2012/03/19

第3世代iPadの衝撃

初代、2と買ってきたので、


今回は止めておこうかなと思ったけども。
結局買っちゃった、新しいiPad。

形のないもの、とくに経験に投資することに理解がある環境で良かった。
こういう変化は実際に使ってみなければ、それが量的なだけなのか、質的なだけなのかが実感としてわからないもの。

こう言うと、カンの良い読者のみなさんは、今回の記事で言いたいことが先にわかってしまったかもしれない。

◆◆◆

各紙のレビューが出揃ったようなのでひと通り見てきたけど、どれも似たりよったりだった。

それも無理のないことで、iPad 2→iPad(第3世代)への変化というのは、一見すると実にシンプルだからだ。
その要点はただひとつ、「画面がより細かくなった」ということである。

オタク的な観点から言えば、そのほか、バッテリー容量が1.5倍ほどになったり、カメラがiPhone 4世代のものになったりと色々と指摘したくなるところもあるが、それもすべて、「画面」の進化に伴った必然的な変化だと言える。

今回は、画面の解像度が「2048×1536」という、フルハイビジョンのTVよりも更に細かいものになり、iPhoneが先行していたディスプレイの進化に追いついた。Appleが、Retina(網膜)ディスプレイと呼んでいるものだ。

細かなことを言えば、iPhone 4と4Sで採用されたRetinaディスプレイよりも細かさはやや劣るのだが、常用する距離からはドットを認識することができない、という意味で、「網膜の限界に迫る」、というような意味合いはたしかに果たしていることがわかる。

さてコンピュータの画面を綺麗に表示させるためには、それなりの負荷がかかるというわけで、iPad内部の頭脳(プロセッサ、CPU)や描画装置(グラフィックプロセッサ、GPU)、メモリも良くなっている。
負荷を支えるにはバッテリーも必要だというので、もともとバッテリーのお化けだったようなiPadだが、分解画像をみると、さらにとんでもないことになっている。
みたこともないような大型のバッテリーだ。

右にある黒いものがバッテリー(引用元:iFixitのBlog)。
iPadの心臓部といえるのは、背面パネルのすぐ左にある基盤がそれだ。

◆◆◆

とまあ、こういうわけなので、各メディアは、画面が、画面が、と言っているわけだが、画面が綺麗になるとユーザーにとってはどんな変化があるのか?、そこが一番重要なのだ。

今回のニュースを聞いた時に、出てきたものを評論することが仕事の人たちは、すごいすごいと言うか、思っていたよりもすごくない、と言うかのポジションを決めればよい。
ところが、ものづくりに携わっている人間からすれば、今回のiPadは少なくない衝撃があったはずだ。

ものづくり側というのは、なにもiPad対抗のタブレットを開発している関連会社だけではなくて、Webや動画、写真などでものづくりに携わっている人たちも含まれる。

わたしが今もデザインの仕事を本業としてやっていたら、iPadを手にとった瞬間、「これはヤバイものが出てしまった」と、心躍った次の瞬間我に返って、背筋に嫌な汗が流れたと思う。

というのも、こんな薄い板状のコンピュータに、40、50インチ以上のハイビジョンTV以上の解像度の液晶が搭載されてしまったというのは、やりすぎ、というくらいのオーバースペックであるからだ。

◆◆◆

これだけのオーバースペックというのは、他の会社であれば満足に扱いきれなかったかもしれない。
たとえば、日本の携帯電話会社が、かつてガラケーとしてリリースしていた機種は、当時のiPhoneなどよりも、解像度はよっぽど上であった。
ところが、携帯電話を構成する部品のうち解像度だけを飛び抜けて上げようとすると、どうしても描画が遅くなる。簡単にいえば、動作が「とてももっさりする」のである。

ところがAppleという会社は、それとは真逆の考え方をする。
機能や技術がどれだけ高いのかを誇るのではなくて、「ユーザーが使いやすくなるか」、「使った時にどれだけの喜びを提供できるか」と考えるのである。
そうすると、全体のバランスを整えてのち、製品をリリースするという流れになる。
一部の技術をオーバースペックのままにして、使い勝手を損なうということはしない、ということだ。

では今回、オーバースペックの液晶を搭載しながら、全体としてのバランスをどう保ったかといえば、これは非常にこまかなすり合わせをして、コンマmm単位で調整し、無駄を徹底的に省くことで、表面上はiPad 2と同じようなたたずまいにまで仕上げてきた、と考えるべきだ。
いま出ているレビューの中には、「見た目の変化がほとんどない、代わり映えのしないアップデート」という評価があったりするが、事実は逆である。
「地の滲むような努力の結果、見た目の変化をほとんど感じさせないところにまで完成度を高めた」と理解するのが正しい。

事実、分解記事をみると、ガラス、背面のハウジングといったところまでが、非常に細かく調整されて、強度を保ったままでより薄く作られていることがわかる。
それでも半信半疑の人は、iPad 2と新しいiPadのDockコネクター部分を見てほしい。
新しいiPadのほうは、内側がプラスチックから、ボディと地繋ぎの金属になっているのがわかる。こんなところまで合理化しているのである。

このような実に細かな工夫のおかげで、画面が高精細になったおかげで全モデルと比べて4倍もの負荷のかかる処理を、無理なくこなし、また駆動時間も10時間を保ったままの新機種を出すことができているわけである。

◆◆◆

ところで、個体としてのiPadが全体の細かな工夫によってオーバースペックを飼い慣らしたとしても、「新しいiPad」という機種が、今の時代からすればやはりオーバースペックであることは変わりがない。

ここまでの努力をして、こんな薄型のコンピュータに、大型のデスクトップ以上の高精細な画面を搭載してきたのはなぜだろうか。

わたしはそれを考えるために、この新しいiPadを買って、自分の手で使ってみることにした。

と言っても正直なところ、数日使うまでもなかったのだ。

なぜかといえば、理由は一つで、
「この高精細を活かせるようなコンテンツを何一つ持っていない!」
ということに気付かされた、これに尽きる。

◆◆◆

新しいiPadの画面の解像度は、デジカメの単位で言えば300万画素ということになる。
高画素化の進んでいるデジカメとしては、物足りないようにも思える画素数だが、手持ちの1000万画素のデジカメの画像を転送してみると、明らかに粗い。
というか、これまでに気づかなかった粗がありありと見えるようになってしまった。

当時はハイスペックだった200万画素のデジカメで撮った南米の写真は、見ていると眠くなる。それくらい、ボケボケである。

この液晶でみると、それだけに粗が見えてしまうのだ。

写真だけではない。
前に録画した映画も、前にスキャンした本も、全部ボケボケである。

さてこのように、新しいiPad、それに続くタブレット機器が、こういった高精細の画像を手にいれてゆくことになると、ユーザーはどのように感じるだろうか?

「もっと良いカメラにしなきゃ、もっと解像度の高いスキャンをしなきゃ。もっと画質の良い映画を買わなきゃ。」

そうなってゆくのが自然というものではないだろうか。

そうすると、作り手の姿勢だってもっと変わってゆかざるを得ない。
なにせ最高画質の動画をiTunesストアで買ってくると、女優さんの毛穴まで見えてしまうのだから、メイクさんだって気が気ではないだろう。
文字を小さくしてもちゃんと読めるということになると、書籍のあり方も変わってくる。
なにしろ、iPad 2時代には拡大しなければ読めなかった新聞が、今回はそのままで読めるのだから。

◆◆◆

Appleが意図したかしていないかは判然としないながら、多くの人達に行き渡るコンピュータが、ここまでのオーバースペックを搭載したということは、ひとつの画期性のある事実である。

この変化は、「解像度が4倍になった」というただの量的な変化ではなくて、「読めなかったものが読めるようになった」、「見えなかったものが見えるようになった」、「ごまかせていたものに手を加えねばならなくなった」、「これまでにはなかった市場が生まれた」、そういう、質的な変化を導くものだ。

であれば、ものづくりに携わっている人間は、この容器にあわせて中身(コンテンツ)を作るためにはどうすればよいか?と考えを進めてゆかなければならないことになりそうだ。
人間の「飛びたい!」という意志が、有人飛行を可能にしたことは確かであり、そういった意志の力はなんら軽視すべきものではないけれども、より大きな観点から言えば、技術の進展が、人間の意志に先行しているように映る場合もありうる。
(もちろん、技術そのものにはその当事者の目的意識が働いているので、技術が自然に発生したと理解してはならない。「目的意識が行動に先行する」、つまり人間は動物と違って目的的に対象に向きあう、という、人間の本質的な原則はここにも貫かれている。)

技術が、そこに培われる文化を引っ張ってゆくことは、こういった質的な変化が起きた時には、逃れられない必然性を持っている。

◆◆◆

スペック表を睨めっこするのが好きな人たちは、合理主義をきどって解像度がすごい、0.6mm分厚い、とかいったスペックシートばかりにかじりついているかもしれないが、科学的というのはなにも、ものごとを数字で理解するという姿勢ではないのであって、そこには必ず、ありのままの事実からものごとを考える、という姿勢が貫かれていなければならない。

そういうわけで、このiPad、オーバースペックだけに、まだコンテンツがまるで追いついておらず、ある意味では時期尚早ではあるけれども、借りるか、お店で見るかなりして、ぜひとも体験しておいてほしい。

わたしは「衝撃」などという仰々しいことばは今まであまり使ったことがないと思うけれど、この機械にはそう表現するだけの中身がある。
これからのコンテンツのあり方、関連する機器のあり方を変えてゆくものだ。
見た目の変化に惑わされてはいけない。

画期性というのは、誰にとってもあとからじわじわと知られてくる。
それでも、気づいた時にはその変化は、もう追いつけないところにまで進んでいるものだ。


◆余談◆

さいごに、本文から逸れることだけど、ほかに思うところ。
ほんとうのファンというのは、実に率直で時には手厳しいものだと思うので、原則を守ることにする。偽物のファンは、作り手の失敗を擁護し甘やかし、ともに沈む。

・画面は高精細になったが、彩度が変に高すぎる。発色が鮮やかなのと、高品質(発色が自然)なのとはまったく違うことなのだが…。もっとも、Appleのディスプレイはどれも色再現性にはむらがあり無頓着のようなので、もう諦めた。iPad 2のディスプレイは良かったので、第4世代では改善してくれるといいのだけど。

・iPad 2の時も思っていたけども、スピーカーの配置はどうにかならないんだろうか。後ろ向きについたスピーカーというのは、音楽をだれに聴かせるつもりで付けたのだろうか?Appleは失敗から学べる組織だと思うので、次は素直にホームファクターを変更してもらいたい。

・わたしは初代も2もブラックを買ったけど、今回は学生さんと被らないようにホワイトにした。だって、みんなおんなじ色のiPhoneとiPadを持ってるんだものなあ。誰のかわかんなくなって実に困る。動画を観ることが多いなら周辺視野の問題でブラックがいいけれど、読書に使うことが多い人はホワイトが良いでしょう。

2012/03/18

どうでもいい雑記:レイアウトを選べるようにしました

表題のとおりですが、


Blogのレウアウトを手動で変更できるようにしました。

難しいことはわからん、内容がわかればそれでいい、という人は無視してください。

Blog名の下に並んでいるレイアウト形式は左から、以下のようになっています。
・RSS…ニュースサイトを閲覧しやすくする形式。各種ニュースリーダをお使いの方に。
・フルサイズ…Mac&PC、iPadなどのタブレット機器をお使いの方に。
・スマートフォン…iPhoneやAndroidなどのスマートフォンをお使いの方に。
・携帯サイト…旧来型の携帯電話、いわゆるガラケーをお使いの方に。

