあることとは、どうやら夫を持つある女性との交際が関係している様子。ところが、彼はそれについて悲観的な感情を一切抱いてはいません。加えて、その女性との関係は、単なるきっかけに過ぎないというのです。では、一体彼は何故自殺を心に決めていったのでしょうか。 
 この作品では、〈理想を追い求めるあまり、かえって死というものに希望を抱かなければならなかった、ある男〉が描かれています。 
 上記にもあるように、「僕」は夫をもつある女性に対して好意を抱いてしまいます。ですが、彼女の方は夫がいることを理由に彼の申し出を断り、代わりに「友達」でいようと提案しました。どうしても諦めきれない彼は、心のなかで彼女との将来像を描いていきます。ところがそうして描いた将来像でも、彼は彼女と一緒にいる場面が想像できない様子。そこで、彼はこうした自身の恋愛を含めた自分の理想により近づく手段として、自殺を選んだのです。何故なら、死後の世界では他人は関係なく、自分の思い通りの未来を描けるのですから。


◆わたしのコメント◆

結論から言えば、論者の作品理解は誤りです。

とは言え、この作品が書かれた時代がちょうど100年も前であること、訳出されたものであること、表現のみならず扱っている心情が複雑であることなどが、その理解の妨げになっていることもわからないではありません。

一般の読者のみなさんも作品を一読されてみればその理解しにくさを納得できることと思いますが、その難しさをもたらしている要因がどこにあるのかを、まずは明らかにしておきましょう。

「僕」が友人に宛てた遺書のかたちで書かれたこの作品は、僕が死を選ぶことになった理由が書かれています。
しかしその決定的な理由は?という目的意識で作品を読むと、論者のような誤りに陥ってしまうのです。

論者は、「僕が一人の夫人に恋してしまったものの、友達でいようと言われたことがきっかけに自殺につながったのだ」としていますが、まったくの誤りです。
作品が難解だからといって、自分の理解できる範囲の恋愛感情を作品に押し付けて解釈してしまってよい理由にはなりません。
次の箇所をしっかり読んでいれば、その誤りは十分に防げたはずです。もう一度読んでください。

僕は、世間一般の自殺者が抱いているような「恋愛、心痛、厭世、怯懦(けふだ)、自惚(うぬぼれ)、公憤」や「恐怖や絶望」などの理由によって死ぬのではない、とことわったうえで、以下のことばを続けます。
僕には失恋の恨は無い。啻(ただ)に恨が無いばかりではない。目下頗る心を怡(たのし)ましむるに足る情人を我所有としてゐる。
自分は夫人に失恋の念を抱いているというようなことはないし、ましてや恨みもしない。むしろ心を怡ましむるほどである、と言っているではありませんか。

本文を読み進めていっても、このようにあります。
実際ジユリエツトがいつか僕の情人になつてくれるだらうと云ふ想像は、僕には嬉しかつた。
ですから、僕が失恋のために死に至ったのだ、という線はまったく無かったものと理解するのが自然です。

◆◆◆

しかし、自殺に至った原因について失恋の可能性を棄てる段になっても、ではなぜ僕は自殺をせねばならなかったのか?は、依然として疑問符がついたままでしょう。

遺書を宛てた「愛する友」が、やはりそのことを訝しく思ったとしても無理のないことだと考えた僕は、友の気持ちを代弁するように語りかけています。
(他人の気持ちを汲み取って、あらかじめ誤解のないように説明書きを用意しているところから、「僕」が狂人ではないことが窺い知れる、という構成になっています)
一体妙な事ではないかねえ。僕が酒にも酔つてゐず、気も狂つてゐない所を見ると、一層妙ぢやないか。勿論僕は此自殺によつて、何の自ら利する所もないが、それでも僕は此遂行を十分合理で自然だと認めてゐると云ふことを明言することが出来る。僕は此外に行くべき途を有せない。僕のためには此死が恰も呼吸の如き、避くべからざる行為である。尋常で必然な行為である。詰まり僕の今日(こんにち)までの生活は此点に到達しようとする、秘密な序幕である。僕はかうしなくてはならないやうに前から極められてゐるのだ。
自らが泥酔しているわけでも、気が狂ったわけでもない僕の主張を見ると、彼は自分自身の自殺について、これ以外の方法がないというほどに合理的で、必然性を持ったものであり、いわばこれまでの人生というのは、今日この日のための秘密な序幕であったのだ、と言っているのです。

ここで注意しておかねばならないのは、彼の発想からは病的な妄想、気の迷いや極端な決め付け、現実からの逃避が見られる、などと言ったからといって、作品を理解するための何らの前進もないのだ、ということです。

論者の場合はそこまでのひどさはありませんが、僕の自殺の原因を、これほど本人が否定している失恋だと見做し続けるというあたり、いわば彼を失恋病者だと言って安心しきり、作品を読み進めてもその決めつけを一向に解消しない、という誤り方の第一歩を踏み出しているようにも感じられてしまいます。

ひとつの作品を理解するときも、ひとりの人間を理解するときも、「この人は病気だ」と判断してなんらかの病名を付与するというのは、その理解の第一歩ではあっても本質的な理解ではないどころか、むしろそれとはまったく逆向きの考え方なのであるということをまずは理解してください。

わたしたちがやらねばならないのは、解釈の押し付けなどではなくて、過程における構造の理解です。そのためには、まず事実から逃げずにしっかりとそれを見据えねばなりません。

◆◆◆

※学習の進んだ読者の方へ:存在するものには何らかの必然性がある


自分が向きあった現象が、いかに理論の埒外にあるように見えたり、また自分の嗜好からは大きくはずれるものであったとしても、「存在するものには何らかの必然性があるはずだ」という下限で踏みとどまって、「ではそれはなぜ起きてしまっているのか?」と考えを進めてゆくというのが、科学的な態度です。


本当の意味で科学者でありたいというのであれば、つまり学問的に唯物論の立場に立っていたいのであれば、もし眼の前に「変わった子供がいる」、「湯のほうが水より早く凍る」、「飛べないはずのものが飛んでいる」などといった現象があるときに、それを馬鹿だとか理論に反するだとかの、自分の価値観を対象に押し付けて解釈するような立場でなくして、どんなに自分の世界観や価値観と反しているように見えても、「それが一体なぜ起きるのか?」と考えて、究明してゆかねばならないのです。


これは人間としての謙虚さというものでもありますが、もし学者・研究者として生きたいのならばそれ以上に、自らの世界観が絶対的に要請するものごとの考え方ですから、この土台を踏み外せばもはや科学を名乗れないのだ、と厳に戒めておかねばなりません。


加えて申し添えておきますが、この世界観の把持という問題は、なにも唯物論だけに限ることではなくて、観念論でも同じことが言えるのです。
研究者の世界を見るに、自分の好き嫌いをあらかじめ前提として置いた上で対象を受け入れるかどうかを検討し、その因果関係の説明に他人に借りた理論や思想などで権威付けることが学問だと思い込んでいる人間が少なからずいることは、なんとも残念な事実です。


繰り返しますが、自分の好きや嫌いを正当化するために借り物の理論を拝借するなどというのは、単なる屁理屈であって、論理や理論ではなく、ましてや科学的な態度では絶対にありません。
このような立場をとる人間の表現は、その肩書がどのようなものであれ、検討するに値しないものと、自らの姿勢に照らして理解しておきたいものです。

◆◆◆

さて、「現象するものはすべてなんらかの合理性を備えている」という根本的な姿勢を、この作品理解にもしっかりと適用してゆくことにしましょう。

事実に忠実に、この作品に真正面から向きあおうとするとき、わたしたちはこう考えねばなりません。

「僕」は、失恋したわけでもなく、むしろ意中の情人がおり、街中の風景を楽しめるだけの余裕を持ち、「精神上の難関があつたとしても、それを凌いで通る手段」をいくらでも持ちうるのに、それでもなお、自ら死を選ばねばならなかったのはなぜなのか?

彼の言う「自殺の必然性」を、彼自身になりかわかったかのごとくに我が身に捉え返して追体験してゆかねばならないわけです。

先ほど引用しておいた彼のことばのなかで、「僕はかうしなくてはならないやうに前から極められてゐるのだ。」という言葉がありましたね。
そう結んだひとつの段落のなかで彼は、これまでの人生が、今日という死に向かっての前段階でしかなかったのだ、という趣旨の発言をしています。

彼は振り返ってみれば、これまでの生活はそのようなものであった、と述べているのですから、その中に彼が自殺という結論に思い至った原因があるわけです。
その生活というもののなかで、遺書の中で取り上げている事柄こそが決定的なのですから、その箇所をよりくわしく調べてみて、そこからどのようにして「不可説にして必然な心」が醸成されてきたのか、を追ってみましょう。

◆◆◆

遺書の大半は、一人の夫人との思い出を記述することに割かれています。

僕が情人になってくれることを望んだ夫人「ジユリエツト」が、僕の自殺の直接的な原因ではないというのに、なぜ彼女についての記述が遺書の大半を占めているのかといえば、このような理由からです。
僕の心の内で行はれてゐる事、即ち僕の「前定(ぜんてい)」とでも名づくべき或る物を、僕に示してくれる徴候は、その女の傍にゐる時一層明かに見えるからである。
彼にとっての彼女は、自分自身が、自分自身にさえ知らずに持っている価値観や世界観というものを、眼前に浮かび上がらせてくれるという存在なのです。

彼は、自分自身すら知らないながらも彼自身が抱いている直感を、「妙な精神状態」ということばで表しています。

彼女とはじめて出会ったとき、彼が狼狽する様子を見てください。
此笑声(せうせい)を相図に、僕の不愉快な気分は、魔法の利いたやうに消え失せた。どうして僕はあんな馬鹿な事を思つたのだらう。僕の感じたのが恋愛に外ならぬと云ふことを、なぜ僕は即時に発明しなかつただらう。僕の妙な精神状態を自然に説明してゐるものは即ち此女ではないか。今噴水のささやきと木の葉のそよぎとに和する笑声を出してゐる此女、薔薇の谷の珈琲店に、あの晴やかな顔と云ふ一輪の花を添へてゐる、この美しい、若い女に、僕は惚れてゐるのだ。
彼が狼狽せざるを得なかったのは、他でもなく彼女が、彼以上に彼の「妙な精神状態」を「自然に説明してゐ」たからだったのです。
ここにおいて彼の中で、彼自身が恋焦がれ、また本人からも悪からず思ってくれているであろう夫人「ジユリエツト」は、僕の精神のあり方を、彼の内省以上に詳(つまび)らかにしうる存在であることが印象づけられます。

◆◆◆

そういった彼女についての理解を前提としてしっかりと持っておいてください。

そうしたうえで、僕に再び「妙な精神状態」が訪れた際、それを彼女という存在に照らしてみたとき、どのような彼自身の価値観が浮かび上がってきたのでしょうか。ここが、物語の最大の山場です。
 未来に楽しい事があるだらうと云ふ見込は、幸福の印象をなす筈だから、僕はジユリエツトとした此散歩の土産に、さう云ふ印象を持つて帰らなくてはならないのだ。実際ジユリエツトがいつか僕の情人になつてくれるだらうと云ふ想像は、僕には嬉しかつた。僕は度々スクタリで話をした時の事を思ひ浮べて見た。高い糸杉の木、倒れてゐる柱形の墓石、僕に手を握らせて微笑(ほゝゑ)んでゐる若い女の顔。こんな物が又目に浮ぶ。併しどうもその場合に、僕は局外者になつてゐるやうでならない。詰まり秘密らしく次第にその啓示(けいし)の期の近づいて来る、僕の生涯の隠れた目的は、この目に浮ぶ物の外にあるのだ。
彼は、彼女と出会った時のように、ジユリエツトに照らして自分の本心を捉え返してみようとしています。

僕の脳裏には、夫人と散歩した時に見た風景が次々と照らしだされてゆきますが、それでもひとつだけ欠けていることは、自分自身のことを、どうしてもその思い出の当事者として感じることができない、というその一点なのです。

未来に楽しいことがあるはずだという見込みは、一般的には幸福と言われる感情のようであり、ジユリエツトとの散歩の思い出は、自分にとっての幸福を示している。
しかし僕の場合、それは「局外者になつてゐるやうでならない」。

このことは、僕が生活する中で触れてきたものは、どこか夢物語のようでいて、いつか来る約束された日のための単なる道程に過ぎないのだ、という感触を生み出しています。
自らの脳裏にある思い出がたしかに自分のものである、と感得できない以上、「僕の生涯の隠れた目的は、この目に浮ぶ物の外にある」ということにならざるをえなかったのでした。