◆◆◆

なぜにいろいろと表示形式を用意したのかというと、当Blogが使っているBloggerというサービスでは、みなさんの使用している機器の種類を調べて、それにあわせたレイアウトにしてくれるのですが、それがかえって気に入らない場合もあるのではないかなと思ったからです。

わたしは、仕事ではノート型Mac、個人的なことにはiPadを主に使ってWebを見るので、「フルサイズ」形式しか見たことがありませんでした。

しかし最近、MacやPCなんかでWebを見るという人は、めっきり減ってしましました。

スマートフォンやクラウドサービスも花ざかりですから、「Webにつなごう」という意識を働かせる前から、すでに繋がっているのが当たり前なのですね。

この前会った友人が、iPhoneのホーム画面にショートカットのアイコンを登録してくれているのを知って(ありがとうございます)、そういえば、パソコンを持ってない人も多いものなあと改めて思ったのです。

iPhoneからみると、Blogger側が端末に合わせて自動的にスマートフォン向けレイアウトに変えてくれるのですが、その合わせ方がかえって気に入らないという場合はちょっとめんどくさい。
ページを一番下までスクロールしてから「ウェブ バージョンを表示」を選ばねばなりませんから。

そういうわけで、スマートフォンでもフルサイズで表示して、自分の手で拡大しながら読み進めたい、という人は他のレイアウトも試してみてください。

◆◆◆

ところで、わたしがウェブのデザインなんかをやっていたときには、作り手側が「こう見て欲しい!」という表現をいかにそのままに受け取り手に伝えるかを考えていたものです。

ところが今では、発信したものをどう表示するかは、それを受信したクライアントによって決まる、というのがふつうになりました。

たしかに、Webをあらゆるサイズの機器で閲覧できるようになると、相応しいレイアウトもそれに応じて決まってきます。
デスクトップ版のレイアウトを、そのまま縮小してスマートフォンに表示しても、おそらくまともにタップできないようなインターフェイスになってしまいます。
Flashが事実上の死亡宣告を受けたのも、Appleの陰謀というよりも、こういった時代の流れを受けてのことだと、主だった原因を理解すべきなのかもしれませんね。

しかし、こういう変化が訪れるというのは、10年も前にはまったく想像もできなかったことです。それも、作り手の当事者側からすれば、変化に気づくことの出来る可能性はまったく閉ざされていたと言ってもよいと思います。
わたしたちはFlashの盛衰も、Windowsの盛衰も、Appleの盛衰も、どれもまったく予想できなかった。明らかな変化に気づいたのは、それが誰にも引き返すことの大きな流れになってからでした。

ゆく川の流れは絶えずして、とは卓抜な真理の把握だと思うのですが、ゆく川がいったいどこに流れ込んでいるかというのは、流されている本人たちにはどうしても判別のつかない事柄なのですね。

2012/03/17

文学考察: 屋上の狂人(修正版)

来てしまいました。


千尋の谷コメントです。


◆文学作品◆
菊池寛 屋上の狂人

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 屋上の狂人(修正版)

身体に障害を持っている狂人、「勝島義太郎」は毎日屋根の上に上がって雲を眺めていました。彼曰く、その中で金毘羅さんの天狗や天女等の神、或いはそれに類するものたちが踊っており、自分を呼んでいるというのです。そうした彼の様子に、父親である「義助」は手を焼いていました。
そんなある時、彼らの家の隣に住んでいる「藤作」がやってきて、昨日から島に来ている「巫女」に義太郎を祈祷してもらってはどうかと、義介に提案します。もともと義太郎の狂人的な性質は狐にとり憑かれている為だと考えていた彼は、早速巫女に祈祷を頼みます。そして彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の身体にのりうつり、青松葉に火をつけて義太郎をいぶしてやれというお告げをしました。そこで義助は彼を可哀想に思いながらも、彼の顔を煙の中へつき入れます。そんな中、義太郎の弟、「末次郎」がたまたま家へと帰ってきました。彼は義助から一切を聞くと憤慨し、燃えている松葉を足で消してました。そして、自身を巫女と名乗っていた女を「詐欺め、かたりめ!」と罵倒し、追い払います。こうして兄は弟に救われ、再び屋根の上にあがります。そして兄弟は互いをいたわりながら、夕日を眺めるのでした。
 
この作品では、〈現実とかけ離れ、神々の世界に憧れを抱くあまり、かえって自分がそのような人物になってしまった、ある狂人への皮肉〉が描かれています。 
この作品では、狂人である義太郎をめぐって、物語は展開していきます。そしてその中で重要になってくるものが、神の存在です。というのも、巫女と名乗る女は、自分は自分の身体に金毘羅さんの神様をおろすことができ、それによってお祓いができるのだと主張していました。そして、こうした彼女の主張を周りの人々は信じ、彼女の言うがままに義太郎の顔を煙におしつけてしまいます。ところが、末次郎だけはそんな彼女の胡散臭さを一見して見破り、「あんなかたりの女子に神さんが乗り移るもんですか。無茶な嘘をむかしやがる。」と述べています。そしてこのように断定している彼の主張の裏には、どうやらはっきりとしたそれはなくとも、神というものの像が朧げながらもあるようです。物語のラストで、彼は兄と話している最中、「そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや」と言っています。つまり、彼は狂人たる兄の中に、彼が考えている神の一面を認めているのです。
では、彼は兄のどのようなところに神的な性質を認めているのでしょうか。そもそも、義太郎は屋根の上に登って、現実とはかけ離れた神の世界に憧れを感じるあまり、それが見えると発言していました。物語のラストでも、彼ははやり屋根に上がって、自分達とは違う世界の出来事を覗いています。そして、こうした義太郎と同じ見方を、違う立場から行なっている人物がいます。それが末次郎その人です。
現実と関わりを持ちながらも、そこで何が起こっていようと、またどれだけ自分が巻き込まれようとも、次の瞬間には自分の世界へと戻っていく兄に対して、末次郎は彼が全く別の世界を生きている印象を受けているからこそ、「あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや」と述べているのです。つまり彼が考えている神とは、巫女の神の様に現実に干渉せず、関心をよせず、ただ自分達の世界に没頭しているものということになります。ですから、彼ははじめから巫女の主張を信じず、兄を救うことが出来たのです。

◆わたしのコメント◆
前回のコメントを受けて、論者は一般性を書きなおしています。
〈現実とかけ離れ、神々の世界に憧れを抱くあまり、かえって自分がそのような人物になってしまった、ある狂人への皮肉〉
結論から言って、少なくともこの表現をそのままに受け止めた時には、これは大きな誤りです。
論証部を見れば、作品理解は悪くないというのに、どうしてこのような誤り方になってしまうのか理解に苦しみますが、理由となっているのはおそらく次のような心情からなのだろうな、と見做されるのが当然です。

「かえって」や「皮肉」といったフレーズを、作品に押し付けて解釈したくてたまらない。

これらはどちらも、<対立物への転化>を日常言語で表現するときに、わたしが使ったことのあることばですが、フレーズだけを丸暗記して誤った文脈にも適応してしまうと、実に滑稽なことになってしまうものです。

◆◆◆

論者の作品理解にたいしての姿勢には、まずはそのような誤り、というか過ちがあるように映りますが、そのことを念頭においた上で一般性の表現を見た時には、大きく2つの誤りが浮上してきます。

ひとつには、この物語はなにも、義太郎が狂人になった「過程」を描いているのではありません。
神に憧れるあまりに自分が狂人となってしまった、などという記述はいったい本文のどこを探せば出てくるのだろうか?と首をかしげてしまいます。

もうひとつは、「ある狂人への皮肉」とあることについてです。
正気を保っている弟とともに夕日を見据える兄の姿の、いったいどこに「皮肉」なるものがあるのでしょうか?
素直に見れば、感動的なシーンで終わっているようですが…。

おそらく、「皮肉」という言葉の意味をまったく理解していないということでしょう。
この場合には、そう受け止めることくらいでなければ筋がとおりませんから。

◆◆◆

しかし、一般の読者をまったく呆れ返らせてしまうほどの一般性はともかく、論証部については前回の指摘を受けていて、それなりに的を射ています。

そうすると、なんだかおかしいな?一般性はめちゃくちゃなのに作品はいちおう理解できているようだ、との疑念が起こります。
そうしたうえで、気持ちを落ち着かせてもう一度一般性を読むことにすると、違った見方ができてきます。
〈a)現実とかけ離れ、神々の世界に憧れを抱くあまり、b)かえって自分がそのような人物になってしまった、c)ある狂人への皮肉〉
わたしは上での理解で、a)とb)とが、c)に掛かっているものとして理解しました。
そうすると、「神に憧れを抱くあまりに度が過ぎて狂った狂人」という意味になります。

しかし実のところ、ここはおそらく、c)にかかるのは、a)だけなのだ、ということなのでしょう。
そうすると、「神に憧れを抱く狂人」となります。

それでは、b)「かえって自分がそのようになった」とは何なのか?となりますが、ここはおそらく、「末次郎」の視点から、兄を見た時の有様がそう見えた、ということなのではないでしょうか。
そうするとこの一般性は、「神に憧れを抱いている狂人は、実のところ最も神に近かったのだ」、などという意味になってもおかしくありません。

◆◆◆

もっともそれでも、「皮肉」という謎の言葉が含まれていますが、ここもおそらく、「末次郎」の視点から見て、「巫女よりも兄のほうがむしろ神に近いといえる」という意味合いを含めたかったのだろう、ということになりそうです。
おそろしい努力で行間を読んだうえで敷衍すれば、という条件付きですが。

とにかく、どのようなことが書きたかったのであれ、読者にここまでの努力を要する一般性などは、書くべきではありません。
言うまでもないほど当たり前のことです。

一般性というのは、その作品の本質を、過不足なく一言で引き出したものなのであって、読者はたとえ難解な作品に立ち会った時にでも、その一般性さえ参考にすることが出来れば、大きな手がかりとともに安心して作品を理解してゆくことのできるもの、であるべきなのです。

論者がいくら作品を理解できていたとしても、そのことはひとつの表現をとって表明されざるを得ません。
わたしたち人間には、以心伝心ということはあり得ませんから。
そうすると、ひとつの表現を作るときには、必ず、それを見る者がどう見るのか、を踏まえておかねばならないのです。

偉大な内容を持った哲学書のように、抽象度の高い概念が用いられているために、読む者がそれ相応の資質を兼ね備えていなければならないこともありますが、少なくとも日常言語で議論できる範囲の表現について、読者を無駄な徒労に終わらせるような表現は、最大限の努力でもって、あらかじめ排除しておくべきです。

そのことも、文字を使った表現をする人間の責務です。
能力が足りずに悪文になってしまうというのなら許されますが、能力があるのに配慮が足らずにできてしまった悪文は、ひとつも良いところのない、ただの悪い文章です。そしてそれは、作家の人格を傷つけることになります。

自分がいったん書き終わった文章を、読者の立場に立って、「いったいどう読まれるだろうか?」ということを、しっかりと確かめながら読みなおして修正してゆくことを怠ってはいけません。
ダメな文章を読んで、この人はきっと人格もダメなのだろうと判断されたからといって、作家には反論できる余地はないのですから。

その立場に立っても、なおのこと、伝えなければならない内容を持っている箇所については、一般的でない表現を使うことも当然ながら許されており、有効なのですが、それはあくまでも土台がしっかりとできてからの、細かな技法の話です。

しっかりと自省して、ゆめゆめ忘れぬようにしてください。

◆◆◆

さて、ではこの作品はどう読まれるべきだったのでしょうか。

論証部では論者も理解しているように、この作品は結局のところ、巫女の言う「神」と、狂人である義太郎が見えているという「神」とをめぐっての、末次郎の考察が焦点です。
彼は、神を語る巫女の茶番を目にしたことをきっかけにして、ほんとうの意味での「神」とは、いったいどういうものなのだろうか?ということを考えているのです。

末次郎が、兄である義太郎を巫女の口車にのって火で燻そうとする家族たちをたしなめて、巫女を追い出したあとの描写を見てみましょう。この作品では、もっともさいごの部分に当たります。
義太郎 (狂人の心にも弟に対して特別の愛情があるごとく)末やあ! 金比羅さんにきいたら、あなな女子知らんいうとったぞ。
末次郎 (微笑して)そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。(雲を放れて金色の夕日が屋根へ一面に射しかかる)ええ夕日やな。
義太郎 (金色の夕日の中に義太郎の顔はある輝きを持っている)末、見いや、向うの雲の中に金色の御殿が見えるやろ。ほらちょっと見い! 奇麗やなあ。
末次郎 (やや不狂人の悲哀を感ずるごとく)ああ見える。ええなあ。
義太郎 (歓喜の状態で)ほら! 御殿の中から、俺の大好きな笛の音がきこえて来るぜ! ええ音色やなあ。
(父母は母屋の中にはいってしまって、狂せる兄は屋上に、賢き弟は地上に、共に金色の夕日を見つめている)
◆◆◆

わたしたちは、この作品を理解するにあたって、この箇所で、末次郎はいったいどんなことを考えていたのか、ということを読み取ってゆかねばなりません。

まず前提としては、神をめぐる2つの立場がありましたね。
巫女にとっての神というのは、神がかりで口寄せした上で民衆から金銭を得るための手段です。
それに対して、義太郎にとっての神というものは、寝食を忘れてまでも没頭する価値のあるほどの対象です。

どこが違うのかといえば、義太郎は、狂人であることによって、世慣れた者のきな臭さから解放されているという意味で、非常に純粋な存在であるわけです。

同じ神を語るときにも、金づるとして騙るという姿勢と、狂っているとはいえ本心からそれを有り難がる姿勢とは、いったいどちらが本当の信心というものなのだろうか?と、末次郎の脳裏には新たな疑問が宿りつつあります。

この物語の最後では、義太郎と末次郎がひとつの夕日を並んで眺めて終わりますが、そのときの末次郎の様子をもう一度書き抜いてみましょう。
末次郎 (やや不狂人の悲哀を感ずるごとく)ああ見える。ええなあ。
ここで、「(やや不狂人の悲哀を感ずるごとく)」というのは、いったいどういう意味なのかがわかりますか。

「狂人の悲哀」なら話はわかりやすいですね。
事実、家族たちも、狂人の義太郎がいることによって、苦労してきた様子が描かれているほどです。
徹頭徹尾兄の味方を堅持する末次郎も、少なくとも最後のシーンまでは兄の狂気については積極的な意味を見出してはおらず、「自分の兄はたしかに狂人だが、それでもかけがえのないひとりの兄であることに変わりはない」などというふうな姿勢で、義務感から兄のことを見守っているのです。

しかしここでは、「不狂人の悲哀」、とあるのです。
これはつまり、狂っていない人間にこそ、かえって目に見えにくい悲哀があるものなのだ、ということを感じ入っているということになりますね。

彼の念頭には、あれだけの不理解を被った兄が、騒動が済んだと見るや、なんの遺恨もなくあっさりとそのことを忘れたように、また屋根に登って神と対話しているということが、より印象深く刻まれているのです。

そうしてそのことは、衆目からすれば狂人と見られる兄と、霊媒師の口車にのって常軌を逸した方法で彼に接しようとした周囲の人間たちとは、いったいどちらがほんとうの意味での狂気なのだろうか?という疑問にも繋がっているのです。
だからこその、「不狂人の悲哀」なのです。

それでも、自らは賢い常人、つまり「不狂人」なのですから、「狂人」である兄のことは、心底理解し尽くしたいと思っていたとしても、到底理解し得ない壁は消えることはないのです。

そうであればこそ、末次郎の「ああ見える。ええなあ。」ということばが、超えられぬ隔たりの存在を知りながらもなお、いまこの時点では兄と並んで、同じ物を見ているのだ、という実感として現れているわけです。

さらに言うならばそのことが、「金色の夕日」という一語として象徴的に表され、読後の余韻を深く残す効果に繋がっているのです。

◆◆◆

どうですか、この物語をどう読めばいいかがしっかりとわかってきましたか。

末次郎の立場に立って、狂人だけだとばかり思い込んでいた兄のなかに、新たな面があったことを見つけ、彼とともにしみじみと夕日を見つめているという情景が描けているでしょうか。

わたしは前回のコメントで、この作品では、巫女の茶番について書かれているところは、彼女がいわば引き立て役となった喜劇的な表現だと言いましたが、そのことと、感動的なさいごのシーンが明確な対比を産んでおり(相互浸透)、そのことがこれほどまでの読後感となって現れているのです。

一般性についても書いてしまおうかと思いましたが、ここでは書かないでおくことにします。
神についての対照的な立場を主眼に置けば「相互浸透」、事件をきっかけに兄弟の仲が深まったことは「量質転化」、狂気が正気に通じているというのは「対立物への転化」、などなど、法則性はいくつか見つかりますから、そのどれを一般性として表すかというのは、なかなかに難しいものがあると思います。

しかしそれでも、しっかりと理解しておく必要のある作品であることには変わりがありません。
それだけにこの作品は、立体的な構造を持っているからです。

焦る必要はありませんから、後回しにしてでもじっくりと物語に取り組んで、論者自身の手で書いてもらえることを願っています。


【誤】
・無茶な嘘をむかしやがる。
・彼ははやり屋根に上がって、

2012/03/16

文学考察: 大島が出来る話ー菊池寛 (2)

(1のつづき)


さて、前回の記事では、夫人が亡くなったことによって、あれだけ望んでいた大島を手に入れることになった譲吉の気持ちを考えてみてほしい、と言っておきました。

今回の記事は、その答え合わせです。

では改めて、譲吉の立場に立って、彼がここでどのような感情を抱いているのかを考えてみましょう。それは、こういうものではないでしょうか。

夫人が、自分の考えているよりはるかに、遺物を贈るほどまでに、自分自身のことを考えていてくれたという感謝の念。
自分があれだけ欲しがっていた大島が、大恩のある人物の死によってもたらされることになったという皮肉。
「与えられる」という立場に純粋なまでに徹しようとした、その前提は、夫人が生きていればこそであったということにはじめて気付かされたという動揺。

見方によっては、ここから譲吉のなかに、「与えられる」だけの立場に徹することでなく、他になんらかの恩返しがあり得たのではないだろうか、といったやるせなさを読み取っても、間違いではないでしょう。

これらの感情すべてを受け止めてはじめて、わたしたちは物語を理解したのだという意味を込めて、「譲吉は「複雑な気持ち」を抱いていたのだ」、と表現することができるのです。

この短編から読み取れる範囲は限られているものの、少なくとも考えられるこのような心情理解から、彼の感情が複雑であるということをふまえるならば、この物語は、<大恩を受けた人物の死によって、思いもかけず求めていたものが手に入ることになった皮肉>を描いている、などとするのがよさそうです。

論者の引き出した一般性には、この作品が持っている「皮肉」という構造の指摘が欠けています。
また論証部には、「複雑」と表現した譲吉の内面についての細かな記述が欲しかったところです。

◆◆◆

さて余談ですが、――とわたしが書くときは、以前からの読者の方は「これから難しい話が始まるぞ」と背筋を伸ばすところかもしれませんが――評論の文中に注意が必要な表現があります。

評論のなかに「頂く」という表現が2ヶ所ありますね。

論者の使い方を見ると、これは、物語中の「譲吉」が、「近藤夫人」から恩や遺物(かたみ)をもらった、ということを意味する謙譲語です。ところが謙譲語は、自分がへりくだることで相対的に相手の立場を自分よりも上に置くためのことばですから、基本的には、直接相対している相手にしか使えないと考えるべきです。
評論では、目の前で繰り広げられる情景を、論者が第三者の視点から眺めているという位置づけにありますね。そうすると、論者が物語の当事者ではなく、第三者である以上、謙譲語を使うのはふさわしくない、ということになるのです。

文法的な説明では難しいでしょうか。
それでは、ということで、同じような意味合いを持つ言葉に、「頂戴する」ということばがあることを思い出してください。それを評論中の表現と置き換えてみて、「譲吉は近藤夫人から学資を頂戴していました」としてみてください。
どうですか。違和感があるでしょう。謙譲語をこのように使うのは特殊な場合で、この表現だと「盗人がどこそこの家からものをくすねていた」といったような意味合いを持ってしまうことがわかるのではないでしょうか。

敬語にも、あまりも過度に相手を敬い過ぎてかえって失礼になるという「慇懃無礼」という現象がありますね。(対立物への転化)
謙譲語にも、ふさわしい文脈でないのにへりくだることによって、おかしな言い回し、ふざけた言い回しになってしまうことがあります。

◆◆◆

わたしたちは、ある言語表現を読むときに、それまでに無数の言語表現に触れたという経験を抽象するかたちで、対象化された観念として規範を作り出し、それに照らして新しい言語表現を受け取ります。
規範の確からしさ、像の深さは人によって違いますが、いちおうの日本語話者であれば、たとえば留学生の使う日本語について、やや不自由だなとか、うまく指摘できないけれども違和感があるな、といったふうに受け止めることができます。

あの認識は、一般の人の場合であれば「あれ、ここおかしいな?」、「なんとなく変だな?」という感性的な段階に留まっています。
さらに、専門家であっても、あらゆる文章の細部にわたって理性の光を照らして読むわけではありませんから、誤りに気づくというのは、感性的な認識による場合がほとんどです。
ただ一般の人との違いは、それが感性的であっても、感性のレベルが高まっている、技化されているのだ、というところです。
(ここでの技化は、おおまかに言って、経験主義者ならば感性から感性へのレベルの高まり、理論家ならば感性から理性を媒介としての感性的な高まり、ということになります。)

ですから、こういう場面において、細かな誤りを正してゆけるかどうかを判断する力は、あらゆる文章を浴びるように読む、という経験があるかないかがものを言うことになるわけです。

ところが、ある文章表現の誤りに気づいたり、違和感を覚える表現について、正しい理解をもたらすには、言語がもっている大掴みな原則を把握しておくことも重要です。
三浦つとむが指摘していたように、言語表現を正しく使うためには、また根拠を持って使うためには、認識論の力が必要なのです。

認識論は難しいし習得に時間がかかるので学びたくない!という人は、数えきれないほどの言語表現に触れる中で経験的に言語についての感性的認識(いわゆる言語のセンス、国語力です)を磨くしかありません。
しかし「急がば回れ」(否定の否定)こそ本質的な力をつけることをご存知のみなさんは、巨人の肩に乗る、ということを考えてみてください。

◆◆◆

手引きは、以下のとおりです。

・三浦つとむ『こころとことば』(前にも書きましたが、著作権の関係で挿絵を収録出来なかった新版に比べて、旧版のほうがわかりやすいです。1977年版のほうを、Amazonの中古品や日本の古本屋で求めるとよいでしょう。)

学習が進めば、以下のものに取り組めると思います。難しいかもしれませんが、認識論を学ぶにあたっては避けて通れません。

・三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部』
・三浦つとむ『日本語はどういう言語か』


(了)

2012/03/15

文学考察: 大島が出来る話ー菊池寛 (1)

贔屓目かもしれませんが、


急に良くなった印象がありますね。論者の日本語表現が。
ただ、全体が整った反面、逆に(相互浸透のかたちで)まずいところも浮かび上がってきた、というところもありますけどね。
(この前はひとつずつの接続詞にしっかりとした意味合いをもたせよう、と言いましたが、次は語尾(「〜です」、「〜ます」、「〜た」など)について、同じものが続かないように工夫をすると、よりこなれた文章になるでしょう)