◆◆◆

「僕」の持っていた価値観がわかってきたでしょうか。

彼は自分の思い出が自分のものだと思えないために、まるで浜辺で綺麗なビー玉を拾って歩く子供のように「ジユリエツトの姿、薔薇の谷の小さいトルコの珈琲店、糸杉の木、スクタリの柱形の墓石、ベゼスチンの刀剣商」などといった思い出を集め、それを枕元に並べて、本来の目的に向かおうと死を選ぶことになったのです。

この大まかな方向性をきっちりと掴んでいれば、本文のあちこちに現れている状況証拠から、彼がどんな意図でどんなことを試み、最終的には自殺へと決着してゆかざるを得なかったのか、ということが一本の流れを持って読めてゆきます。
一般性についてもあえて明記しませんので、自分自身の手で引き出してみてほしいと思います。

こういったふうに、ある人の人生というものを、まるで当人になったかのように捉え返した上で自らのアタマの中に当人の観念を像として描く、ということが、<観念的な二重化>というものです。
このことばだけをまる覚えして、心情理解のためにこれが必要だ、唯物論の立場での認識論には必須の要件だ、などと述べてもなんらの意味もありません。

もし少しでも自分自身の手で認識論を実践し発展させてゆきたいと思うのならば、相手がどれほどの馬鹿であろうと変わり者であろうと映ったのだとしても、まずはその相手がそういう性質・気質を持ってしまったということには、なんらかの合理性があるのだ、という姿勢で、その認識が生成されてきた過程的な構造をたぐり寄せる努力をしなければなりません。

このことは当然に、他人を指導する者、他人を看護する者をはじめ、あらゆる人と関わってゆくことが実践上必要不可欠の仕事をする時にも、ゆるがせにできないものごとの見方なのです。

◆◆◆

以下は余談です。

作品の中で、自分の思い出に現実感が伴わない、といった「僕」の人生観がありましたね。
あれはなにも、彼のような人物だけが持ちうる感触というわけではないのです。

わたしたち人間というものが、過去のことを思い出すときには、現在の自分自身という自我、つまり<自由意志>の立場に立った上で、アタマのなかに<対象化された観念>をつくり出します。
そうした上で、「あのときはあんなことがあった」と、対象化された観念に二重化して、現実に戻った自分が「あれは楽しかった」と言い、「もう一度あんなことがあったらなあ」と両者を比べて感想を述べたりするというわけです。(三浦つとむ『言語と認識の理論』ほか)

このときに、自分自身のほかにもう一人の自分が生まれるという観念的な分裂が起こることを、感受性の強い人がそれを強く認識できてしまうところに、「私でないもう一人の自分が私の中に居る」という違和感が生まれます。

思い出ばかりでなく今現在でも、私の精神はひとつだけであるはずなのに、なぜだかもう一人の自分が後ろから自分を見ていて、あしろこうしろとかつぶやいたり、やめておけ、と忠告したり、今やらないと一生後悔するぞ、と促したりする。

この事実を、どちらの観念が私の本質なのだろうか?などと考え始めるところから様々な雑多な思想や宗教が生まれることにもなるのですが、あれらはすべて、出発点から踏み外しをしているわけです。

そういった矛盾が眼の前にあるとき、「どちらの観念も私なのだ」というのが正しい答えなのであり、ではそれぞれの観念がどのような区別と連関を持っており、どのような構造を持っているのか、を調べてゆくのが弁証法という考え方なのです。

2012/05/25

文学考察: 木精ー森鴎外 (2)

(1のつづき)


前回のさいごで、物語の進展とともに「フランツの木精についての理解が、どのような段階へと発展していっているのか」を追ってみて欲しい、ということをお伝えしておきました。

そうお願いした理由は他でもなく、この作品をより深く理解することにつながるからなのです。

また今回のような作品に取り組むとき、こうしたことに注意を払っておくことは、次のような点でも重要です。

子供の心情を描いた作品を読んだ時にわたしたちは、「この作品は子供のみずみずしい感受性を見事に描いているな」という感想を抱くことがありますね。

そのときわたしたちが感じている「子供らしい感受性」というのは、いったいどういうものなのでしょうか。
「子供らしい」と表現するからには、わたしたちはそれを、自分自身が心身ともに大人まで発展してきたという過程をふり返るようにして、「子供の頃には、たしかにこんなふうな感じ方をしたものね」と、登場人物の喜怒哀楽に二重化しながら楽しんでいるわけです。

わたしたち人間は、毎日を特に際立った問題意識を持って過ごしてきたわけではなくとも、ふと振り返ってみれば、そこには明確に質的な変化が見られるのであり、大人という立場になってみればこそ子供という立場もわかるのであり、そしてまた、大人になって失われてしまったものや、取り戻すべきものがわかるのです。
(個人の生涯を見た時にも、弁証法という運動法則が働いているのがわかりますか。この一文を三法則に照らして読んでみてください)

今回の作品や、前回の記事でヒントとして挙げておいた豊島与志雄『風ばか』という作品では、少年から青年への移り変わりや、子供と大人の移行や対比が描かれるかたちで、「子供らしい感受性」というものが、一層際立つ構成になっています。
この構成は、当然ながら筆者が大人にまで成長したからこそできる工夫なのです。
(子供が書いた作品の、大人と子供の描き方はもっと違っていますよ)

ですからわたしたちも今回、その助けを借りながら、筆者が描こうとした「子供らしさ」、またわたしたちが作品に触れながら共感できる「子供らしさ」の持っている構造をたぐることをとおして、「より深く」作品から学びながら、自分自身の認識論と創作能力の向上に活かしてゆくべきでしょう。

今回の評論を読むと、論者はその実力からするとあまりに単純に「子供」と「青年」ということばを(その内実をよく知らないまま、よく調べないまま、つまり像の薄いままに)使ってしまっているのではないかな、と感じられるのです。

◆◆◆

さて、では改めて作品を読むことにすると、この物語の大まかな展開は、「フランツ」という主人公が、少年のころには返ってきていた木精(こだま)が、成長して同じことをしたときには呼びかけにこたえなかった、というものでした。
その理由をフランツは当初、「木精が死んだ」ものと解釈しましたが、よその村の少年たちには木精が返ってくるのを見るにつけ、自分の理解が誤りであったことに気付かされます。

物語の展開はこのようになっていますから、フランツの少年期と、木精が呼びかけに応えなくなった青年期を比べてみると、彼と木精との関係がどのように変化したのかがわかるでしょう。

◆◆◆

ここではフランツの内面よりも、事実的にどうなっているのかを確認しておきましょう。
まず少年期の記述はこのようです。
麻のようなブロンドな頭を振り立って、どうかしたら羅馬(ロオマ)法皇の宮廷へでも生捕られて行きそうな高音でハルロオと呼ぶのである。
呼んでしまってじいっとして待っている。
暫(しばら)くすると、大きい鈍いコントルバスのような声でハルロオと答える。
これが木精(こだま)である。
少年期には、木精は呼べば答えるのが当たり前、だったのです。問題はそのあとです。
フランツは段々大きくなった。そして父の手伝をさせられるようになった。それで久しい間例の岩の前へ来ずにいた。
このような期間を挟んで、彼は青年期にはどうなったのか?という目的意識を持って、彼の主体的な条件の変化に着目しましょう。

◆◆◆

前述した少年期と、次の青年期の記述を比べてみてください。
フランツは久振(ひさしぶり)で例の岩の前に来た。
そして例のようにハルロオと呼んだ。
麻のようなブロンドな頭を振り立って呼んだ。しかし声は少し荒(さび)を帯びた次高音になっているのである。
わたしたちはここで、科学的な観点にたって、やまびこやこだまの原理を持ちだしてくることもできます。
しかしそんなことをしなくても、この作品のなかに、この作品なりの十分な説明がなされていることに気づくはずです。

そうです。フランツが少年期には木精と話すことできたのに、青年期になるとそれももう叶わないものとなったのは、彼の声が、「どうかしたら羅馬法皇の宮廷へでも生捕られて行きそうな高音」から、「少し荒を帯びた次高音」になっていたからなのです。

しかしフランツにあっては、この主体的な条件の変化に気づけなかったことから、木精が返ってこないという現象についての説明がつかず、その原因を木精側に押し付けるかたちで、「「木精は死んだのだ」とつぶや」くことになった、というわけなのです。

◆◆◆

ところで彼の認識は、次のシーンではすこしばかり前進していることが伺えます。

それは物語のさいごの部分で、見知らぬ子供たちが、少年のころのフランツと同じように木精を呼び寄せているところを目の当たりにして、「木精の死なないことを知った」というところです。
あれはおおかたその村の子供達だろう。あれが呼ぶハルロオには木精が答える。自分のハルロオに答えないので、木精が死んだかと思ったのは、間違であった。木精は死なない。
彼のもとに木精が返ってこなくなったのは、「木精が死んだ」からではなかった、ということになると、その原因を木精の主体的な条件に帰することができなくなります。

ぼくはなにも変わっていない、木精はまだいるようだ、そうすると…?
と考えてみる段になると、フランツの認識も次の段階へと達します。

子供たちが呼んだときには木精から返事があり、自分が呼んだときには返事がないのですから、これは思いもかけず、木精が返ってこなかったのは自分の方に問題があるのではないか、という疑念が首をもたげてきます。

しかし、本人は、物語中に客観的な表現として書かれているような、声質の変化に気づいているわけではないことから、その疑念と同時に、「ひょっとすると、木精は自分と相性が悪くなったのではないか?」という疑いもが芽吹き始めているというわけなのです。

ここでの彼のアタマの中には、問題が木精にはなかったことを手がかりに、「自分」か「木精と自分の関係」かに、問題がありそうだ、という疑念が生まれつつあります。

さきほどの引用と重複しますが、その表現を見てみましょう。
 群れを離れてやはりじいっとして聞いているフランツが顔にも喜びが閃(ひらめ)いた。それは木精の死なないことを知ったからである。
フランツは何と思ってか、そのまま踵(きびす)を旋(めぐ)らして、自分の住んでいる村の方へ帰った。
歩きながらフランツはこんな事を考えた。あの子供達はどこから来たのだろう。麓の方に新しい村が出来て、遠い国から海を渡って来た人達がそこに住んでいるということだ。あれはおおかたその村の子供達だろう。あれが呼ぶハルロオには木精が答える。自分のハルロオに答えないので、木精が死んだかと思ったのは、間違であった。木精は死なない。しかしもう自分は呼ぶことは廃(よ)そう。こん度呼んで見たら、答えるかも知れないが、もう廃そう。
◆◆◆

ここまで追ってきたフランツの認識が、どのような発展をしていたかがわかりましたか。
以下ではそれをまとめておきましょう。

それは形式から言えば、「木精が返ってこなくなったのはなぜなのか?」という問題について考えてゆくなかでの、彼なりの「木精とはなにか?」の発展のかたちをとっていたのでしたね。

・木精というものを漠然と捉えている段階
↓しかし、青年になると木精は返ってこなくなった
・木精を主体であると捉えている段階(「木精は死んだ」)
↓しかし、子供たちの呼びかけには答えた
・木精を自分との関係性において捉えつつある段階

ここで、フランツが少年から青年へと育ってゆくにつれて、当時持っていた木精への理解が、ある出来事によって覆されるという契機を経ることで、ジグザグな道をたどりながらもなお、確かなものへと発展してゆくさまがわかってもらえるでしょうか。

漠然と捉えていた木精を、第一の契機(上図でのひとつめの“↓”)を境に一つの固定化した実在と見なしてしまったことは、あまりにも極端に考えすぎたことによる誤りでした。
ですが、その誤りは次の契機(上図でのふたつめの“↓”)によって正され、元の道へと戻りつつあるのです。

ここで「つつある」とことわったのは、この物語を最後まで読んでも、フランツは、木精について正確な認識には至っていないからです。

つまり彼にとっては、「木精はかたちを持った主体なのではなく自分が発した音声が山に反射して返って来た音であり、なんらかの形を持った実体なのではなく音声と山とのあいだの関係性において成り立つ現象なのだ」という段階にまでは明確に達することができていないということです。

それでも読者は、彼がいずれ正しい理解にたどり着くであろうことを、物語の終わりの時点での彼の認識のあり方を、読者自身の頭の中で観念的に延長させて予期します。

◆◆◆

ここまで述べてくれば、この作品が捉えている「子供らしさ」というものが、どのような構造を持っているかがわかってきたでしょうか。

今回フランツがたどったような、認識の発展段階のどこか、またはそのジグザグの道程を歩むという迷い方に、「「子供らしさ」とはどういうものか」についての構造を解く手がかりがあるようですね。