人に何かを教えたりしている人ならわかってもらえることと思いますが、教えている相手をずっと見ていると、内心ドキッとすることがあります。
それは、その当人を見て、まるで自分自身の姿を見ているかのような錯覚にとらわれることがあるからです。

刀の振り方や絵筆の持ち方、走り方といった技に直結することだけならまだしも、歩き方や立ち居振る舞い、笑い方なんかが似てくると、なんとも気が気ではない、という気持ちになってきます。
こういうときは、「なるほど、これが相互浸透のひとつのありかたか」、「これが目的的に対象に向きあうということか」、「これが量質転化か」と法則が実感を伴って自分の腑に落ちてくる瞬間でもあるのですが、それと同時に、「いい加減な振る舞い方をしているとそれも真似られてしまう!」という恐ろしさがあるものです。

以前に友人から、その人が師事している方が、「もう怖くて赤信号も渡れないよ」とこぼしていたという話を聞いたのですが、これは指導者としては、実にもっともな実感だろうなと思われます。
だって、どこで誰が見ているかわかりませんからね。

わたしはこのBlogなんかではまだ大人しくしているほうで、実際に会うときには自分が不利になるようなことまであけすけな人間、で通っているようです。
それでも実際にはとくに不利益を被っていないということは、あけすけにしゃべっているその相手に恵まれているのだ、と理解すべきところでしょうか。

有り難い話です。

最近はどうでもいい雑記も書けていないからか、話が逸れました。
背筋を伸ばして、今日の評論を見てみましょうか。


◆文学作品◆
菊池寛 大島が出来る話


◆ノブくんの評論◆
「譲吉」は高等商業の予科に在学中、故郷にいる父が破産して退学の危機に直面したことがあります。そんな彼を救ってくれた人物こそ、同窓の友人の父、「近藤氏」だったのです。以来、彼は「近藤夫人」の手から学資を頂いていました。そして、学校を卒業して社会人になっても彼と彼女の関係は変わることはなく、譲吉は何かあると近藤夫人を頼り、彼女は彼女で彼の欲しがるものを与えていました。ですが、そんな彼でもたったひとつだけ手に入らないものがありました。それが「大島絣の揃い」でした。彼は大島を買いたいとは思いつつも金銭の問題から購入には至らず、それを買う機会を次第に失っていきます。
そんなある時、譲吉は電報でお世話になっていた近藤夫人が突然亡くなったことを知ることになります。これまで彼の生活を影で支えていた人物の死を聞いて、譲吉の心には大きな穴が開いてしまいます。
そうして途方に暮れているある日、彼は近藤の家の人々から夫人の形見である大島を頂きました。念願の大島に彼の妻は大喜びしました。彼も妻と同じく大島を手に入れたことに多少の満足は感じていましたが、素直に喜べない様子。どうやら、彼は恩人の近藤夫人から大島の揃いを得たことに対して、複雑な心情を抱いているようです。では、一体それはどのようなものなのでしょうか。
 
この作品では、〈感謝の気持ちがあり過ぎるあまり、かえって一番欲しかった贈り物を喜べなくなってしまった、ある男〉が描かれています。 
この作品のラストでは、近藤夫人からもらった大島の揃いに対して、譲吉と妻の心情が対照的に描かれています。妻は素直にそれを「いい柄だわね、之なら貴方だって着られるわ。直ぐ解いて、縫わしにやりましょう。夫とも、一度洗張りをしなければいけないでしょうか。」と、素直に喜んでいましたが、当の譲吉はどうだったでしょうか。「一生の恩人である近藤夫人を失って、大島の揃を得た譲吉の心は、彼の妻が想像して居る程単純な明るいものとは、全く違って」いました。そもそも近藤夫人と「与えられる」関係にあった彼は、日頃から彼女に対して感謝の念を抱いていました。そんな彼のもとに大島の揃いが、彼女の形見として送られてきたのです。形見というからには、当然これは彼女が死ななければ手に入らなかったものであり、幾ら彼にとって欲しいものだったとは言え、素直に喜べるはずもありません。まさに彼は、彼女への感謝の気持ちがあったからこそ、その時の彼にとって、最大の贈り物であったであろう大島の揃いを受け取っても喜べず、複雑な気持ちにならなければならなかったのです。

◆わたしのコメント◆
※コメント中、「夫人」とすべきところが「婦人」となっている箇所を訂正しました。

あらすじは論者のまとめてくれているとおりです。

主人公である「譲吉」が、学生のころから親身になって公私ともに支えてくれたのは、「近藤夫人」その人でした。彼が結婚できたのも夫人のはからいによるものが大きいのですが、そうして生活が落ち着いたのちにも、譲吉は、「大島絣(がすり)の揃」だけは手が届かなかったのでした。しかしその願いは、あることと引き換えにして叶うことになったのです。

論者も認めているとおり、この物語の焦点は、物語の後半部の譲吉の心情です。
譲吉の手に大島が渡ることになったのは、夫人が亡くなったのと引き換えに、彼女の遺物(かたみ)として送られたからなのですが、そこでの譲吉の心情を読み解くことができれば、物語の要点を押さえたことになるでしょう。

夫人の葬儀が終わり、帰宅した時思いもかけず夫人の遺物が届けられていたところを見てみましょう。
彼は妻よりも、一足先に家へ這入った。如何にも妻が云った通り、座敷の真中に、女物に仕立てられた大島の羽織と着物とが、拡げられて居た。裏を返して見ると、紅絹裏(もみうら)の色が彼の眼に、痛々しく映った。
「いい柄だわね、之なら貴方だって着られるわ。直ぐ解いて、縫わしにやりましょう。夫とも、一度洗張りをしなければいけないでしょうか。」と、続いて這入って来た妻は、大島を手に取って、つくづくと眺めて居る。
譲吉も、自分達の望んで居た、大島が出来た事に、多少の満足を感ぜぬわけには行かなかった。が、一生の恩人である近藤夫人を失って、大島の揃を得た譲吉の心は、彼の妻が想像して居る程単純な明るいものとは、全く違って居た。
子供もできて入り用だからと諦めていた大島が、思いもかけず手に入ったことを、譲吉の妻は素直に喜んでいます。
それとは対照的に、譲吉には複雑な気持ちが宿っているのですが、論者はそれを一般性として、こう整理しています。
〈感謝の気持ちがあり過ぎるあまり、かえって一番欲しかった贈り物を喜べなくなってしまった、ある男〉
◆◆◆

これはこれで、いちおうの正しさがあるのですが、把握の仕方がやや単純で表面的です。
なぜかといえば、恩人が亡くなった代わりにその人の遺物を手に入れたのなら素直に喜べない、というのはごくふつうの感情だからです。
物語の一般性というのは、その物語の文学の中で持っている特殊性を明らかにしなければなりません。(相互浸透)

夫人の生前、譲吉は、「近藤夫人に対して、何等の恩返しもしなかった」し、「恩返しなども、少しも念頭に置かなかった」のです。
その理由というのは、ひとつには、恩返しというものが利己的な理由に基づいているという理解と、もうひとつは、恩を返すというからには、相手に何らかの事故がない限り叶わないということでもあり、そのことは恩人の有事を望むことにも似ている、という理解からだったのです。

そういうわけで、譲吉は、近藤夫人にたいして、「ただ夫人の恩恵を、真正面から受け、夫に対して純な感謝の情を、何時迄も懐いて居りたいと」思っていたのでしたね。

譲吉は、夫人にたいしてこれ以上ない恩を感じていましたが、そう感じているからこそ、自分の下手な工夫で恩を返したつもりになって満足してしまうということが、何よりも怖かったのです。
そのことは裏返し、譲吉が、夫人から受けた恩というものが、どうしたって返すことのできないほどに大きなものであり、自分の身勝手で汚すことだけは許せないというほどに尊いものだということを認めていたわけです。

なくなる前日まで、夫人が譲吉のためを思って、彼の子供のための産衣を用意してくれていたことを知った譲吉が、どのように感じ入っていたかを見てください。
譲吉は、夫人が最期のその日迄、譲吉の事を考えて居たことを思うと、彼は更に云いようのない感謝に囚われた。
彼は押し戴くようにして、近藤夫人の最後の贈物を受け取った。
どうですか。
ここまででも、もはやことばにできないほどの感謝の念を抱いている譲吉の姿がわかるでしょうか。
彼自身の身になりきって、自分のことのように捉え返せているでしょうか。

しかも実際には、贈物は、これで最後ではなかったのです。
彼女の遺物までもが、譲吉に贈られてきたのですから。

譲吉の立場に立って、彼がここでどのような感情を抱いているのかを考えてみてください。
論者はその心情を「複雑」だと述べていますが、そこにはどのような内容が含まれていたのでしょうか。
考えつくかぎり挙げてみてください。答えは明日の21時に公開することにしましょう。

(2につづく)

2012/03/13

文学考察: 屋上の狂人ー菊池寛

今回の物語は、


なかなか面白い話ですね。

わたしは笑いながら読みました。
みなさんはどんな風に読むでしょうか。
読み進める姿を傍からみると、当人の理解度が窺い知れる、そんな物語です。
論者はどうだったでしょうか?


◆文学作品◆
菊池寛 屋上の狂人


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 屋上の狂人ー菊池寛
狂人であり自身の体に障害を持っている勝島義太郎は、毎日屋根の上に上がって雲を眺めていました。彼曰く、その中で金比羅さんの天狗が天女と踊っており、自分を呼んでいるというのです。こうした彼の様子に、父である義助は日頃から手を焼いていました。彼は息子の体には狐か、或いは猿が取り付いており、それが義太郎を騙しているのだと考えている様子。
そんなある時、彼らの家に近所の藤作が訪ねてきました。彼はよく祈祷が効く巫女さんが昨日から彼らの島に来ているので、一度見てもらってはどうかと義助に提案してきます。そこで彼は早速巫女に祈祷してもらうよう依頼します。そして、彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の体に宿り、木の枝に吊しておいて青松葉で燻べろ、というお告げを義助らに残しました。そこで彼らは気はすすみませんでしたが、神様のお告げならばと、義太郎に松葉につけた火の煙を近づけます。そんな中、義太郎の弟である末次郎がたまたま家に帰って来ました。彼は父から一切を聞くと憤慨し、松葉についた火を踏み消しました。そしてその発端をつくった父に対して、兄は狐の憑依でこうなったのではなく、治らない病によって狂人になっていることを説明し、巫女を帰しました。こうして兄は弟に救われ、再び屋根の上に上がります。そして兄弟は互いをいたわりながら、夕日を眺めるのでした。
 
この作品では、〈長男の病気が治らないという事実を、自分たち為に自分たちの物語を付け加えて捉えなければならなかった父親と、当人の為にありの儘に捉えようとする次男〉が描かれています。 
この作品で起こっている事件というものは、あらすじの通り勝島家の長男である義太郎の狂人的な性質を中心に起こっています。そして、その性質に対する登場人物の考え方というものは大きく分けて2つあり、彼らはこのどちらか一方を採用しています。ひとつは、義助達が主張しているひ非現実的な狐憑依説。もうひとつ、弟の末次郎の主張する現実的な病気説。では、これらの考え方には具体的にどのような違いがあるのでしょうか。
まず義助が採用している狐憑依説ですが、彼らは義太郎の狂人的な性質が治る事を信じたいが為にこの説を採用しています。というのも、義助の「お医者さまでも治らんけんにな。」の台詞から察するに、恐らく彼ら一家は以前に医者から、義太郎の病気は治らないと宣告されたのでしょう。ですが、父である義助をはじめとする家族らは、「阿呆なことをいうない。屋根へばかり上っとる息子を持った親になってみい。およしでも俺でも始終あいつのことを苦にしとんや。」という台詞からも理解できるように、狂人の息子を持ったという事実をどうしても受け止める事ができません。そこで彼らは、自分たちの為に、病気とは別のところに狂人的な性質の原因を求めはじめます。そして次第に、狐、或いは猿が取り憑いているという結論に至り、祈祷にすがるようになっていったのです。
では、一方の末次郎の考えはどうでしょうか。彼は兄の病気を病気として捉え、それと向き合っていこうとしています。そうした姿勢は、(義太郎)「末やあ! 金比羅さんにきいたら、あなな女子知らんいうとったぞ。」、(末次郎)「そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。」という彼らのやりとりからも理解できます。また、彼は狐憑依説を唱えていた父達を喝破する際、次のように述べています。「それに今兄さんを治してあげて正気の人になったとしたらどんなもんやろ。(中略)なんでも正気にしたらええかと思って、苦し むために正気になるくらいばかなことはありません。」彼は、単純に正気に戻す事を考えるよりも、現在の当人の事を考えた上でも現状が一番ではないかとここでは述べているのです。

◆わたしのコメント◆

あらすじは論者のまとめてくれているとおりです。

毎日屋根の上に登っている「義太郎」は、家族から狂人と見做されています。医者に掛かっても埒があかないというので、彼の父は、隣人が連れてきた「巫女と称する女」の力を借りようとします。彼女のお告げによれば、義太郎は狐憑きであり、吊るして火に燻べて狐を追い出さねばならないということでした。医者でもだめなら神がかりかと、家族がそれを実行しようとするとき、義太郎の弟「末次郎」が帰宅し、それを遮ったのでした。

この物語に登場する主要な登場人物は、「義太郎」、「巫女と称する女(以下、巫女)」、「末次郎」の3人です。
義太郎をめぐって、他の二人がその扱いの是非を問うかたちになって物語は進行します。

義太郎の父や母、隣人は登場するものの、これといった定見をもたないために、巫女の言うがまま、帰宅後は松次郎の言うがままに右往左往するばかりですから、物語の焦点とはならないであろう。論者の見方はこういうところでしょう。

そこまでは間違っていないのですが、義太郎を神がかりで見る「巫女」と、彼をあくまでもありのままに見ようとする「末次郎」との対立を挙げたからといって、物語の核を引き出したことにはなりません。
この対立図式は、この物語の表面上に現れる表向きの表現でしかありませんから、これを一般性だと主張するのは、物語を表面的にしか理解できていない、つまり<現象>的な理解に留まっている、ということになります。

わたしたちがこのように、あるものを揶揄する文脈で<現象>ということばを使うときには、そのものごとの見方が一面的、表面的であり、ものごとの本質的な見方に達していない、ということを指していたのでしたね。
とすると、これに対することばは、<本質>的、ということになります。
作品の一般性が、その本質的な論理構造を引き出したものでなければならない以上、現象的な理解に合格を出すわけにはゆきません。

◆◆◆

ではどうすれば合格となるのか、といえば、おおつかみに言えば、現象的な理解を脱して、本質的な理解に達せねばならない、ということになります。

論者は、この物語の焦点を捕まえ損なっているようですから、少しでも手がかりがないかを考えてみましょう。
新しいジャンルに取り組むときにお手上げしてしまわず、どこかに理解の糸口がないかと探すという向きに気持ちを振り向けることができるのは、自分が持つ「論理」の力に自信が持てていなければなりません。

個別の知識だけをいくらそのまま持っていても、他のジャンルではまるで使えないのですから。

◆◆◆

まずは、というところで、この物語の形式というのは、ト書きの形になっていますから、他の文学作品と違って、登場人物のセリフが主な表現となっています。
括弧書きで情景や心理描写が挟まれてはいるものの、ほとんどセリフだけを手がかりにして各人の思想や心情を、行間を読むようにしてたぐり寄せねばならないことから、いつもとは勝手が違うな、と思ったのではないでしょうか。

しかし、ト書きの形式になっているということは、と、形式の面から予測が立てられることもあるのです。
この作品は、何らかの舞台で披露される劇のような形になっているでしょう。それがひとつの手がかりです。

劇というのは、悲劇や喜劇、といったジャンルがあるように、現実の世界の人間描写よりも、その感情面や役割に脚色をほどこしたものが多いでしょう。
簡単にいえば、現実の人間のあり方よりも、「典型的」で、「大げさである」ということです。

たとえば、一人の勇者がお姫様を助ける物語であれば、必ず悪い魔女や悪魔などといったものが登場しますが、この物語においてその位置にいるのは、ほかならぬ「巫女」です。
彼女が、義太郎にお告げが効かないことを見て狼狽する有様や、末次郎に蹴飛ばされて神降ろしの振りをし損ない取り乱し、果ては捨てぜりふを吐いて逃げるように出て行ってしまうところから見て、彼女は悪役の立場にあることがわかります。
そして、その描かれ方からすると、この物語は喜劇寄りの作風であることがわかります。

現実の世界の似非霊媒師ならおそらくもっとうまくやるところでしょうから、この巫女は、絵に描いたような典型的な像として描かれており、現代風に言えば「デフォルメされた」キャラクターである、と言ってよいでしょう。

◆◆◆

さて、ここまで極端な描かれ方をしている彼女が、「神」を名乗って茶番を繰り広げるわけですが、そんな姿にまんまと騙される他の家族と違って、松次郎は、彼女の胡散臭さを一見して見破ります。
末次郎 あんなかたりの女子に神さんが乗り移るもんですか。無茶な嘘をぬかしやがる。
神を騙っての一儲けを企む巫女を退けようとするからには、末次郎には、彼女の姿を見て、「神というものは(明確にどんなものかわからないにしろ)少なくともこんなものではない」と判断できるくらいの神についての像が認識としてあるわけです。

それでは、末次郎にとって、「神」というものはいったいどういうものなのでしょうか?
巫女にとっての神と比較すれば、自ずと(相互浸透のかたちで)その姿は浮かび上がってくるはずです。
上で述べたように、また論者が現象的には理解していたように、この物語では、その対立軸は現実の世界よりもはるかに明白に単純化されていますから、掴みやすいでしょう。

そして、そのことを理解するための手がかりは、物語の最後に、末次郎のセリフとして明確な表現を持って示されています。

松次郎と巫女、それぞれが持っている「神」の像が明らかになれば、この物語の一般性が見えてきそうです。
今回はヒントだけを書いてきましたが、この作品をしっかりと理解できる実力はぜひとも持っておいてほしいので、じっくりと取り組むことにしましょう。


【誤】
・義助達が主張しているひ非現実的な狐憑依説

2012/03/11

極意論とはどう向きあうべきか (2):「文学考察: 仇討三態・その三ー菊池寛」を中心にして

(1のつづき)


前回の記事では、今回の評論へのコメントの前書き、注意書きとして、極意論をまる覚えすることの恐ろしさについて触れました。

そのことは裏返し、知識的なまる覚えではなくて論理的に記事を読んでほしいからだったのですが、この記事にはどのような論理性が含まれているでしょうか。
弁証法の三法則、「否定の否定」、「対立物の相互浸透」、「量質転化」がどこにはたらいているのかを探しながら、読み進めてみてください。



◆文学作品◆
菊池寛 仇討三態

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 仇討三態・その三ー菊池寛
宝暦三年、正月五日の夜のこと、江戸牛込二十騎町の旗本鳥居孫太夫の家では、奉公人達だけで祝酒が下されていました。そして、人々の酔いがまわってきた頃、料理番の嘉平次はその楽しさのあまり、自分の仕事を放り出して酒の席へと顔を出してきました。そして、一座の人々は「お膳番といえば、立派なお武士だ!」と、彼を煽てはじめます。すると、嘉平次もその気になりはじめ、あたかも自分は刀が振れるかのように、武士であったかのうに語りはじめます。やがて、調子にのった彼は旧主の鈴木源太夫が朋輩を討ち果たした話を、あたかも自分の話のように話しはじめてしまいます。そして一座の方も、嘉平次の話を一切疑わず、彼の話をすっかり聞きいっている様子。
ですがその晩、彼はつい先頃奉公に上ったばかりの召使いのおとよという女に刺し殺されてしまいます。実はおとよは鈴木源太夫の娘であり、母が死んで以来、父の仇を討つ機会を待っていたのでした。
 
この作品では、〈武士に憧れるあまり、かえって武士になる危険を理解できなかった、ある男〉が描かれています。 
まず、嘉平次は酒の席で、自分が煽てられて気持よくなる手段として、自分はかつて武士であったという嘘をついています。つまり、彼は武士に対して、強い憧れを抱いていると言えるでしょう。そしてその憧れが強くなっていくにつれて、彼の嘘は大きく膨れ上がっていきます。ですが、この時彼は、武士とはどのような職業か、或いはどうやって生計をたてているのか、全く理解出来ていません。これは、病人を看病する姿に憧れるも、血や摘便(便を肛門から取り出す作業)を体験して退職する看護師や、或いは雄弁に語る姿に憧れ立候補するも、当選した後、他人からの批判に堪えられず辞任してしまう政治家と同じです。いずれの人々も、自分の職業が何をするのかが理解できていないのです。看護師は人の健康を守るため、血や尿、必要ならば便を扱うこともありますし、政治家は人々に批判されながらも、お互いの意見をぶつけて国を運営していくことが仕事です。武士という職業もやはり同じで、彼らは人を斬り殺して生計をたてています。つまりその一方では、自分が斬り殺される側の人々がいるのであり、自分が知らない何処かで誰かに恨まれているのです。また相手に斬りかかるということは、当然相手も反撃してくるので、自分がいつ死んでも可笑しくありません。ですが、そうした危険を嘉平次は一切理解していませんでした。彼は、武士という言葉の響きの良さに酔いしれて、それを全体に押し広げていたに過ぎないのです。もし、彼がそうした危険性を少しでも考えていたならば、平然と自分は人を殺した事がある等とは言わず、こうした悲劇は起こらなかったことでしょう。

◆わたしのコメント◆

評論中、一節目のあらすじのまとめ方は悪くありません。
しかしあらすじからわかるとおり、この物語の焦点というものは、料理番の「嘉平次」が、場を盛り上げるために嘘の話をこしらえたところ、その創作の元になった刃傷事件の娘であった「おとよ」に本気にされてしまい、討ち取られてしまった、というところにあります。

そのことをふまえて論者の引き出した一般性を読むと、果たしてこの物語全体の本質をうまく捉えきれていると言えるでしょうか。
〈武士に憧れるあまり、かえって武士になる危険を理解できなかった、ある男〉という一般性は、嘉平次が犯した過ちを、結果から見て解釈したものに過ぎないのであって、作品全体に含まれている過程をうまく引き出せた一般性ではありません。

◆◆◆

『仇討三態』のうち、他の作品の評論についてコメントした時も指摘しておきましたが、論者はこのところ、「かえって」という<対立物への転化>の論理性がいくつかの文学作品に含まれていることを見いだしているようです。
しかし、弁証法が森羅万象に普遍的に存在する法則である以上、ものごとを細かく見れば、あらゆるところに弁証法的な論理というものは見つけられるのであって、細部の論理性を指摘したからといって、そのもの全体を正しく捉えたことにはならないのです。

皮肉なことながら、細部における真理を全体に押し広げて主張することが誤謬に繋がるということは、文学作品の理解についても同じことが言えるのですから、論者の誤りは、「弁証法に憧れるあまり、かえって作品の理解を妨げることになった」とすべきところなのです。