現実に生きている子供たちも、子供は子供なりに、彼女や彼らが遭遇した契機によって、それまでのものごとの見方や価値観というものの変更に迫られる中で、ジグザグな道をたどりながら、一定の発展段階へと認識を深めてゆくのです。

大人が子供のふりをして書いた作品の中に、「子供らしい」ではなくて単に「子供っぽい」印象を与えるものがありますが、それは子供は子供なりの合理性を持ってものごとを見ているのだ、という理解が欠けているからではないでしょうか。

子供の感じていたり考えていることを、大人の立場から見下ろすようにしてレベルの低いものと一蹴したり脇に片づけたりせずに、正面から見据えてどのような合理性があるのか、どのような考え方でそのような結論にたどり着いたのか、そのどこに問題があったのかということを捉え直すのならば、認識論という観点からすれば宝箱のようにさえ思えてくるでしょう。

またより大きな観点からしても、科学は「事実からはじめる」ものであるがゆえに、他とは違った考え方をする子供を目にした時に、「あの子は特別だから」と例外として扱うのではなく、それがどんな性質でどんな性格であっても、「存在するものはすべて何らかの合理性を持っている」という原則をわきまえることなくして、何らの研究の発展も見いだせないものと厳として自省しておかねばなりません。

◆◆◆

それができるためには、何はなくとも認識論が必要なのですが、ではどうやって認識論を探求すればよいのか、と言えば、常々どんな行動やどんな振る舞いをするときにでも、「この人はどんなことを考えているのかな?今の自分はどんなふうに見えているのかな?」と、相手の立場に立って考える修練をしておればよいのです。

こう言うと簡単なことのように思ってしまう人がいることが、そもそもの大問題です。

今回扱ったようなごくごく短い短編でも、あまさず理解するためには上記してきたように変化を捉えた上で、その根底にある構造をたぐり寄せることが必要です。
さらには以前に『風ばか』で試みたように、登場人物の認識のあり方はさらに深く掘り下げて考えてみることもできるのです。

翻って現実の世界をみると、そこで生活している人々は、物語のなかで設定されているよりはるかに多くの悲喜こもごもを抱きながら生活してきており、また生活しつつあるのですし、そこには筆者の表現上の手引きもない以上、その認識を読み取ることは、物語などよりもさらに難しいものであることは承知してもらえるはずです。

◆◆◆

さて、今回の記事ですこし掘り下げて考えてみたように、このような認識の発展の構造をとらえてはじめて、それを一言で要するかたちで「フランツは青年へと成長しつつある」と述べることができるというわけです。

「青年」を述べるからには「少年がどういうものか」がわかっていなければならず、「成長」を述べるからにはその過程の内実がどのようなものであるかをわかっておかねばなりません。

ひとつのレポートを書く際に自らに課す、このような厳しい制限は、一般の読者に知られることは非常に稀で、むしろ期待するほうがおかしい、というくらいのものなのですが、それでも一流を目指すのならば、一歩一歩の道程を、どこかにもっと深めてゆける余地があるのではないか、という注意を払いながら取り組むべきなのです。

いいですか、わたしたちは、これだけの注意を払って、これだけの意味を込めて、ひとつのことばを使わねばならないのです。
難しい概念を今日覚えたから明日使おう、などという姿勢では、一流の認識を養うこと、それに基づく創作活動などは到底なし得ないのです。
わたしたちがひとつの作品から引き出している<一般性>というのは、学問で言う<概念規定>なのですから、いま持ちうる全力でもって、一言一句もうこれ以外に考えられない、という文言を提出すべきなのです。

構造を読み取ることができれば、このような短編小説から「「子供らしさ」とはどういうものか」、という人間にとって極めて重要な像を描いてゆくきっかけを得ることができるのですが、その姿勢がなければ、認識論の実力も、最終的には人格も磨いてゆくことができなくなってしまうのです。
目的意識こそが人間を決める、という極意論は伊達ではありません。

この作品は、その全体を通して、自らの少年期に楽しみを与えてくれた木精を新しく来た子供たちに譲り、これまでの季節とは別れを告げて、自らは自らの新しい時期へと歩みを進めようというフランツの姿が、ほかでもない木精によって浮き彫りになっているのですから、一般性を<木精がうながす少年時代との別れ>などとまとめておくとよいでしょう。

論者は物語と向きあうなかでの認識論の実力を、より深化させる段階に来ているはずです。


(了)

2012/05/24

文学考察: 木精ー森鴎外 (1)

新しい読者が見に来てくれているので、


基礎的なこともおさらいしながら進めましょう。
兜の緒を締める、という意味合いもありますが、論者が折りよく(?)見落としをしてくれたようです。


◆文学作品◆
森鴎外 木精

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 木精ー森鴎外
フランツという少年はいつも同じ谷間に行って、「ハロルオ」と叫んで木精が返ってくることを楽しんでいました。ですが、彼は自身の成長と共にそうした習慣を失っていってしまいます。
そしてフランツが父の手伝いができるような年頃になった時、彼は久しく例の谷間に行って木精を試してみます。ところが、木精はいつまでたっても返ってきません。そこで彼は「木精は死んだのだ」と考え、一度は村の方へ引き返しました。しかし、どうしても木精の事が気になるフランツは、もう一度谷間へと行ってみます。すると彼の見たことのない子供たちが、かつての彼と同じように木精を楽しんでいるではありませんか。そしてそうした子供たちの姿を見たフランツは、木精が死んでいなかった事に対して喜びを感じつつも、自分では叫ぶ事はしない事を心に決めていきます。
 
この作品では、〈自分の木精が聞こえなくなった事により、自身の成長を感じている、ある青年〉が描かれています。 
そもそもフランツが木精に対して楽しさを感じていたのは、声が反射する事そのものではなく、声が返ってくるというごく当たり前の事が当たり前にできているということでした。ところが、彼は久し振りに木霊を楽しもうとしたところ、その当たり前だと思っていた事ができなくなっていました。そして、一体何故木精が聞こえなくなったのか不思議に思っている彼の前に、木精を楽しんでいる子供たちが登場します。やがて彼は子供たちを観察する中で、目の前の子供たちとかつてそこで木精を楽しんでいた自分とを重ねていきます。そして、現在の自分に戻った彼は、かつて子供たちのように木精を楽しんでいた頃の少年時代の自分と、父の手伝いをして大人としての準備をしている現在の自分の立場を比較していきます。そうして次第にフランツは、大人として成長している自分が目の前の子供たちのように木精を楽しむべきではないと考え、叫ばない決意を固めていったのです。

◆わたしのコメント◆

この物語のあらすじについては、論者がまとめてくれているとおりです。

少年「フランツ」が、山に向かって「ハルロオ」と叫ぶときには必ず木精(こだま)が返ってきていたところが、彼が青年期に差し掛かる頃には聞こえなくなったことに気づく、形式的にはそんな筋書きです。

論者はこの物語の焦点を、木精をきっかけに自身の成長を実感するひとりの青年にあると判断し、その契機となった、木精が聞こえなくなるという出来事を取り上げて論じています。
そこでは、青年期に差し掛かったフランツが、彼とは対照的に、まだ木精を呼べる少年たちに自らを二重化するかたちで(感情移入するかたちで)、彼らに木精を譲り、少年時代にひとつの幕を引こうとする精神が描かれているというのです。

この指摘に誤りはないのですが、この部分だけの言及で、作品のタイトルともなっている「木精」について、十分な理解がなされているということになるでしょうか。
言い換えれば、上の評論を読んだ時に、論者本人や他の読者のみなさんは、「この作品における木精とはどういうものか?」がはっきりとわかったでしょうか。

この前も指摘しておいたとおり、論者はここのところ、ひとつの作品の一般性を、登場人物の主体にあると判断する傾向が強くなっているようですが、その作品理解の仕方が惰性的になっていないかという意味を込めて、改めて作品を読みなおしてみましょう。
(もちろん、そのやり方が取り組んだ作品にふさわしいとしっかり判断したうえでのことなら、それでかまいません。惰性的に、あらかじめ用意した価値観を作品に押し付けて解釈するという落とし穴に嵌っていないかどうか、を問うていますから)

◆◆◆

結論から言えば、論者は木精をとりまくフランツと少年のことは論じていますが、肝心の、フランツにとっての木精の位置づけ、また作品全体にとって木精がどのような意味をもっているのか、ということについては十分な言及をしていないようです。

そのようなことを踏まえて、次のことを考えてみてください。

木精とは、フランツの考えていたような、山に住む木の精だったのでしょうか。
それともフランツの側だけに依存する類のものだったのでしょうか。
それとも、そのどちらでもないのでしょうか?

ここまで書いた時に、『弁証法はどういう科学か』のなかの、「池に石を投げるとハスの花が揺れる」(p93-)というたとえを思い浮かべることができたり、これは<対立物の相互浸透>の問題だろうか、と気づくことができれば、この作品の本質にも近づくことができるでしょう。

2つの事柄が関わりあって何らかの現象を生んでいる時に、そのどちらかの原因「だけ」を調べてみればよいのでしたか?
池に投げ入れた石がハスの花を揺らすとき、「石を投げ入れる」という原因が「ハスの花を揺らした」という結果への一方向の向きだけを考えなさいと教えるのが弁証法だったでしょうか。

そうではありませんでしたね。

弁証法は、石を投げ入れる側の条件が整っているからこそ波紋が起きるのであり、その波紋を媒介としてハスの花が揺れるのだ、と考えるべきであることを教えるのです。

池が凍っていれば波紋は起きないのですから、波紋という現象は、石と池との関係性において成り立っている現象だと理解するのが正しいのです。

◆◆◆

対立物の相互浸透は、弁証法のなかでも像を作るのが難しい法則性なのですが、ここを、「赤の他人だった妻と夫が似てくるということだろう、それのどこが重要なのだ?」などと軽視して脇に片付けてしまうと、論理性を高めることにはまるで失敗してしまいます。

この法則を踏まえておけば、社会科学でのいじめ問題をいじめる側の責任だけに片付けてしまったり、科学での光が直進するという現象を光の性質だけに帰するという失敗に陥らずにすむのです。

今回の場合も、「木精が聞こえなくなった」という現象を、フランツのように木精側の事情に「だけ」押し付けるかたちで理解しようとすると、「木精が返ってこなくなったのは木精が死んだからだ」という極端な結論を導きかねません。(フランツ本人を非難しているわけではありませんよ、念のため。わたしたちがそれをなぞらえるだけでよいのか、ということです)

物語の登場人物はともかく、わたしたちが、フランツと木精の関係性に気づかないことには、この作品全体が持っている構造を引き出すことはできなのです。

そうことわったうえで結論から言えば、論者はフランツの少年期と青年期を、ただ横並びにべったりと並べて解説しただけであり、作品が持っている構造を取り出せていない、ということになります。
まとめていえば、論者の理解は形而上学的な段階(論理性が素朴な段階)に留まっており、弁証法的な段階にまで達することはできていない、ということなのです。

論者が、物語の登場人物の持っている認識のあり方に着目していること、今回の場合で言えば、主人公フランツが少年たちの姿を見て、自分自身の少年時代の姿を思い返しているという像の二重性について言及したかったことはわかります。

しかし、作品の一般性を主体(ひとつの身体をもった個人)の性質として引き出す傾向が強すぎるあまりに、作品の持っている構造を読み解く妨げになっているのではないかとも思うのです。
一般性として引き出さねばならないのは、あくまでも作品「全体」の本質ですからね。

◆◆◆

ここまでを読んで、「しまった、弁証法読みの弁証法知らずになってしまっていた…」と、悔しい思いをしているであろう論者には、改めて考えなおしてもらうとして、次の記事では、ではどうすればよかったのかを考えてゆきましょう。

図らずながら今回の展開は、最近新しく読者になってくれている方から弁証法についての説明を依頼されていたので、ちょうど良かったかもしれません。
ただ論者においては、そんな基本的なことを再確認する必要はなかったはずのところなので、しっかりと自分で考えてから以下の答えを読んでほしいと願っています。

ヒントとしては、以前に豊島与志雄『風ばか』の記事(Buckets*Garage: 文学考察: 風ばかー豊島与志雄)で、物語の展開を登場人物の認識の発展に従って図として書き記しておきましたね。

もしあのときのような認識論的な展開を、今回の作品でも行った場合に、物語が進むにつれて「フランツの木精についての理解が、どのような段階へと発展していっているのか」という目的意識をもって、物語を追ってみて欲しいと思います。


新しい読者のために弁証法の説明も盛り込んだので長くなりました。記事を分けましょうか。


(2につづく)

2012/05/23

本日の革細工:iPhoneバイクマウント lite

あれ?


この記事、この前も見なかったっけ?
と思った読者の方、するどい。

たしかにこの前も同じようなの(iPhoneバイクマウント)を作って実際に使ってみて、なかなか悪くないな、これなら人さまに使ってもらってもいいかも、と思っていたのだ。

でも毎朝テスト走行していたら、やっぱり物足りないところが出てきた。
というより、こんなにガチガチに作らなくてもいいかもしれない、と思いはじめたのである。

◆◆◆

前回のバイクマウントは、「iPhoneが落ちない」のほかに、
「万が一ボタンを留め忘れたり劣化によって落下しても、iPhoneが壊れない」
ことを念頭に置いて作っていた。

でも実際に走ってみると、どうやっても落ちない。
マウンテンバイクに付けて階段を降りてみても落ちない。
(真夜中をいいことに好き放題やってすみません)

で、「これ落ちた時のことを考えなくてもいいのでは?」
という結論にたどり着いたというわけだ。
ちょっとビビりすぎていた、ということかもしれない。だってiPhoneが壊れると痛いもの。

◆◆◆

というわけで、ここまでガチガチにしなくてもいいならもっとスリムになるなあとぼんやり考えていたのだけど、この前拾ってきた仔猫が、原稿を書き終えても膝の上で寝入っているのでどかすこともできず、そのまま作業に突入。

1. まず、猫缶を買うついでにアルミの板(1mm)を買ってきて、iPhoneサイズに切ってから穴を空けます。


2. つぎにコルクを貼ります。(左側のものがlite。右は前回のもの)

これが土台になる部分。
今回は穴を真ん中にしなかった理由は、さいごで。
3. 革を切って組み立てます。


できました。
製作時間は猫の居眠りの時間ぶん…しかしよく寝ますね。

◆◆◆

今回目指したのは、必要以上に大きくしない、ということのほかに、
・iPhoneの画面の左右は指がかかることが多く、従来のものは圧迫感があったので、できれば解消したい。
・梱包方法はシンプルにしても、信頼性がわずかでも低下しないようにしたい。
・ハンドルにライトを付けていても干渉しないようにしたい。
ということ。

そうすると、iPhoneとほとんど同じくらいのフットプリント(表面積)にしたうえで、落ちない工夫をほかに凝らせばよさそう。
コンセプトを簡単に言えば、「必要十分」。そういうことを念頭に置きながら製作。

実際に出来たものを見ると、厚みは2/3くらい。(以下、左側がlite版)

コルク(3mm)+アルミ(1mm)+それらを包むピッグスエード(1mm以下)+革(2mmちょい)
で、バイクマウント部がiPhone(10mm弱)と同じくらいの厚みに。

画面上下の革部分以外はiPhoneのフットプリントを維持できた。

前回はレザーの外側にアルミベースだったところを、今回のは内側に。
◆◆◆

付け方はこんなふう。

あけます。


のせます。


しめます。


革1枚でできてるので、作るのも楽だ。縫い目もほとんどなし。
(ただこの設計だと革の使用量に無駄があるので、量産するなら仕様を変えるかも)

でもこれだと、下側の固定部が下側にめくれてiPhoneが落ちちゃうのでは?
と思った読者の方、とても鋭い。

そこで、こういうものの登場である。

Dockに挿すストラップ、Dockstrap。
でも紐の部分は今回の目的では要らないんだよね。
Dockstrapを買わなくても、手持ちのケーブルでもなんでもいいんだけど、とにかくDockになにか挿す。
そうすると、物理的にカバーが下にめくれず、iPhone本体が落ちない仕組みになっている。


◆◆◆

さいごに、つけたところ。


落下防止装置にUSBケーブルを使う場合は、追加バッテリーで充電しながら走行するとよさそう。


マウント部をハンドルではなく、ステムに装着しておくとハンドルの右側が空けられて便利だ。
自転車を押して歩く時はここを持つからね。

それでも左側にはライトを付けたい場合もある。
土台部の穴を真ん中にしなかったのは、それとの干渉を防ぐためというわけである。


今回のlite版のテスト走行はこれからだけども、物理的に落ちないようになっているので問題はなさそう。
オリジナル版の方も、見た目の重厚さからして「落ちても本体を守りますよ」というメッセージを発しているような佇まいだったので、こちらのほうが心強いという人もいると思うけども。
ただ実際のところ、走行中にボタンが外れたとしてもDock部では引っかかるという意味では、前回のオリジナル版よりもむしろ安心かもしれない。

それに今回は電気のスイッチパネルも使わないし装着してもスペースはとらないし、敷居は低くなったのでは。
ただiPhoneをつけるときにボタンを締め忘れそうだとか、万が一事故ったときでもiPhoneだけは守り抜きたい、という人は落下してもなんとかなるオリジナル版のほうがいいかもしれませんね。

他のスマートフォン用のも作れる?という質問もありましたが、もちろんできますよ。

2012/05/22

理想をいかに形にするか:自転車バッグG4 "TRUNK" (4)

※前回記事の公開時に不具合があったため、画像を追加し加筆修正したうえで、記事を差し替えました。

GW明けからの革細工記事も、


これで一段落です。

もともと今年は革を扱う予定にしていませんでしたが、ひと通りやるべきことをやれてよかったです。

わたしの場合、表現実践の進め方は1年単位です。
ひとつの素材やその製法について3ヶ月かけて基礎的な実験を終わらせておくと、そのあとの9ヶ月は、学習曲線の増え方が漸増に変わる直前まで(伸び幅がいちばん大きい段階まで)で1年を終えられます。

技術論と表現論は取り組む対象の範囲がとても広く、大体の場合は途方に暮れてしまいますが、1年間をひとつの目的意識を持ってじっくりと取り組むと、研究に必要な範囲の一般的な知識と技術は身につきます。

そしてまたこれは、次の年にも活かすことができますし、一般的な範囲では互換性のとれる素材も少なくない(革細工ができれば帆布やフェルトも同様に扱える)ことから、年月を重ねるほどに効率が良くなってゆくのではないでしょうか。

わたしの生涯自体が実験そのものなので、どれだけ周到に準備していても失敗の連続なのですが、無謀に見えたこの計画もなんとかじりじりと進みつつあります。

(その時点で確かだと思われている認識をもとに、それをその時の持ち前の論理で組み立てて計画を練りますが、常に現実の対象は観念を凌駕するものゆえに、どれだけの能力があろうとも失敗は避けられません。これは認識と現実とのあいだの矛盾の現れであり、ここから、実践なくして論理の発展なし、のひとつの論理が浮上します。
とても難しいところですが、表現に携わる人間は必ず押さえておかねばならない勘所ですから、詳しい説明が必要な場合は改めて聞いてくださいね。)

個別の対象とどう向き合ったか、というそれぞれの経験はたしかに尊いのですが、それがなおのこと抽象化されて、「個別の対象との向き合い方」という<方法論そのもの>を向上させてゆくのでなければ、理論的な研究には到底なりえません。

ここで公開している革素材とその製作について言えば、実際にできあがったものはオーナーとの共同作業の結果であり、その意味では尊いのですが、そこで留まっているわけにはゆかないのだ、というわけです。

そうである以上、わたしが採用している方法論そのものへの批判を読者のみなさんに乞いたいところです。
実践的理論家、理論的実践家のみなさんとの切磋琢磨を祈念して、論理面の記述は擱筆とさせていただきます。

◆◆◆

せっかくの革いじりなのに文字ばかりもいけませんから、さいごに数点の写真を簡単な説明とともに載せておきます。

フタを開けたところ。

裏革はピッグスエード。発色がとても良くて驚きました。
今回は裏革をはじめて貼りました。
これまで裏革をつけなかったのは、この前も言ったとおり、メンテナンスの時に困るからです。

接着剤を使って製作すると、経年劣化で部品を取り替えねばならなくなった時に手も足も出なくなってしまいますから。
今回はオーナーの希望で裏革をつけましたが、外すときのことを考えてゴムのりで貼りあわせているので、いつか剥がれることになるでしょう。これは良し悪しですが、いろいろ考えてこうすることにしました。

消耗品だと考えればメンテナンス性は無視しても良いのですが、せっかくいい革を買ってもらっているので、やはりずっと使ってもらいたいですからね。

◆◆◆

それから、今回ほどこした構造上の工夫です。

これまで作ってきたバッグは、G1のベルトを除いてフロントバッグとしてしか使えませんでした。
ところが今回のG4は、重箱式であることと金属、裏革をつけることなどから、これまでのものよりもかなり重くなることが予想できたため、必要なときにはリアバッグとしてもしっかり使えるものにしようと考えたのです。

フロントバッグとしてでもリアバッグとしてでも共用できれば、構造上からいっても第4世代の名にふさわしいものになると思い、作ったのがこの図面です。


フロントキャリアとリアキャリアの最大公約数をとって底面部をデザインしてあります。
簡単にいえば、前にも後ろにも付けられる、ということですね。

そういう意味でG4は、「フロントバッグ」でもなく「リアバッグ」でもなく、ただの「自転車用バッグ」ということになりました。
フロントでもリアでも、ベルトのような宙ぶらりんではなくしっかりと固定できるバッグは、他のどこを探しても見つからないのではないでしょうか。

今回の場合は、フロントは「リーベンデール用キャンピーM-1」か「テスタッチ用キャンピーM-19」、リアは「リーベンデール用キャンピー33」ならつけることができます。

前に付けたところ。

ピッグスエードの紅色と本体のそれとがマッチしすぎでおろどきました。
ピッグスエードは撫でると雰囲気が変わり、まるで光沢があるかのように見えます。
後ろにつけたところ。

iPadよりひとまわり大きくて重いので、
単体で使う時は後ろにつけたほうが安定するかもしれません。
G3をつくったときの蝶番方式、今回のG4をつくったときの前後共用仕様の底面は、今後とも応用が効きそうです。

ちゃんと考えれば1年でこれくらいのことはできるのですから、自転車アクセサリー業界の努力を期待したいところです。

 ◆◆◆

レインカバー。

G4用のゴアテックスレインカバー。
フットプリントがほぼ同じの天然水の段ボールで試しながら製作。
事前の天気予報と気象図で、GWツアーはあいにくの天気…
というので、ツアーの3、4日前にものすごい勢いで作りました。

運良くゴアテックス生地が手に入りましたが、縫い目からの雨水の侵入を防ぐための専用テープまでは手に入らなかった(テント用によく使われるシームレステープは剥がれるのでダメでした)ので、裏側から縫い目をゴムのりで補強。

ついでなので、レザーバッグ持ち全員分を作りました。

現地では雨どころか強風と大雨の歓迎を受けたので、思い立った時に作っておいてよかった、と胸をなでおろしました。
カバーがかかっているところには雨の侵入もないようで、意外とちゃんと使えてこっちも安心。

◆◆◆

輪行用のベルト。

旅用の自転車に乗らないみなさんも、たまに電車で、袋詰めした大きな袋を持ち込んだ、スポーティな出で立ちの人たちを見たことがあるかもしれません。

輪行用の取っ手。
底面の蝶番棒にひっかけます。

ああいう、自転車をある程度まで分解して袋に入れた上で交通機関に持ち込むことを「輪行(りんこう)」と言います。
一般の乗客のみなさんにとっては迷惑千万なのも存じているので、基本的には混雑しない時間帯を選んで乗り込むのですが、遠距離だと始発に乗ってもやはり通勤時間とぶつかります。


ショルダーストラップつけたところ。


あれは実に気を使います。ついでに重い。
なにせ、自分を載せてくれるはずの自転車も、それに積んである荷物も身一つで持たねばなりません。自転車が10kg、荷物が20~30kgです。

乗り換えで陸橋の階段を登り下りしたりするだけでも必死ですが、列車が延着したりすると乗り換え時間がまったくなかったりするので、迷惑をかけるだけでなくチャリ乗りにとっても地獄です。
わたしは100kmちょいなら、輪行よりも自走を選んだほうがずっと気が楽です。
ヨーロッパだと、自転車をばらさずに持ち込める車両があるんですけどね。