弁証法を身の回りのあちこちで見つけられるようになることは、修練が初歩の段階に達したことを意味してもいるので、一面では評価されるべきことなのですが、だからといって、そのうれしさのあまり勇み足をしてはいけません。
よく切れる刀は、その力のためにかえって自らをも傷つけることがある(対立物への転化)というのは、実に弁証法的な事実です。

弁証法の実力を磨くことは何にもまして必要なことですが、その認識を実際に正しく適用するためには、認識の現実への適用の段階、つまり「技術」の段階においての確からしさを確保するために、俗に言う「自制心」が真っ当に養われていなければなりません。
認識の適用に感情の問題が含まれてくるとは!?と面食らった顔をされるかもしれませんね。

たしかにここは相当に難しいところだと思いますが、少し褒められただけで有頂天になって大失敗する人と、褒められても増長しないどころか、かえって舞い上がるまいと自身を諌めながら着実に前進を続ける人とで、どれだけの差が出てくるか、というたとえで結論的にでも、なんとなくでもわかってほしいところです。

ここは「差が大きい」というよりも、「質的な差として現れた頃には取り返しがつかない」という恐ろしさがあるものとして、厳粛に受け止めてもらいたいと思います。
ところで、「厳粛に受け止める」ということそのものについても、認識の力が必要であることは言を俟たないところです。

◆◆◆

この作品に話を戻して、一般性について簡単に考えてみましょう。

この作品をおおまかにつかまえるならば、嘉平次のついた嘘がもたらした意図しない結果が主題なのであり、そこにある論理性は「認識と表現の相対的な独立」であると言えるでしょう。

嘉平次は、場を盛り上げるために嘘の創作をしたのですが、その認識が嘘を含んだ表現として現れた時には、もともとあった認識とは相対的に独立したものとして、つまり受け取り手がいかようにも解釈しうるという形態において現れることになりました。
そのことは、一面には、たしかに場を盛り上げるために有効に作用したという意味では成功であったのですが、他面、おとよにとっては、嘉平次を父の仇を見做すだけの証拠と誤って受け止められたために、彼は命まで奪われることになったのです。

こう整理したうえで、「嘘の話をよりもっともらしく脚色しようとしたあまりに〜」などというふうに一般性をまとめたのであれば、作品「全体」がわかりやすく一語で要されているな、と思ってもらえるでしょう。
自身がついた嘘によって、他でもない自分自身が害せられることになったのです。
これは皮肉ですね。そうしてそれが、この物語の面白さです。

結果から見れば、論者の引き出した一般性とは、<対立物への転化>の論理性をふまえているという面で共通していますが、論者の主題であるとみなしているものが「武士という仕事についての像の深さ」である以上、正しい一般性とは言えないことになるのです。

この物語は、あくまでも嘘の話が独り歩きをして、思わぬ結果をもたらした、というところに面白さがありますから、主題をきちんと踏まえられているだろうかと、自分の引き出した一般性に照らして作品を読みなおした時に、作品全体が過不足なく一語で要されているかどうかをしっかりと確認して欲しいと思います。
またそのことを通して、仮説を把持してものごとをじっくりと確認するための、自制心・集中力というものを養っていってほしいと思います。


【誤】
・武士であったかのうに語りはじめます。
・自分がいつ死んでも可笑しくありません
→同じ「おかしい」ということばでも、「可笑しい」という当て字を用いる場合には、「滑稽である」という意味しかありません。「おかしい」の語源は古文の「をかし」ですから、「論理的に筋が通らない」という意味を表したい場合には、「おかしい」とひらがなで表現するのが適切です。

2012/03/10

極意論とはどう向きあうべきか (1):「文学考察: 仇討三態・その三ー菊池寛」を中心にして

※前書きが長くなったので記事を分けました。


この記事は、明日の21:00に公開する記事の前置きのお話で、このBlogで学んでほしいことについて言及してあります。

◆◆◆

評論へのコメントの書き出しでこんなことを言うのもナンですが、せっかくこんな文字ばかりのBlogを読んでくださっている読者のみなさんへ、ぜひともわかってもらいたいことがあります。

常々表明していることなので繰り返しになり恐縮ですが、このBlogは、「へ〜なるほどね、今はそんな新しいことがあるのか」といったふうな新しい「知識」をお伝えしているところではありません。

そうした勘違いをされないために、「心理学的に言えば云々」、「哲学史に照らして言えば何々」、といった知識的なことはほとんど登場させずに、学問用語で言えばひとつの概念を提示すれば終わる話でも、その代わりに身近な例で置き換えるような工夫をしているくらいです。
これはつまるところ、一生のうちに一秒たりとも無駄にできないはずの、貴重な、貴重な時間を費やしてここに来てくださっている読者の方々に、「ものごとを本質的に見るということはどういうことなのか」、「本質的に考えるということはどういうことなのか」、「それはどのようにすれば使えるのか」、をお伝えしたいがためです。

それぞれに対応する言葉は、学問的にいえば「認識論」、「弁証法」、「表現論」および「技術論」ということになりますが、それは簡単にいえば、個々別々の雑多な知識をお知らせするのではなく、「ああ、こういうふうに考えればいいのか」というものであり、いわば本質的な根っこをつかまえるところの考え方、俗に言う「知恵」のようなものなのです。

◆◆◆

しかしわたしたちの日常生活では、時間のかかる考え方の習得などよりも、過程はともかく1年後に大学に合格しろ、とにかく取引先を回りまくって今日の売上を増やせ、と言われることが多いでしょう。
10年後に自分がいかに本質的な前進を遂げているかよりも、今日明日何をして食っていくのか、がはるかに優位に立っているのであり、それどころかタテマエはともかく実質的には、前者などは「考えるだけムダ」と切り捨てるのが暗黙の了解です。

学校でも社会でもそんな雰囲気の中で、なにを思ったかこんなところに学びに来る人たちは、それだから、心身ともの自分自身の全細胞を根こそぎ入れ替えるような厳しさで自分の道へと取り組まねばならないことになっているのです。
ただ本質的に前進したい、という一念については、わたしに直接尻を叩かれている学生さんだけではなくて、ここにわざわざ来てくれている読者のみなさんにとっても同じことだと思うのです。
この場合は、直接叱られるという手引きがないために、「自分自身の細胞を入れ替えて、本質的な前進をできる自分へ転化させるのだ」という強い自制心が必要ですから、むしろとても大変なことをやっておられるのではないだろうかと思ってもいます。

弁証法を使って考えてみてください、と言われても、たとえば「なるほど、他人であったはずの夫と、最近口癖が似てきたと言われるのは<対立物の相互浸透>と言われる法則かもしれない」と一時はわかったとしても、次の日には仕事や家事の忙しさに負われてそんな問題意識などどこへやら、とにかく食わなければ勉強どころではない、と吹き飛んでしまいがちでしょう。

それもそのはずで、ひとつの技の習得には、毎日欠かさずそれに取り組むことが必要であるように、弁証法や認識論の上達は、ピアノの上達、武芸の上達と同じ修練の過程が必要とされるからです。
日々の修練の途上には、砂を噛むような味気なさや、数カ月のスランプがあることも稀ではないものです。

◆◆◆

そこをなんとかひとつでも手がかりはないかと、試みに、「弁証法」と辞書をひくと、カントにおいてはなんたら、ヘーゲルにおいてはなんたら、とえらく難しいことが書いてありますよね。
さてでは、そのことばを読んで、どのような技かがわかりましたか?「ああなるほどそういうことか、これはいいことを知った、明日から使ってみよう」という意欲が湧いて来ましたか?

そんなわけがない!というのが素朴な感想ですよね。それで良いのです。
技と言うものは、説明を読んで習得できるものでは決して無いからです。
どれだけ遠回りに見えても、日々の修練を通して獲得してゆかねばならないものだからです。

わたしの雑談やコメントを読むと、必要なぶんだけは馴染みの薄い学問用語も出てきますが、それよりも重要なのは、そのほとんどの表現の中に、弁証法が(直接は眼に見えないかたちで)含まれているのだ、ということなのです。

ここは注意して読んでくださいね、というところには括弧書きしてありますが、そうでないところがほとんどです。
(以前は弁証法の法則などの学問用語を<>で括っていましたが、あまりに物々しいですから、最近は特別に強調したい場合を除いて()で括って書いてあります)

ですから、何が言いたいかといえば、
「文章の流れの中にはたらいている弁証法性を探して読むということを、意識してやってもらわなければいけない」
ということなのです。

その作業をしない場合には、その表向きの表現のなかから、自分の気に入ったものを見つけてしまいがちになるのです。

たとえば次に公開する記事のコメントの中に、こんな表現があります。
「それだけに、刀に相応しい使い手の人格が必要になる(相互浸透)のです。」
ここで法則について括弧書きしているのは、この箇所が格言風であり、極意論的であるがゆえに、単に格言などのような、「知識」一辺倒に受け止められる危険があると考えているからです。

◆◆◆

読者のみなさんは、こういうフレーズをまる覚えして、友人や後輩に、「いいか大事なのは、刀に相応しい人格を養わねばならぬ、ということだ」と言ってみたくなったことはありませんか。
そういう感情は、仮にも人間なら誰でも持っていますね。
まだ経験の少ない年齢であればあるほど、その傾向は強いでしょう。
自分に足りないものを、ほかから横滑りしたもので補おうとするからです。

こういった格言を言おうとする時には、二種類の方法があります。
ひとつに簡単な知識をまる覚えして表明することと、それに対して、長い長い経験を経て、そこから血のにじむような努力でつかみとってきたたったひとつのコツをなんとかことばに紡ぐこと、です。
このそれぞれは、過程をまるで含んでいないものと、過程を多分に含んではいてもそのほとんどが表現の中に隠されて(抽象されて)表向きは見えないもの、という大きな違いがありますが、それを聞く者にとっては同じ表現に映ります。

それなら、どこかで聞きかじった知識的な格言を、同期や後輩に向かって披露すれば格好はつくのだから、それで済ませてしまおう。
こう考えてしまうかもしれません。
ところが、このやり方では、格好がつくのはたかだか数年で、なにしろ難しいことはよく知っていても、格言などというものはおいそれと実行できるものではないからこその格言である以上、実際には技として使えていないことが露見してきます。
そうすると今度はその言行不一致ぶりから、かえって頭デッカチの衒学者、という謗りすら受けかねないことになるわけです。

◆◆◆

わたしは短期的な格好がつくかどうかなどよりも、長期的に見て本当に当人の実力になること「だけ」を集中して指導し、伝えてゆかねばと心に誓っていますから、読者のみなさんにも努力を強いる形になって恐縮ですが、ぜひともひとつの表現が、どのような技を使って導きだされたものなのか、という「過程」にこそ目を向けていただきたいのです。

その手がかりとして、今回取り上げた格言風なことばや、極意論的なことばには、必ず断りが入れてあることに注意してみてください。
「極意論的に要すると〜」とあったときには、「この先は結論だけを書いてあるから、これをまる覚えしても何の意味もありませんよ」という忠告も含めて伝えたかったのだな、と理解してください。
それまでの文章の展開をいちおう踏まえられたのであれば、その極意なるものは、読者ご自身のアタマで考えたとしても、似たようなものが出てくるはずなのです。
そのことは、いわば備忘録のための一言、でしかないのであって、その表現を振りかざしてもなんの意味もないのです。

このせわしない世の中の流れの中で、少なくともこのBlogを読んでいるうちは、「あれもこれも知らないと馬鹿丸出である!情報の波を泳ぎ切ってみせよ!」というような喧しい言論はひとつもないものと思います。
ですからここに来てくださっているその時間はせっかくの機会ですので、「急がば回れ」のやり方を読み取ってくださり、たとえ時間はかかっても、1年後、3年後、また10年後に「質的な」前進をしよう、そのためのやり方を少しでも読み取ろう、という姿勢と方法を少しでもたくさん掴みとってくださるよう、切に願っています。