そういうわけで、どうしても輪行しなければならないばあい、その苦労を少しでもマシにするためのベルト、というわけです。


 ◆◆◆

余った革でライトスタンド。


自転車用ライトの上に、水を入れたペットボトルを置くととっても明るい。
キャンプでの自炊や、テント内での荷物整理の大きな助けになってくれます。


ものすごい切れっ端感ですね。
わたしは革を隅っこから1mm残さず使いますが、どうにも使い道のない部分は取ってあります。
今回はそういうところを使ったわけですね。
もともとは生きていた牛、少しも無駄にするわけにはゆきませんから。


(了)

2012/05/19

理想をいかに形にするか:自転車バッグG4 "TRUNK" (3)

すこし間が空いてしまいましたが、


前回までで、G4のだいたいの形が縫いあがった、というところまで追って来たのでした。

しかし今回の作品はなんだか、いやに認識論やら論理学やらが出てこないな?
と思われた読者の方もおられるかもしれませんね。

そうなのです。
今回の創作物は、作るものを決めるまでが大変だったと言うよりも、実際の作業工程がとんでもなく面倒だった、というものでしたから。

G4は、かなり初期の段階で実現したいことがはっきりして、それに伴いサイズまで明確にできたので、デザインする部分は今までよりも格段に少なかったのです。

では作りたかったものが設計段階ではどういうものだったかといえば、こんなふうです。

もっとも初期のデザイン案。
この時点で、タテ・ヨコ・ナナメのサイズは決まっていました。

出来上がったものと比べてみるとわかってもらえるとおり、おおまかには想像していたものとほとんど変更のないものになりました。

それだけ、はじめから目指すものが明確だった、ということです。

そもそもこの道具でなにをやりたかったのかといえば、
「とにかく自転車で、iPadを使ってみたい!」
というものだったのでした。

誰でも思いつくけれども、実際に作ってみることに価値がある、という類のものの作り方ですね。
わたしはデザインするという過程に認識論を持ち込んで、ものづくりの実践をするとともに論理化しているので、こういった技術的な部分に関してはあまり論じて来ませんでした。

◆◆◆

ここから3節は学問的な余談です。


人間が目的的に行動する動物であるという規定は、人間の表現過程においても貫かれており、その過程では観念的に思い描いた像を、いかに物質的な表現へと移し替えてゆくか、という技術の問題があります。


ここに関しては、わたしのような技術的な素人があれやこれやと下手な技を披露するよりも、やはりその道の一流の職人さんがどのような技を駆使して複雑な構造を持った創作物をつくり出してゆくのか、という向きに深く学び、探求してゆかねばなりません。


しかしともかく、デザインの過程では、こういった卓抜なレベルの手技を想定したり、技術的に習得しておくことは必ずしも必要ではありません。


円周率が解明されていなくても十分に実用に足る車のホイールやベアリングを作ることができますし、それぞれの家の表札がわからなくても駅までの地図は十分に描け、個別の知識がなくても職人さんを率いて会社を運営できることと同じで、とにかくなんでも詳しくなくてはいけない、ということはないのです。


ではどこまで知っておけば良いのか?と言えば、それは当人の持っている目的、実践上の必要性によって決まってきます。


一般性と特殊性の対立物の統一は、ひとえに実践上の必要性から導かれる原則によって規定されているのですが、机の上で思想を組み合わせているような研究だけしかしていないと、実践という観点を欠いているためにどのためにどこまでの知識が必要かが判断できず、個別的な事実の蒐集に走ってしまう傾向が強くなります。


あくまでも事実に忠実にものごとを考える(唯物論)、つまり本質論を先天的に措定(観念論)しない、という科学的な立場に立っているもりが、いつのまにか対立物へと落ち込んでいってしまうひとつの大きな理由は、「実践をしていないから」ということになります。


今回の場合で言えば、良いデザインをするという目的に照らしたレベルの製作過程を知っておくことさえ出来れば、目的は達せられるというわけです。


◆◆◆


弁証法が難解なものに映るということも、実践をしているかいないか、という問題に照らして考えることができます。


たとえばいつもの記事で、デザインにも日常生活にも文芸にも、はては自転車ツアーにも認識論や弁証法が出てくることについて、なんだかぼんやりしている印象があるだとか、例示してある個別の知識の真偽が気になって仕方がないあまりに全体の論理性がまるで読めない、という場合はこの問題を疑ってみるとよいでしょう。


そういう読者の方にとっては、ここでされているような書き方を見て、なぜにこれほどごちゃごちゃと理詰めで論じなければならないのか?もっとふつうに書けばよいではないか?当たり前の現象に学問的な味付けをしているだけなのではないか?と思われるかもしれません。
一言でいえば、「衒学くさい」というわけです。


しかしこの書き方は、実践上の厳しい困難にぶつかっている人にとっては、その「実践上の・実際の」(「机上の」ではなく)手引きとして、明確な原理・原論を提供しなければならない立場からすると、どうしても必要なことなのです。
そしてまた、そこでの記述が弁証法的であることによって、論理性をふまえることのできない時点では難渋に聞こえてしまうきらいが、どうしてもあるのです。


実際に同じことを、より高いレベルの実践を目指そうとして取り組んでみれば、単なるノウハウとはまったく違う手引きであることがわかってもらえるはずなのですが…。


◆◆◆


そういうわけで、ここでの記事を少しでも自分の専門分野に役に立てたいという人は、なんだか妙に迂遠な言い方をしているな?と感じられたときには、そこに弁証法の三法則や、人の認識のあり方や、過程的な構造についての記述があるのではないかな、と調べながら読んでほしいと思います。


そもそもの出発点が、机に向かって昔の思想家のアイデアをつなぎあわせてオリジナルだと売り込むような研究とは違い、実践を導くための論理と、その体系である理論をめざしてのものです。そこのところをまずは踏まえておいてほしいと願ってやみません。


ここでの文章にたいする反応はそのほとんどがとても好意的でありがたく思っているのですが、ときには大きな温度差があることがあります。それは「それを実際にやってみているか」または「実際にやってみるように想像できているか」という問題意識に差があるからだと思います。


たとえば指導の分野でなら、後進の上達の手助けをしたくても指導の方法が検討もつかず、自分のできていることすら伝える手段を持たず、当人の頑張りを一番知っているにも関わらず結果がでないことに気休めしか言えない、といった状況に置かれた身になったことがあるか、またはその身になって想像することができないなら、どんな論理も単なる屁理屈に聞こえて当然というものではないでしょうか。


押し付けがましい言い方かもしれませんが、ここに書いてあるのは、研究を始めたばかりのころのわたしが、知りたくて知りたくてたまらなかったけれどもそれを知る実力も術もなかったことを、少しずつ少しずつ、岩を砕いて噛むように解き明かして今では使えるようになった認識と、その実践的な適用(技術)、そして表現ばかりです。


その意味では、同じ問題意識を持っている人にとってはそれなりに面白い内容を持っているのではないかな、と思っているのです。


お目汚し失礼、余談おしまい。

◆◆◆

さて、上に載せたデザイン画が、実際にはどんなふうに仕上がったでしょうか?

上の見取り図とは少し違いますが、製作の直接の元となった正面からのデザイン画はこういうものです。

G4デザイン画。(上のラフ画とは違って、実寸台で書かれています)

で、実際に出来上がったのはこういうもの。
iPadケースが天板にくっついていますね。
これがやりたかったための道のりなのでした。
こちらはiPadケースを外したすっぴんですね。
ほとんどデザイン通りになったのではないかと思います。

出来上がってみると、それなりに大変だったけれどもやはり角を丸くしておいてよかった、と苦労が報われたような気がします。

さいごに、いくつか写真を載せておしまいにしましょう。


(4につづく)

2012/05/18

文学考察: 寒山拾得ー森鴎外

評論とは関係ない話ですが、


前に保護した仔猫はとっても元気になりました。
気遣いくださったみなさんに感謝いたします。


◆文学作品◆
森鴎外 寒山拾得

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 寒山拾得ー森鴎外
閭丘胤(りょきゅういん)という官吏は、ある時仕事で任地へ旅立とうとしていましたが、こらえきれぬほどの頭痛が起こり仕事を延期しなくてはいけない危機に陥っていました。ですが、そんな彼のもとに豊干(ぶかん)と名乗る乞食坊主が彼の頭痛を治すため、どこからともなくやってきました。閭はその申し出を受けることにして、彼から咒い(まじない)を施してもらいます。すると、なんとあれ程気になっていた彼の頭の痛みは、豊干の咒いによって消えてしまったというではありませんか。
そして豊干をすっかり気に入ってしまった閭は、仕事で台州(豊干のやってきた土地)に行くのだが、誰か偉い人はいないかと彼に問います。すると彼は「国清寺に拾得(じっとく)と申すものがおります。実は普賢(菩薩)でございます。それから寺の西の方に、寒巌という石窟があって、そこに寒山と申すものがおります。実は文殊(菩薩)でございます。」と答えてその場を去っていきます。これを鵜呑みにした閭は彼ら2人を探す為、台州へと向かいます。
しかし実はこの2人の正体は、やはり菩薩などではなくただの下僧だったのです。ですが、豊干の言ったことを信じきってしまっている閭は、結局彼らの前で丁寧に挨拶をしたばかりに、下僧に笑われ恥をかいてしまいます。
 
 この作品では、〈自分よりも信仰心の強い相手を尊敬するあまり、かえって信仰を外れてしまった、ある官吏〉が描かれています。 
 この作品での閭の失敗は、言うまでもなく豊干のいう事をその儘鵜呑みにしてしまったというところにあります。では、何故彼は豊干の言うことを鵜呑みにしてしまったのかを、一度考えてみましょう。そもそも閭は豊干のことをあまり信用してはいませんでしたが、自身の悩みの種である頭痛をいともたやすく治したことで尊敬の念を抱いていきます。この尊敬というのは、彼が坊主であり日々の仏道修行によって磨いたであろう咒いによって彼の頭痛を治した事から、信仰の面から起こっているのでしょう。しかし閭は信仰心というものをそれなりには持っているものの、豊干の咒いは彼のそれを遥かに超えており、正しくはかることは出来ませんでした。そこで彼は、自分より強い信仰心を持っているであろう豊干の言葉をまるっきり信じることにしたのです。
ですが、閭よりも強い信仰心を持っているからと言って、豊干が常に正しい行動をしているとは限りません。例えば、一般的に親は子供よりも知識は豊富にありますが、童話「裸の王様」のように大人が間違っており、子供が正しい場合だってあるではありませんか。しかし閭の場合、そうした考えに至らなかったのは、豊干の言葉をその儘採用することで自分で考えることをやめてしまったというところにあります。まさに、閭の信仰心が彼の考える力を奪ってしまい、結果的に恥をかかなければならなかったのです。


◆わたしのコメント◆

あらすじは、論者のまとめているとおりです。

主人公である「閭(りょ)」という官吏は、「豊干(ぶかん)」という名の乞食坊主に持病の頭痛を治してもらったことをきっかけに、彼に大層な尊敬の念を抱きます。そのような理由があって、彼の紹介で二人の菩薩に会いにゆこうとするのですが…
という物語です。

結局のところ、閭が、豊干の紹介で会った二人は、菩薩などではなくてただの下僧であり、さいごには彼らに笑われて立ち尽くす閭と案内役の姿をもって物語は幕を閉じることになります。

では、閭はなぜ豊干らに謀られることになったのか、という問題に焦点が当たることになりますが、論者はそれを一般性として引き出すかたちで、この物語は〈自分よりも信仰心の強い相手を尊敬するあまり、かえって信仰を外れてしまった、ある官吏〉を描いているのだ、としています。

論者は、この作品を大きく見たときには、<対立物への転化>がその論理性として浮かび上がってくるのだ、としているわけです。
この指摘は誤りではありませんが、ここのところ、物語の一般性を登場人物の主体に置く傾向が強くなっているため、果たしてその導出の仕方が惰性的な、紋切り型のものになっていないかという自省を促すことも含めて、すこし突っ込んでみてゆくことにしましょう。

◆◆◆

わたしがこのように言って、特にこの作品を取り上げた理由は、この作品が、登場人物の心理描写だけではなく、ひとつの格言的な内実を持っているからです。

とくに、その内実は物語の背後に隠されているようなものではなく、明示的な表現としてあらわれていますから、この場合、一般性は登場人物の主体に置くよりも、物語全体の教訓や格言のかたちに整えたほうが文意に即するのではないか?という疑問があるのです。

やや長いですが、その箇所を書き抜いてみましょう。(註:小見出しは引用者による)
 全体世の中の人の、道とか宗教とかいうものに対する態度に三通りある。 
・道に無頓着な人
自分の職業に気を取られて、ただ営々役々(えきえき)と年月を送っている人は、道というものを顧みない。これは読書人でも同じことである。もちろん書を読んで深く考えたら、道に到達せずにはいられまい。しかしそうまで考えないでも、日々の務めだけは弁じて行かれよう。これは全く無頓着(むとんじゃく)な人である。
 
・道を求める人
つぎに着意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事をなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督(クリスト)教に入っても同じことである。こういう人が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのものになってしまう。つづめて言えばこれは皆道を求める人である。
 
・中間人物
この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念(あきら)め、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠(せいこく)を得ていても、なんにもならぬのである。
◆◆◆

この箇所を読んでみて、どう感じましたか。
筆者がこのようにまとめている以上、これを使わない手はない、と思ったのではないでしょうか。

そこでまず考えてもらいたいのは、この整理の仕方で見たときには、この作品に登場するそれぞれの人物は、いったいどの種類の人なのだろうか?ということです。

この区分は固定化されたものではなくて、その種類の中にも一定の範囲を持っており、相互に移行し合う関係にあるのですが、その転化こそ、この作品の本質を理解するにあたっての大きな手がかりになるものです。

まず、「豊干」らはどうでしょうか。
「閭」を謀(はかりごと)にかけたとは言え、彼とその小間使いたちは少なくとも肩書きの上では僧侶ですから、筆者の定義に従えば「道を求める人」ということになります。

ちなみに、彼らがいたずらのような策をめぐらせたという、その理由を知りたくなるのも読者としての人情ではあると思いますが、その動機については直接的な記述が見当たらないことと、また間接的にも読み解く手がかりがないこと、またそもそも、彼らの存在は、この作品全体をひとつの教訓たらしめるための舞台装置としての役割を果たしていることから、その内面に深入りする必要はないでしょう。

彼らの性質というのは、いわば天候や気まぐれな神様のようなものなのであって、物語全体で指し示したいことがあるときには、筆者の手によってその性質をいかようにも変更することができるというものですから。
わたしたちは、帽子が風に飛ばされたことが縁で恋仲に落ちた二人の物語を読む時に、「この風はなぜタイミングよく吹いてきたのだろう?」ということを少し気にはしても、物語の展開が無理なく進むときには深入りして考えないことと同じです。

◆◆◆

さて次に、この分類で言えば、「閭」はどの種類の人間だということになるでしょうか。ここが問題です。

彼は、持病である頭痛に悩まされてきたという人間です。
その彼が、出かけなければならないときに頭痛に襲われ、やむを得ず外出を先延ばしにしようとしていた時に出会ったのが「豊干」なのでした。

豊干が閭にほどこした咒というものは、口に含んだ水を閭の顔に吹きかける、という簡単なものですが、どんな咒が始まるものかと構えていた閭にとってこれは青天の霹靂だったのであり、驚きのあまりにそれまで気にしていた頭痛というものが、どこかへ吹き飛んでしまったのです。

この時を境に、それまで僧侶や道士というものに対して漠然とした尊敬の念だけしか持っていなかった彼は、その念を確固たるものへと転化させることになったわけです。

彼の性質を、さきほどの分類で言うことにすると、このようになるでしょう。
彼は以前から「中間人物」であったものの、その位置づけから言えば「道に無頓着な人」に近いものであったところを、この咒をきっかけにして、一挙に「道を求める人」寄りの性質に変化させたのだ、と。

しかしだからといって、彼は自ら道を求めたのかといえばそうではなった、ここに、大きな落とし穴があったのです。

彼は道に感化されながらもなお、自らその道を歩むという選択はとらなかったために、道を求める者を、ただ遠くから眺めて憧れるしかなかったのです。
そうだからこそ、豊干の紹介するままに、二人の菩薩と言われる人物に会いにゆき、さいごには謀られていたことに気づくことになるという失敗につながっていったわけです。

◆◆◆

結論から言えば、彼はどれだけその姿勢を変化させようとも、「中間人物」の枠から一歩も抜けだそうとしなかったために、このような辱めを受けることになったのですから、これはひとつの教訓を示している、と理解してもよいでしょう。

豊干が紹介した二人の菩薩は、実のところ単なる食器洗いと小間使いでしかなかったのですが、それが明らかになる箇所を見てください。
 二人は同時に閭を一目見た。それから二人で顏を見合わせて腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞えた。
深々と頭を下げて挨拶をした閭にとっては、あまりにもの仕打ちだとも思えますが、この失敗というものが、閭の道についての姿勢が引き起こしたものである以上、彼にも反省すべき点があったのだ、ということになるのではないでしょうか。

ここで筆者が言いたいことは、このようなことでしょう。

自ら道を歩む気がない者は、対象とするものがわからないからとか、なんとなく有りがたいように感じられるからとかいった理由で、それを尊敬しようとするが、これはいわば「盲目の尊敬」というものなのであって、内実を伴わないものなのである。
対象への敬意を本当に示す気があるのであれば、そのものの内実を知ろうというのでなければ、当然ながらその理解は表面的なものにとどまらざるをえないのであり、そのことは単に道に無頓着な者よりも、大きな失敗を招くことにもつながるのである。

ここまでの流れを教訓面に焦点を当てて一般性として要することにすると、この物語は、<尊敬の念は、内実が伴わないときには、かえってそれを持つ当人に手痛いしっぺ返しを招くことがある>、などとするのがよさそうです。

論者の理解でも間違いではないですし、論証部を見ればその理解が浅くないことは窺い知れるのですが、せっかく筆者が物語の理解を助ける整理をしているのですから、そこを活かすかたちで論証をすれば、より物語に即した、説得力の高いものとなったはずです。

2012/05/17

文学考察: 牛鍋ー森鴎外(続)

前回の評論記事のさいごで、


わたしは一つ問題を出しておきました。

それは、
作品の最後で2度、同じ表現が使われているけれども、同じ意味として受け止めてよいものだろうか?
というものでした。

そのことについて論者から返事がありましたので、検討してみましょう。


◆ノブくんからの返信◆

(※わたしが、菊池寛と森鴎外を比べると、作風と、作品が持っている構造が随分違うでしょう、と言ったことに対して)
確かに鴎外は菊池寛に比べると、作風は淡々としていて、なんだか読み応えがなく、難しい感じがします。
 
さて、今回の評論の「人は猿より進化している。」という箇所ですが、確かに落ち着いて読んでみると、第一回目の意味と二回目の意味が違う事がわかります。
第一回目の場合は、人間は猿の親子のような関係を他人と築いている事に対してそう述べています。
そして二回目は、猿は餌の取り合いに関して子供を叱りはしないものの、その手を止めないのに対し、人間は子供の為に箸を止める事がある事に対してそう述べています。
ここまでは理解出来たのですが、何故箸を止めたのか、までは分かりませんしでした。
ここまでが、自分がコメントを読んで、理解出来たところです。

◆わたしのコメント◆

わたしの指摘で論者もなるほど、と気づいたように、前回引用しておいた作品の最後では、同じ表現が使われながらもなお、その意味合いが異なっている箇所があります。

その箇所を、2つの意味段落に分けてもういちど引用しておきましょう。

・第1段落
母猿は争いはする。しかし芋がたまさか子猿の口に這入(はい)っても子猿を窘(いじ)めはしない。本能は存外醜悪でない。
箸のすばしこい本能の人は娘の親ではない。親でないのに、たまさか箸の運動に娘が成功しても叱りはしない。
人は猿よりも進化している。
・第2段落
四本の箸は、すばしこくなっている男の手と、すばしこくなろうとしている娘の手とに使役せられているのに、今二本の箸はとうとう動かずにしまった。
永遠に渇している目は、依然として男の顔に注がれている。世に苦味走ったという質(たち)の男の顔に注がれている。
一の本能は他の本能を犠牲にする。
こんな事は獣にもあろう。しかし獣よりは人に多いようである。
人は猿より進化している。
◆◆◆

第1段落については、論者の言うとおり、「人間は猿の親子のような関係を他人と築いている」ことを述べているのですが、大2段落については論者は読み間違いをしているようです。

なぜかといえば、第2段落の1文目にある「今二本の箸」の主体についての理解に誤りがあるからです。

該当箇所の表現は、このようになっていますね。
四本の箸は、すばしこくなっている男の手と、すばしこくなろうとしている娘の手とに使役せられているのに、今二本の箸はとうとう動かずにしまった。
牛鍋を囲む3人の情景を想像しながら考えてゆきましょう。
まず牛鍋の近くに、2本の箸をその手に持ちながら駆け引きをしつつ食事をしている二人がいますね。
筆者が、男の手と娘の手を一緒に扱って、合計で「四本の箸」としたのは、それ以外の箸と区別をつけるためです。

しかし、牛鍋を囲んでいるのは2人だけではないのでした。男に寄り添うようにして酒を注いでいる人間がいましたね。
「今二本の箸」というのが誰かといえば、これは「永遠に渇している目」の女、その人なのです。

◆◆◆

ここまでわかったときに、続きの箇所がどのように理解されてゆくかも考えてみましょう。
永遠に渇している目は、依然として男の顔に注がれている。世に苦味走ったという質(たち)の男の顔に注がれている。
「そのまま膳の縁に寄せ掛けてある」「今二本の箸」であり、「永遠に渇している目」でもある「女」は、他の二人の駆け引きに注意を向ける余裕を持たず、また当然に、「男」がその権威でもって「娘」を牽制していることにも最後まで気づかないままであった、ということが書かれています。

つまり、
一の本能は他の本能を犠牲にする。
こんな事は獣にもあろう。しかし獣よりは人に多いようである。
という表現が扱っているのは、二人の駆け引きにまるで気づかない「女」のことを評しているのであって、彼女は、食欲よりも、男に阿(おもね)る心、いわば色欲のような本能が勝っているのだ、と言っているわけです。

そのことを受けたさいごの結論は、
人は猿より進化している。
というものなのでしたね。

◆◆◆

以上のことからわかるのは、第2段落のさいごの「人は猿より進化している。」が言う「進化」というのは、論者の考えているような、人間としての高度さや優しさ、などといったものが質的に高い、といった意味でないことがわかってもらえるはずです。

「女」がもし、女性らしい優しさや人間としての配慮を見せるだけの余裕を持ち合わせていたのなら、「男」に「娘」への譲歩を促したりなどといった、「娘」にたいする気遣いというものがあってもよさそうなものです。
しかしそれがまるでないということは、筆者が「進化」と表現しているものも、一般的な意味での、質的な向上といった意味合いとして受け止めてはいけない、ということがわかりますね。

この第2段落の理解と、第1段落の理解を統一して考えると、筆者は「進化」ということばについて2つの意味をもたせているのであって、それは日常言語で言えば、人間は、猿より「良くも悪くも」人間らしい部分を兼ね備えているのだ、ということなのです。

文中での記述は、前半部には淡々と進むなかで、「これは何を言いたいがための作品なのだろう…?」という読者の思いなど意に介さぬかのように、後半部では人間は良くも悪くも猿とは違うのだ、と表明し、結局のところ自らのスタンスを明確にしない筆者の姿が明らかになったところで、作品は終わります。

牛鍋を囲む3人は、2人の駆け引きと、それに頓着しない一人とが、微妙な緊張感を保ったまま描かれており、それ以上でもそれ以下でもないのです。

その居心地の悪さに、どうしても物語上の結論や落とし所の欲しい論者にあっては、「人間の優しさ」といった価値観のメガネをかけてこの作品を解釈しようとしますが、それでは作品を正しく理解したことにはならないのです。

この作品の一般性を引き出すときには、牛鍋に顔を近づけて言葉少なに駆け引きをしている2人が真っ先に思い浮かびますが、残る一人の女についても、作品の客観性と緊張感を引き立てるに十分な位置づけにあることから、<牛鍋を囲む三人の情景を淡々と描いた作品>などとするのがふさわしい、ということになりそうです。

◆◆◆

以下は余談です。
学問論なので難しいとは思いつつ、先取りしておくことにします。

さて、ひとえに文学作品とまとめて言うことにしても、ここまで違った作風があり得るのか、これは一般性を引き出すとしてもなかなか一筋縄ではいかないな、との思いを新たにしてもらえたでしょうか。

いくつかの作品で見つけた構造の理解の仕方を、紋切り型にあらゆる作品に当てはめて理解しようとすると、無理な解釈が起きてくることもわかってもらえたでしょうか。

論者は先月まで、「菊池寛」の作品について、集中して取り組んできましたね。
そのことをとおして、彼の作品についてはそれぞれにある程度の正当性を持った一般性が引き出せているのでした。