◆◆◆

参考にしてもらいたい文献は、専門的な話題が出てきた時にどうしても避けられないものについてわずかばかりに提示するだけですが、わたしは三浦つとむの続きの仕事、とくに表現論と認識論に取り組んでいる関係上、下記の本については目を通してもらっているものとして記事を書いてあります。

・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』

また同じ作者の『芸術とはどういうものか』などからはじめて、全集なども併せて読み進めてもらえれば、さらに理解が進むものと思います。

こんなやり方でいいのかな?など不明な点がありましたら、遠慮なく一声かけてください。
本質的なものが理解されないままに蔑まれるのはいつの時代でも同じなのだ、と覚悟を決めて、自分こそは、と考えている人には、助力を惜しみません。


(2につづく)

2012/03/09

文学考察: M侯爵と写真師(修正版)

今回はメモのような位置づけですので、


一般の読者の方々は読みとばしていただいて結構です。

その代わりといってはなんですが、この記事を境に、以降の評論へのコメント記事中で、論理性だけでなく細かな表現についても少しずつ指摘してゆくことにしますので、いつも評論を投稿してくれているノブくんの表現力が少しでも向上するように見守ってあげてください。


◆ノブくんの評論◆
文学考察: M侯爵と写真師(修正版)

◆わたしのコメント◆
この作品については、以前に修正をお願いしたもので、言っておいた通りのことはひととおり踏まえたうえで出し直してくれています。

そのため、一般性もその評論全体が指摘していることも正当なのですが、問題は細かな表現のほうにあります。

正確に言えば、以前から指摘しなくてはならなかったのですが、論理性をまずは確かなものにしておきたかったので、あまり強く言ってこなかったのです。

日本語表現において、細かな表現技法というものは、人の手によって書かれたたくさんの文章を読んでいるうちに自然に身につき、自然に上達するものであると、少なくともわたしは思っていました。

そういうわけで、まずは真っ先に論理性を整えることを主眼において修練をお願いしてきた論者にあっても、2日にひとつほどの文学作品に向きあう以上、その量が表現力の質的な向上に寄与するものと考えていたのですが、どうやらその目論見は楽天的すぎたようです。

というのも、論者の書いてくれている文章は、論理性は確保できるようになっていはしても、その表現というのは、一言で言えばあまりうまいものではないということなのです。

◆◆◆

うまくないというのは、いくつかの理由がありますが、ひとつに接続詞の表現が、あまりに乏しい、ということが挙げられます。
上でも述べたとおりわたしの伝えたいことは、とにかくまずは論理性、ということはいつだってぶれない方針ですし、細かな表現はその人のやり方に任せようと思っているのですが、あまりにも、ということなので、今回はそれを指摘しておくことにしましょう。

文章を読み慣れた読者が論者の文章を読む時に、まず引っかかるのは、表現が紋切り型、ワンパターンである、ということです。
論証部に現れている接続詞を見ると、「まず、」からはじまり、「そして、」と「ですが、」がほとんどです。

それが適切に使用されている場合には、ワンパターンであろうが論理性を重視するわたしとしてはまるで文句はないのですが、ふさわしくない場面にも登場するのが問題です。
接続詞がまずいというのは、大まかにはともかく、文章の流れが正確に把握でききれていない、ということですからね。

細かな指摘は以下でリンクを貼った画像(PDFファイルのほうが綺麗に表示できます)のコメントに書いてありますので、今後の評論でどれくらい直すことができるか、またできないかを見守ってゆくことにしましょう。

「人の表現を読むことが、自分の表現力の向上に繋がらないのはなぜか?」という問いは、認識論的に扱わなければならないテーマですが、いまのわたしには答えはわかりません。
このことだけでなく、物心ついたときには「なんとなく特別な苦労なしにできていた」という事柄は、人に教えることができません。
それを把握できるのは、「できない」ところから、ひとつずつ工夫を重ねて一定の「できる」段階まで登ってゆくことができ、さらにその過程をつぶさに観察できている者だけなのです。そしてこれこそが、鈍才の強みです。

さて、この問題について答えとして出そうなのは、論者に読んでもらっているのが文学作品であるのに対して、論者に書いてもらっているのが評論調の文章だから、でしょうか。

わたしの感触では、ここにはそんな簡単な現象論では片付けられない大きな問題があると思いますので、ぜひともに論者にもその実験を手伝ってもらおうというわけです。

この先論者に表現力がつくのであれば、現在の実力と比べることで、どのような努力をしてその実力がついたのかが浮き彫りになりますから、一歩前進したということになるわけです。
ノブくんの評論の不備への指摘
PDFファイルへのリンク)

わたしが接続詞を中心に書きなおしたもの
PDFファイルへのリンク)

2012/03/07

文学考察: 仇討三態・その二ー菊池寛

今回扱った作品は、



コメント中の引用箇所だけでも意味が取れると思うので、人の心情を理解する必要のある仕事をされている方は参考になるかと思います。


◆文学作品◆
菊池寛 仇討三態

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 仇討三態・その二ー菊池寛
越後国蒲原郡新発田(かんばらごおりした)の城主、溝口伯耆守(ほうきのかみ)の家来、鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は、敵討の旅に出てから、八年ぶりに仇人を発見することができました。ですが、不運にも彼らが敵を討つ前に、仇人は死んでしまいます。そして彼らはそれ以来、世間の人々の非難の的となってしまいます。
一方、そんな彼らの避難の声もおさまってきた頃、彼らと同じ藩士である、久米幸太郎兄弟が三十余年の時を経て仇討ちに成功し、帰還してきました。そしてその十日後、兄弟の帰還を祝う酒宴が親族縁者によって開かれることとなりました。そして不幸にも、仇討ちに失敗した鈴木兄弟は久米家とは遠い縁者に当たっていました。当然ながら兄弟はその席に行きたくはありませんでしたが、そうなればまた世間の非難の的になると考えた忠次郎は、しぶしぶ参加しました。
その当日、夜が更け客が減りだした頃、幸太郎は忠次郎からも盃を注いで欲しいと申し出てきます。そして、幸太郎は彼からもらった酒を快く飲むと、真摯な同情を含んで、「御無念のほどお察し申す」と述べました。これには忠次郎も思わず無念の涙を流しながら、「なんという御幸運じゃ、それに比ぶれば、拙者兄弟はなんという不運でござろうぞ。敵をおめおめと死なせた上に、あられもない悪評の的になっているのじゃ」と言いました。すると、幸太郎は「何を仰せらるるのじゃ。一旦、敵を持った者に幸せな者がござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」と言い、やがては互いに目を見合わしたまま涙を流し合いました。
 
この作品では、〈過程を重視した為に相手の気持ちが正しく理解できた、ある討人〉が描かれています。 
まず、この作品での鈴木兄弟の仇討に対する見方は2つに分かれています。一つは仇討に失敗したことを非難する、世間的な見方。もうひとつは彼らに同情をよせている幸太郎の見方。では、この2つの見方には、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。
まず兄弟を非難している世間的な見方の方ですが、彼らは「鈴木兄弟が仇討ちに失敗した」という結果だけを見て、あれこれと非難しています。更に彼らはその結果を受けて、「二人は、敵を見出しながら、躊躇して、得討たないでいる間に、敵に死なれた」、「兄弟は、敵討に飽いたのだ。わずか八年ばかりの辛苦で復讐の志を捨ててしまったのだ。」と、その失敗の過程まで想像しています。言わば世間の見方の順序としては事実とは逆の流れで考えられており、結果が先にあり、過程はその後にあります。その結果、彼らは兄弟の気持ちを正しく読み取る事が出来ず、単なる解釈になってしまったのです。(余談ですが、これは現代を生きる私達の日常にもよくある見方ではないでしょうか。例えば、スポーツ等で自分が応援しているチームが試合に負けてしまい、悔しさのあまり大人げなく怒りを露わにする人々がいます。また逆に、次の日に試合に勝つと、「いや、今日の◯◯はよかった。」などと、急に評価を一転するような発言をすることがあります。こうした見方も同じで、やはり結果から見ているからこそ、昨日と今日でものごとの評価が一転してしまっているのです。)
一方、幸太郎の見方はどうだったでしょうか。彼は「御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」という台詞からも理解できるように、過程的なところを中心に見て相手を評価しています。つまり彼らは事実の流れと同じく、過程を先に考えた為、兄弟の気持ちを正しく読み取る事ができたのです。やはり事実を正しく読み取るためには、事実と同じ流れで物事を考える事が重要なのです。


◆わたしのコメント◆

『仇討三態』の2つめの物語は、「鈴木忠次郎」とその弟を主人公として描かれています。
この兄弟は父の仇を8年間追い求めた後、あるところで医師として身を隠している仇を見つけます。ところが折悪く、この時には弟だけでの行動であったため、兄と合流してから討ち果たそうとしたところ、なんとその間に仇は天寿を迎えてしまったのでした。それに対して、同藩出身の「幸太郎」兄弟とその叔父は、同じく父の仇を30年の苦節にもめげずに仇を討ち取ります。
8年かけて仇討ができなかった失敗者と、30年かけて仇討を成し遂げた成功者との扱いは、帰郷してからの衆目に天と地ほどの差を生み出してしまうことになったのです。

◆◆◆

幸太郎の帰参を祝う酒宴が開かれた席に忠次郎たちも呼ばれますが、幸太郎兄弟を褒める引合として貶されている立場にあっては、気が気ではありません。
それでも、後ろ指を指されることだけはなるまいと、必死の覚悟で参じます。

その箇所が、どのような描写になっているかを見てみましょう。
幸太郎は、忠次郎が蒼白(まっさお)な顔をしながらさした杯を快く飲み干しながら、
「御不運のほどは、すでにきき及んだ。御無念のほどお察し申す」
幸太郎の言葉には、真摯な同情が籠っていた。自分でも敵を狙ったものでなければ、持ち得ない同情が含まれた。
忠次郎はそれをきくと、つい愚痴になった。無念の涙がはらはらと落ちた。
「お羨ましい。お羨ましい。なんという御幸運じゃ、それに比ぶれば、拙者兄弟はなんという不運でござろうぞ。敵をおめおめと死なせた上に、あられもない悪評の的になっているのじゃ」
忠次郎は、声こそ出さないが、男泣きに泣いた。
幸太郎は、それを制するようにいった。力強くいった。
「何を仰せらるるのじゃ。一旦、敵を持った者に幸せな者がござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」
そういったかと思うと、三十年間の櫛風沐雨(しっぷうもくう)で、 銅あかがねのように焼け爛れた幸太郎の双頬を、大粒の涙が、ほろりほろりと流れた。
忠次郎の傷ついた胸が、温かい手でさっと撫でられたように一時に和んでいた。
二人は、目を見合わしたまま、しばらくは涙を流し合った。
◆◆◆

論者は、ここの、幸太郎から忠次郎への同情の念を中心に据えて一般性として引き出し、こう表しています。
〈過程を重視した為に相手の気持ちが正しく理解できた、ある討人〉

論証部を見ると、同郷で忠次郎たちへの悪評を広めたような人間たちとは違って、幸太郎が彼に同情し得たのは、仇討に失敗したという結果ではなく、仇を追って全国を遍歴するという苦難の過程にこそ注目したからである、との意味を込めたようです。