そうであるならば、それを一歩進めて、各作品の一般性を総合して、「菊池寛作品の一般性」を引き出すとしたら、いったいどのようなものになるでしょうか?
形式面から言えば、それが、筆者それぞれがもっている「作風」というものです。

その内実に目を向けて、筆者ごとの「作風」というものを明確に規定する必要はまだありません。
しかし少なくとも、すでに取り組んだ作家の作風と、ほかの作家のもっている作風が明らかになるにつれて、対立物の相互浸透のかたちで、そのどちらも、そのどれもが明らかになってくるはずです。

そのためには、これから取り組む作品をとおして、さいごには筆者の作風が明らかになってゆく過程を通して、ここで獲得しつつある「作風」という概念の像を、より明確にしてゆく、という問題意識を常々持っていてほしいと思います。

「この作品がこんなことを主眼においているのはわかった。
ではこの人の作風は、どんなものだと言えるだろう?」

常々、それを考えながら読み進めるようにしましょう。

そのためには、以前にお願いしておいたように、文学史の通史という大まかな絵地図をあらかじめ頭の中に用意しておくことが、力強い手引きになるのです。

これからするのは、大まかな絵地図を自分の足で実際に歩いてみて、細かな箇所を書き込んでゆく、ということであるとともに、大まかな絵地図をもより高度なものとして完成させてゆく、という過程です。

◆◆◆

まずは通史を念頭に置いて、その中に息づいている作家群のひとりひとりに当たる中で、少しずつ「文学」というものの像が明らかになってゆき、それらの抽象と具体とののぼりおりの中で、文学というものの歴史の流れ、歴史的な論理性、歴史性がわかってゆく。これが、学問における歴史性の把握の方法です。

わたしは以前に、論者の選んだ職業に照らして、ひとつの名著を取り上げて、その章・節を少しずつ読みながら、自分の力で小見出しをつけなさい、と言っておきました。

あの時の「小見出し」は、文学作品を理解する際の「一般性」と、論理的に同一のものであり、そうであるからには、あのとき指定した学問的な修練の過程と、現在のそれもが論理的に同一のものであることも理解してもらえると思います。

もちろん、自分の専門分野に向き合う際に、目的意識なくただ漫然と過ごしていたとしても、ある程度の年齢ともなればそれなりの見識眼はつくものです。

しかし、わたしたちの目指しているのは、「一番高い山に絶対に登る、登りきってそこから世界を見渡す」、ということにあるのですから、あらかじめ方法論をこそ、じっくりと考えておかねばならないのです。

浜辺で遊ぶだけなら犬掻きですみますが、はるか向こうに霧がかって見える孤島や、はたまた地平線の向こうまで漕ぎだそうとするなら、それなりの時間をかけて準備しようというのが普通の頭脳の働きである…と、誰でも判断できそうなものですが、残念ながら、実際にはそうではないのです。

だからこそ、過去の偉人たちから謙虚に、謙虚に学び、まずはこれから目指すための目指し方、つまり方法論をしっかりと整えておく必要があるのです。
ここで挙げている方法論は、そのようなものであるとふまえて、まずは安心して、力強く引き続き前進をしてください。

また今回の余談で取り上げたことを極意論的に言えば、抽象と具体、概念と実体、全体と部分、というものは、常に対立物の統一という問題意識に照らして習得しなければ、机上の空論や、または逆に極端な経験主義という踏み外しが待ち受けているのだ、ということになります。

ここはとても難しいので、追々折にふれて説明してゆくことになりますが、「一般性」という概念や、「一般化」という作業が、単なるまとめなどといったものではないということは、まず理解しておいてほしいと思います。

2012/05/16

本日の革細工:iPhoneバイクマウント

書きかけの記事を残したままだけど、


前に頼まれてたものをが出来たのでちょっと公開しておきます。

タイトルのとおりだけども、自転車やバイクでiPhoneをナビ用途に使う時、困ることは、いちいち出したりしまったりするのが面倒くさい、ということ。

なので、そういう用途でiPhoneを使いたいチャリダーやバイカーは、大体の場合はハンドルの部分にiPhoneを固定するアタッチメントを買ってくることになる。

「iphone+バイクマウント」なんかで検索すると、いくつかのメーカーからこういうものがリリースされている…


…のだけど、Amazonなんかで使用者のレビューを見ると、どれも一長一短の模様。

どの製品でも見かけるのが、「走行中に蓋が開いてiPhoneが落ちました!」。

ダメじゃん。

◆◆◆

わたしの場合は、ちょっと通勤に使うとか晴れた土日にポタリングできればいい、というような用途ではないから、1日100km安心して走れるアクセサリでないと買う意味がない。

そんな経緯があって、自転車仲間と、iPhoneのバイクマウントってなかなか良いの無いよねえ、ってな話をしていたら、「ないなら作るよね?」という無言の期待を寄せられてしまって、引くに引けなくなってしまった。

それでも、「そんなのできるかなあ…」という思いがずっとあって、案を作ったり潰したりしていたのだけど、

MINOURA(ミノウラ) ボトルケージホルダー BH-100S

GW前に調達したこれを見たときに、「あれ、これならいけるかも」という感触があった。

とりあえず目標は、「iPhoneがまず落ちない」というようなiPhoneホルダー。
こんな水準を目標にしないといけないあたり、自転車アクセサリメーカーの実態が現れているようにも思うけどね…そもそも、落ちるようなのを人様に売るんじゃないよ。

◆◆◆

さて、ものづくりというのはどんな時も、考えている時間が9割、製作は1割かもっと少ないものなので、これだと見ればさっそくとりかかる。

まずは、iPhoneを安定して操作できるように、堅い板が要る。
わたしの持っている素材は革とかコルクとか帆布生地とか、そういうものばかりだしね。
でも空き時間を考えればホームセンターに行っている時間もないし、というわけで思いつたのがこれ。


古い電気のスイッチパネル板。
これに、さっきのボトルホルダーに合わせるように、ピンバイスで穴をこじ開ける。
(都合のいいことに、ネジ穴のサイズがM4なので、自転車でよく使われるネジがそのまま使えるため、もうひとつ穴を開ければいい)

でもこの上にiPhoneを直接固定したりすると、背面のガラスが割れちゃう。

◆◆◆

なので、次に同じサイズにコルク板を切って、緩衝材に使う。


電気プレートそのままじゃ何なので、自転車バッグG4で使ったあまりのピッグスエードを貼ったうえで、自転車に固定してみる。


おっ、意外といけそう?
ボトルケージホルダーも電気パネルも金属なのでがたつきなし、がっちり固定されている。
とりあえずこの部分は、既存の製品みたいに根本から折れることはまずない。

そうなるともう問題は解決したようなものなので、あとはこの土台に合わせてiPhoneケース部を作ればいいだけだ。

◆◆◆

というわけで、できました。


肝心の製作工程については、膝の上で仔猫が寝ていて身動き取れず、写真を撮れませんでした…申し訳ない。

◆◆◆

どんなふうにくっついているかというと、

1. コルクのインナーにiPhoneをはめる。


2. レザーケースにインナーごと下から入れる。


3. レザーケース背面上部のポケットにマウント板を突っ込む。


4. レザーケース背面下部のボタンを留める。これでおしまい。


ボタンが小さいのがちょっと不安だったけれども、数十キロ試運転してきた限りではなんともなかった。
コンビニに寄るときも、ボタンを外せばケースごととれるので盗難対策も楽。

もしボタンが外れていたとしても、コルク、ピッグスエードの摩擦がかなりあるのでいきなりすっぽ抜けたりはしないかと。

◆◆◆

でもこんなゴツいコルクに挟まれてたら操作性はどうなるの?、と思った読者の方は鋭い。
そういう人は、きっとどんな道具でもうまく使いこなせる人でしょう。

今回は、小さなガイドになる金属ボタン(カシメ)をつけて、ケースの上から押せるようにした。
コルクやレザー部にあんまりたくさん穴を空けちゃうと、強度が下がったり急な雨の時に対応しきれなくなってしまうから。


同じように、正面のホームボタンにも金属ボタン。
裏地にはピッグスエードを貼ってあるので、長時間乗っていても振動で本体を傷つけたりしない。
ただ大きく揺れると、金属ボタンが本体のホームボタンを押下してしまうことはあるかも。
ホームボタンに合わせてレザーを切り抜いてもよかったんだけど、今回はこんなふう。


iPhone 5が大型化しても、現行iPhoneよりもフットプリントが周囲+6mmの範囲内に収まっていれば収納できる。
ただその場合は、振動吸収性が落ちるのが気がかりので作りなおしかな。
とりあえず、がっちりしたプレートを作れたのは収穫。


◆◆◆

今後の課題と対策としてはこんなところ。

・使ってるとインナーのコルクがボロボロになるはず
→目の詰まったコルクを使うか、コルクパテで埋めておくほうがいいかも。

・レザーケースからインナーが抜けにくい…
→落下の心配をしなくていいという意味ではいいが、側面の切り欠きをもっと長く・大きくしたり、コルクの材質自体を少し固めのゴムスポンジなんかに変えてもいいかもしれない。わたしはこのくらいのほうが安心できるけども。

・雨降った時対応できない
→iPhoneかインナーごと小さめのジップロックなどに入れておくのが良いかと。ボトルケージホルダーがアーレンキー1本で簡単に着脱できるので、雨に降られたらホルダーつきのケースごとごっそり仕舞うのがいちばん賢いかも。


とりあえずご報告がてら。
今日の試運転は少し距離のあるところまでナイトランしましたが、iPhoneのナビはめちゃくちゃ優秀でした。あんまり頼り過ぎると地図が読めなくなるので注意が要りますけど。

これ作って欲しい人はホルダーと電気プレートも持ってきてくださいね。

2012/05/13

文学考察: 牛鍋ー森鴎外

ひさびさの評論記事です。


たいへんおまたせしました。


◆文学作品◆
森鴎外 牛鍋

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 牛鍋ー森鴎外
ある食卓で1人の男と女、そして7つか8つの、男の死んだ友達の子供(以下少女)が牛鍋を囲んでいました。その時男が黙々と肉を食べている最中、少女も肉に箸をつけようとします。ところが男は少女に対して、「待ちねぇ。そりゃあまだにえていねえ。」と言って、なかなか肉を食べさせようとはしません。ですがどうしても肉を食べたい少女は、どの肉もよく煮えだした頃に、少し煮えすぎたものや小さいものを口に運んでいきます。そしてそんな少女の姿を見て、男はとうとう箸をとめてしまうのでした。 
この作品では、〈他人の子供であるにも拘らず、少女にある優しさを見せる、ある男〉が描かれています。 
この作品は上記にあるように、他人として互いに少女と肉を巡って争っていた男が、少女の必死で肉を食べようとする姿に憐れみを感じて、やがて争う事をやめるところまでが描かれています。
そして著者はこうした男の姿と親子で餌を奪い合う猿の親子の姿を比較することで、この男の行動から人間としての特殊な部分を引き出そうとしています。というのも、著者はこうした餌を巡る争いと譲り合いは猿等の世界にも存在しているものの、人間のそれは動物のそれよりも一線を画していると考えているようです。では、動物と人間ではどこがどのように違うのでしょうか。
まず、著者が着眼した箇所は動物は親子でなら食べ物の争いを無闇にはせず、多少自分の食べたいという欲求を抑えて子供に餌を分けることもありますが、人間の場合は他人という、もっと広い範囲でそうした譲り合いが起こっているというところです。では、何故人間は動物よりも、より広い範囲で他人の為に自分の欲求を抑えることができるのでしょうか。それは、ひとつには人間には動物よりも複雑なコミュニケーション能力を持っており、それを使う範囲が動物よりも遥かに広いという事が関係しているのでしょう。というのも、動物の場合も人間の場合も声を出して他人になんらかの情報を発信することが出来ますが、その表現の幅は人間の方が明らかに広いのです。動物は「逃げろ」や「餌がある」など単純な事は説明できますが、その理由などは説明できません。一方、人間は動物よりも遥かに複雑な「言葉」を用いて現在の自分の状況やある場所での出来事を細かに説明できます。また、その活用の範囲においても、動物は餌の事や天敵の存在の事など、使う状況は限られていますが、人間の場合は特にそうした生命に関わる事でなくとも、互いに自分たちの近況を話していることだって頻繁にあります。ですから、人間は自分の状況や状態を動物よりもより細かに伝える事ができ、そうした情報を得る機会も多いのです。更にそうして集めた状況を私達は自分たちの頭の中で想像し、鮮明に描こうとします。そして、こうした情報のやり取りと想像が私達に他人への同情の心を与え、他人に対して優しさをおこすのです。

◆わたしのコメント◆

この物語の登場人物は、次の3人です。
・三十前後の「男」
・男と懇意にしている「女」
・七つか八つ位の「娘」

この物語では、牛鍋をつつきあう「男」と「娘」が描かれています。
男の妻であろうかと思われる「女」については、男のことをしきりに気にかけて、彼のために酒を注いでいるばかりで、男と娘のあいだにあるせめぎあいに目を向ける余裕すらありません。そのために、主だった登場人物は彼女を除いた二人であるとしてよいでしょう。

この作品の構成はといえば、大きく分けて2つの段落があります。
前半では、娘と、彼女が鍋から牛肉を引き上げようとするたびに、「待ちねえ。そりゃあまだ煮えていねえ。」とそれを制止する男の姿が描かれています。
後半では、彼らの姿と浅草公園の猿の母子とを対比させて、筆者は「人は猿より進化している」と記しているのです。

◆◆◆

物語の焦点はといえば、筆者が「人は猿より進化している」としているその論拠にありますから、論者の引き出した一般性では物語の主意を捉え損なっていることになります。

しかし、この物語の一般性、ひいては森鴎外作品の一般性を取り出すのは、なかなかに難しいことであることも理解できます。

論者の修練のあしあとを見ると、先日まで菊池寛作品に集中的に取り組んだあと、次にこの作品の筆者である森鴎外に白羽の矢を立てているのですが、論者の立場になって森鴎外の作品を見ると、これはさぞかし面食らってしまったのではないかな、と思わせられます。

というのも、菊池寛の作風が、登場人物の人情を鮮やかに描き出しながら、さいごには一定の落とし所を見出す、つまり明確な「オチ」がつくものが多いため物語全体の流れを把握しやすいのに比べると、森鴎外作品というのは、ただ淡々と情景を描いているだけに見えるからです。

(文学専攻のひとたちへ:
ひとつ注意すべきことは、だからといって森鴎外が極端な写実主義者や客観主義者だと考えるのは誤りです。彼は自らを理想主義者と規定しており、坪内逍遥との没理想論争などを起こしたほどですから。このあたりの事情については、大まかには知識的にも知っておく必要があり、また歴史性を担わんとする諸氏においては「文学とは何か」という大きな流れを捉え返しての文学者としての論理性の把持が必要ですから、日本の文学史には自らの責任で触れるようにしてください。インターネットで集められる情報は、ゴシップ的なものが多いために、細かな知識は手に入っても大きな流れを踏まえ難いものが多いため、まずは薄い本でかまいませんので通史的な書籍を探した上であたってください。)

◆◆◆

そのような事情があって、森鴎外作品の一般性を引き出すとしても、その作品のどこにも訓示的なものが見当たらず、またこれといった落ちも見当たらず、といったところで右往左往してしまうのも無理のないことだと言えるでしょう。

それは今回の場合でも多かれ少なかれ同様の作風なのですが、だからといって、論者の言うように、特別な記述のない価値観を押し付けて物語を解釈してしまってはいけません。
作中の男はなにも、「少女にある優しさを見せ」たから、娘に牛肉を取ることを許したわけではありません。

わたしは常々、「行間を読む努力をしてください」という表現を使いますが、これは当然のことながら、記述されている事実的な表現を、自分の頭の中にあらかじめ用意した価値観に照らして解釈しなさい、と言っているわけではありません。
あくまでも向き合う対象(作品そのもの)に忠実に読むことを通して、「直接の表現としては描かれていないが、このときこの人は確かにこのような気持ちであったはずだろう」などといった感情や情景を自らの脳裏に描いてみることができなければならないのです。

(学習の進んだ人たちへ:
このように、「論理的な事実を引き出すこと」と「あらかじめ用意した価値観を対象に押し付けて解釈すること」は質的に違うものなのだ、といくらいっても、頭の堅い人たちは、行間を埋めるのが主観であることに変わりはない以上、作品や人間真理をどのように読んでも読み手の勝手である、などと屁理屈を言ったりする場合があります。


しかしこのような発想は、古代ギリシャの哲学者、とくにプラトンがソクラテスの名で語らしめている産婆術が、人類が持っている論理性の原基形態であることを見落としていることからくる誤りです。
そうであるからには、この誤りに落ち込んでしまうというのは、その当人の論理性を2000年前まで後退させてしまっている、ということなのです。


ひとつの表現を正しく理解するというのは、ある表現を「表現者の認識をたどり直す」という客観的な関係が結ばれていることをもってはじめて成立するものです。(参考文献:三浦つとむ『芸術とはどういうものか』)
屁理屈を言ってみるのも、もとの立場に戻ることさえ出来れば有意義なこともありますが、ミイラにならないように気をつけてください。)

◆◆◆

余談が多くてすみません。
色々な段階におられる読者の方々に向けて文章を書くことにすると、どうしてもこのような表現形式をとらざるをえないことがあります。どのような読み方であっても、落とし穴に嵌った「ままに」なってほしくないという思いを込めての表現ですので、ご容赦いただれば幸いです。(何回も言いますが、頑なでさえなければ、屁理屈をこねてみることも時には上等の修練になるのです。これは観念的な反面教師であり、論理性からいえば対立物の相互浸透、否定の否定です。難しければ遠慮なく聞いてくださいね。)

それでは、ということで、この作品の焦点、筆者が「人は猿より進化している」と主張する論拠はなにかを考えるにあたって、どうすれば作品に忠実に理解することができるのか、と考えてゆきましょう。

まず物語の前半部で、男と娘の牛鍋をめぐっての争いが展開されますが、そのとき男は、娘にたいして優位な立場にあります。娘が牛肉をとろうとするときには「そりゃあまだ煮えていねえ。」と遮るわりには、自分はせっせと肉を口に運んでいるのですから。ここには、論者の言うような「優しさ」はありません。
しかし娘も、男の振る舞い方に、子供相手でも遠慮がないことを驚きの目をもって読み取ると、男の食べた横の肉を取るなどの工夫をしながら、自らの取り分を確保するようになるのです。

◆◆◆

前述したように筆者は物語のさいごで、これを猿の母子と比べています。その箇所を書き抜いてみましょう。
母猿は争いはする。しかし芋がたまさか子猿の口に這入(はい)っても子猿を窘(いじ)めはしない。本能は存外醜悪でない。
箸のすばしこい本能の人は娘の親ではない。親でないのに、たまさか箸の運動に娘が成功しても叱りはしない。
人は猿よりも進化している。
四本の箸は、すばしこくなっている男の手と、すばしこくなろうとしている娘の手とに使役せられているのに、今二本の箸はとうとう動かずにしまった。
永遠に渇している目は、依然として男の顔に注がれている。世に苦味走ったという質(たち)の男の顔に注がれている。
一の本能は他の本能を犠牲にする。
こんな事は獣にもあろう。しかし獣よりは人に多いようである。
人は猿より進化している。
ここに、同じフレーズが2回でてきていることに気づいてもらえたでしょうか。
それは、「人は猿よりも進化している。」という箇所なのです。

たしかに表現は同じですが…

とまで言えば、「あっ、もしかして!?」と、大きな手がかりにまた気づいてもらえたでしょうか。

論者の現在の実力と問題意識からすれば、このヒントで答えに近づいていってくれるのではないかと思います

そういうわけですので、いいところですが、いったん筆を止めることにしましょう。
わかったところまでを教えてください。

この作品を独力で正しく読めれば、筆者の他の作品についての読み方も自ずと浮かび上がってくるはずです。

2012/05/12

理想をいかに形にするか:自転車バッグG4 "TRUNK" (2)

前回のさいごで、


複雑な工程の不確定要素を取り除くための手段を考えた、と書きましたね。

それは、次の2つでした。
・焦点を絞り込むこと
・出来得る限りあらかじめ規格を揃えた部品作りをすること

前者についてオーナーとの合意がとれたあと、実際の作業に移るとき、わたしは各部品のサイズや革質をできるだけ統一することで、「作ってみたら想定していたのと違った」という要素をできうる限り取り除くことにしました。

前回の記事で使った図のうち、同じサークルで囲ったものについて、同じ革を繋げて切り出すことにしました。


革というのは、切りだす部位によってもコシや堅さをはじめとした質が違い、また切り出す方向によっても質が違ってくるという「革目」を持っているからです。

◆◆◆

バッグが出来上がった時には隠されて見えなくなりますが、上フタと下フタについても隣り合った革から切り出して、まるっきり同じ形に整えました。

切り出して縫い穴を開けた後、水に濡らして形をつけたもの。
左が底面、右が天板です。
内側の構造のうち、上下が同じ形をしていれば、リクツから言って、本体と蓋がぴたりとはまることになるはずでしょう?

先行きが不安な時にいちばんの手がかりになるのは、「細かなことは依然として進んでみなければわからないままだけども、現在の現象を観念的に延長すればこうなるはずだ」、という論理の力です。

それでもなぜに前処理の段階から、細かな工夫で条件を整えていなければならないかといえば、細かなところのこだわりは、それだけのリスクに直結しているからです。

たとえば、上で取り上げた上フタ、下フタについてはこんな形をしています。


四隅に細長い部分がありますが、これを作っておくと、角に丸みを持たせることができます。
もし単に、四角に切れ込みを入れただけの形にしておけば、もっと楽に外周部の長さを想定することができたと思います。
しかしどう考えても、この角は丸くないといけない。

そうやって迷った時は、まず間違いなく難しい方を選びます。
やってみなければ、どう失敗するのかがわからなくてずっと気になりますからね。

しかし、人様からの頼まれものでコッソリこんな博打をやってしまっているのを公開してもいいものでしょうか…。

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はたして、上の蓋部がさいごの一辺を残してなんとか完成しました。


あとはこれにぴったり合うように、本体部を縫いあげてゆく「だけ」です。
最終的に、下のようなかたちで収まるようにできればいいのですね。


いつもどおり、無心に縫い続けてしまうとぴったり嵌らなくなる恐れがありますから、縫っては形を合わせ、縫っては合わせ、を繰り返してゆきます。

このおかげで、普段なら「(1)切り出して、(2)縫う」という工程であるところが、とても複雑な工程を持つことになってしまいました。

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そのやり方といえば、まずは底面部に「下うち」を縫いつけて、その周りを包み込むように「下まき」を縫います。

ここの工程は、通常なら下うちのあと下まき、といきたいところですが、先程出来た上蓋と合せながら進めなければならず、また下うちを縫い終えてしまうと下まきがとても縫いにくくなってしまう関係上、行ったり来たりの縫い方になっています。

机の上が恐ろしい具合に散らかっていますね…。
工程が分けられないので、必要な道具がそれだけ多くなるのです。

わたしはプロのような工具も持っていません(無駄な工具を買い足すと、価格に跳ね返ってしまいますから)から、ある程度縫っては針を入れ替え、という作業をしながら縫い進めます。
固定具(レーシングポニー)も持っていないので、靴下を履いて両足で支えます。
四肢が最高の道具です。

それに、バッグ全体の重量を支えるための体幹である下フタと下ウチを強固に縫い止めておかねばならない以上、普段の2倍手間がかかる縫い方をしているため、まさに牛歩の如く、です。


できてきましたね。 ここまで縫い上げるのにかかった時間は、15時間ほどです。

この時点で、どうやら目論見通り箱型になりつつあるようで実にホッとしました。
わたしの想定したリクツが間違っていたら?もちろん初めからやり直し、です。

体幹となる内革は3mm革、外周部の外革は2mm革です。
この写真で正面に来ているのはバッグの背面側ですが、縫い始め(両サイドの縦の縫い目)が内革と外革で違うのは、同じ所から縫い始めると箱としての強度が下がってしまうので、それを避けるための工夫です。

下フタと下ウチを微調整して、なんとか蓋部と嵌るように縫えました。

結論から言うと、上蓋部の周囲の長さを1mm余分にとることで、蓋部と本体部がぴったりはめられる仕組みを作ることができました。
これは、実際に作ってみなければわからなかったことです。


はまった…!感動の一瞬です。

結局、だいたいの形になるまでに50時間ほどかかりました。
工業製品の場合は、おそらく接着剤で形を組み立てた後に、穴を空けて縫う、というやり方で手間を減らすのではないでしょうか。

わたしの場合は、接着剤を使うとオーバーホール(経年劣化した後一度分解して縫い直すこと)できなくなるのが嫌で、いつも接着剤は一切使いません。(今回のバッグは裏側をつけたので、はじめて使うことになりました)

(3につづく)