評論を読むふつうの読者の立場になって一般性の表現を見ると、表現が堅すぎるようにも思えますから、もう少し物語を細かく見てゆきましょうか。

忠次郎は、幸太郎の祝いの席に出た時には、失敗者の立場から見た成功者のための席ということもあって、「必死の覚悟でその酒宴に連なった」のでした。
同じことを目標としながら、それを志半ばで叶わなかった自分が、なおのこと成功した者と席を同じくせざるをえないときの感情がいかに惨めなものだろうかと考えてみてください。
それがどれだけ自分の外聞にたいする思い入れが強くない人でも、相当に身に応えるものであるのはわかりますね。
衆目をいかに気にしないようにと努めたとしても、他でもない自らが眼の前の相手と自分の成果を比べてしまうことでしょう。

そのように身構えた状態で列席した忠次郎を待っていたのは、思いもかけず、幸太郎の「真摯な同情が籠っ」たことばなのでした。
数年間の仇討の旅、それが未達に終わり帰郷した際の周囲から浴びせかけられる心無い言葉、そういったものに対処しようとしていつも張り詰めていなければならなかった緊張と、そこに押し殺されていた感情が、幸太郎のひとことで一気に溢れ出した様が描かれていますね。
そこで忠次郎は、自分たちは失敗したが、幸太郎兄弟は成功したことを心底羨ましいものとして、実に率直な己の感情を吐露しています。

◆◆◆

たしかに、「仇討」というからには、仇と見なした相手を討ち取ることこそがその目的なのですから、その目的に照らして言えば、忠次郎の旅は失敗であったという他ありません。
忠次郎自身が深く悔いているのも、そのことを自覚するあまりなのでしたね。

ところがそんな自責の念、後悔の念に囚われて悔やみ続ける忠次郎に送られたことばは、その時の彼にとっては思いもかけないものであったはずです。
 幸太郎は、それを制するようにいった。力強くいった。
「何を仰せらるるのじゃ。一旦、敵を持った者に幸せな者がござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」
幸太郎は、仇討に発たざるをえないというのはひとつの運命であるけれども、それが幸せであるということがあるだろうか、と言っています。これは、仇討にとって失敗や成功などという結果というものが、仇を探して全国を経巡るという、暗い一念に支えられた一歩一歩の長い長い道程にとって、どれほどの意味があるだろうか、と言っているわけです。

そうであるからには、本懐を遂げるまでに、当時としては人間の定命を使いきってしまった幸太郎自身よりも、志半ばとはいえその旅を終えて故郷に帰ることのできた忠次郎のほうが、いかほどに恵まれていることか、という感想も、至極真っ当なもの、本心からのものと言えるでしょう。

このことばを聞いた忠次郎は、悔しさに囚われていた我が身を、はじめて一歩引いた視点から、客観的に捉えることができたのです。
その視座を持ち得たのは、幸太郎の仇討の旅を、我が身に繰り返すかのように追体験したからなのです。
その追体験は同時に、忠次郎と比べれば幸太郎の仇討の旅が、彼の人生においていかなる大きな割合を占めているのかも知らしめるのですから、幸太郎から自分に向けられた同情が、いかに真摯なものであったかも同時に感ぜられるというわけです。

忠次郎にとって、経験を同じくした幸太郎からの真摯な同情は、彼自身を見つめる、もう一人の自分としての役割を果たしていることに注目してください。
それまでは、彼自身の後悔の念に囚われ続けるしかなかった忠次郎にとって、これがどれほどに彼を救ったかをもう一度見てください。

◆◆◆

次の節まで余談になりますが、
人の生涯や、人の経験を自分の身に起きたことのように捉え返す、つまり追体験するというのは、他者の心情を理解するにあたって欠かすことのできない要素です。

認識論では、自由意志と併置するかたちで他者の経験をもうひとつの観念として持ったうえで、それを「この人はこのような道程を持ったからこその現在のこの人となりであるのだ」と、過程を追って現在のその人を理解してゆく作業を、<観念的な二重化>と言います。

この作品では、幸太郎から忠次郎への観念的二重化、忠次郎から幸太郎の観念的二重化が、折り重なるようにして描かれています。
そのようなことを通して、彼らが互いに互いのことを理解し合ったからこそ、また筆者がそのことを鮮やかに描き出しているからこそ、「二人は、目を見合わしたまま、しばらくは涙を流し合った。」という描写がこれほどまでに説得力を持つことに繋がっているわけですね。

観念的二重化の力は、本当の意味で相手の立場になってものごとを考えて、その人のためになることをしようと心に誓っている人にとっては絶対に欠かせない、認識における技です。
この力は、小説を読むことで培ってゆけますが、細かな過程をしっかりとたどることなくしては、結局のところ、自分の好き勝手に相手の感情を解釈するだけになってしまうでしょう。

ただでさえビジネスの世界に長く身を置いている人たちは、自然に(限られた環境との相互浸透によって)、自らの心情理解がビジネス化・経済原理化・機能主義化されていくことに実に無頓着ですから…。
ビジネスでは有意義な価値観も、一旦外に出れば使えないどころか要らぬ誤解の種に転化するという事実を学べるだけでも、小説を読む価値は十分にあると思います。

また当然ながら、現実の世界では小説とは違って、第三人称による感情描写、「〜は親の死に目にあったように悲しんだ」や、「〜は飛び上がらんばかりに喜ぶ気持ちを抑えるのに必死だった」といった表現上の工夫は出てきません。
心理描写を誘導する表現の助けを借りられない以上、観念的二重化の力を養えているかどうかは、現実では小説の理解よりもさらに大きな差となって現れてくると考えるべきです。

人の感情を描いた小説を丁寧にじっくりと読みこなすことを通して、その力をぜひとも養ってもらいたいと思います。

◆◆◆

論者の評論を見ると、一般性が一般的すぎることに引きずられて、論証部を見ても、作品の登場人物への観念的二重化がまだ多分にその余地を残しているように見えましたので、ここまで触れてきたのでした。
一言で言えば、「表現が堅い」のです。
そうであるからには、「心情理解(認識)もまだ堅い」のだろう、と判断せざるを得ません。

論者の一般性は、このようなものでした。
〈過程を重視した為に相手の気持ちが正しく理解できた、ある討人〉

たしかにこの作品の一般性を引き出すときには、一言でまとめようとすると上で括弧書きしたような認識論用語を持ちださねばなりませんし、かといってそうしても一般読者にうまく伝わらないことになりますから、なかなかに難しいことはわかります。

それでもこの作品を理解するにあたっての要点となっているのは、この物語には、上で述べてきた「追体験」、「観念的二重化」に焦点が当てられていることを、一般性のなかにしっかりと含められているかどうか、というところにあるのです。

忠次郎が、仇討の失敗から周囲に対して心を閉ざしてしまったことが、幸太郎の真摯な同情によって、自らの経験を客観的に受け止めることができるようになった、という過程を示すならば、
<経験を同じくした者の同情によって、仇討によって閉ざされていた心を開くことができた討人の物語>
のような表現がよいのではないでしょうか。

観念的二重化を、よりきめ細やかなものとするべく、他者の心情理解の力を養って欲しいと心から願っています。

◆◆◆

ほかに細かな表現を修正した理由は、主に3つの理由があります。

ひとつに、論者は幸太郎が「過程を重視した」としていますが、これはあらかじめ彼に備わっていた価値観やものごとの見方ではありません。
彼がそのようなことをできたのは、彼の経験が忠次郎のそれと同様のものだったからにほかならないのですから、結果から見て、大雑把に整理したものを幸太郎の価値観だとするのは違和感があります。

次に、過程的な構造を捉えるならば、「心を開いてゆくことのできた」などとしてもよさそうですが、忠次郎と幸太郎の心情理解は、互いが同じ経験を共有していたことに助けられてそれほどの時間は要しませんでしたから、ここでは経時的な心情の変化を強調する必要がないと判断しました。

また論者の指摘している「討人」が幸太郎であるのにたいし、わたしの指摘しているのは忠次郎ですが、一般性に主体を含めるときには、特別な意味がない限り主人公を位置づけるのがふさわしいと考えたためです。


【誤】
・越後国蒲原郡新発田(かんばらごおりした)→かんばらごおりしばた

2012/03/06

文学考察: M侯爵と写真師ー菊池寛

学生さんたちから届く作品やレポートを見ていると、


はやくいつもの更新ペースに戻りたいと気持ちが逸ります。

あれもしたい、これもしたい!
というのが率直なところなのですが、メリハリもつけねばどれもこれも倒れてしまいますから、いま少し辛抱して、今やるべきことをしっかりとやろうと思っています。


読者のみなさんも、たとえ今はそのことだけで食べていけていないのだとしても、率直に自分の気持ちと向き合ったときに、どうしても譲れないものがあるのなら、毎日3時間は欠かさず、そのことに取り組んでほしいと願っています。

毎日の生活のうちの3時間という時間は、3ヶ月続けるならば、泳げない人が平泳ぎできるようになる期間であり、楽譜の読めない人間がピアノソロの運指をできるようになる期間であり、絵筆を握ったことのない人間が見たままをデッサンできるようになる期間でもあるのです。

これを1年でも続けるなら、どんなに見よう見真似であっても、自分なりのコツをいくつかつかめるのであって、そのことを手がかりに一流の人に「これを聞いてみたい」という問題意識もしっかりと養ってゆけるのです。

そうして、10年も経ったらどれだけのことができるようになるか、想像してみてください!
素人がなにを一丁前に、と人は言いますが、素人であったことのない一流は居ません。
過程を見ようとしない人の評価は、気にするだけ時間の無駄です。
それに結果が出た時には、つまらない侮蔑は尊敬の眼差しに変わっているものです。



◆文学作品◆
菊池寛 M侯爵と写真師

◆ノブくんの評論◆
文学考察: M公爵と写真師ー菊池寛
「僕」と同じ社に勤めている杉浦という写真師は、華族の中でも第一の名家で、政界にも影響を及ぼす可能性のある人物、M侯爵の写真を撮るため、日頃から彼を追っていました。そんな杉浦の努力が実を結んでか、彼はM侯爵に顔を覚えてもらい、やがてはすっぽん料理をご馳走してもらう仲にまで2人の関係は発展していきます。これを聞いた「僕」ははじめ、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることにもかなり感嘆」していました。
「僕」はある時、仕事でそんなM侯爵と話す機会を得ることになりました。もともと公爵を尊敬していた彼は、早速一人で侯爵家へと出かけます。ですが、やがて「僕」はこの対談で、M侯爵の話と杉浦の話との間には、ある大きな食い違いがあるということを知ることになるのです。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
 
この作品では、〈他人に好意のあるフリをする事は不快なものである〉ということが描かれています。 
まず、上記にある大きな食い違いとは、実は侯爵は杉浦に対して嫌悪感を感じているということです。しかし当の杉浦の話ではあらすじの通り、彼は侯爵に気に入られていると言っています。そして、この2人の意見を聞いた後、「僕」は「どんな二人の人間の関係であるとしても、不快ないやな関係であると思いました。」では、彼は具体的に一体どのようなところに不快感を示したのでしょうか。どうやら彼は、侯爵が言ったであろう、「フランス料理を食わせてやる。金曜においで」という一言に関してそう感じている模様です。というのも、「僕」はこの台詞から、次第に侯爵は大なり小なり、杉浦に対して好意のある「フリ」をしていたのだろうと考えていきます。少し余談になりますが、この「フリ」というものは、実は現実の私達の生活にもありふれているものではないでしょうか。本人の前では好意的に友達として仲良く接していても、その人がその場を離れた途端に非難する人々もいますし、仕事の上、組織の上で致し方なく付き合っているとは言え、周りの人々にその人の非難の言葉を撒き散らす人々だっています。そして、こうした人々の行動はどうにもやりきれない不気味さがあるように感じます。というのも、彼らは相手に自分の気持ちを決して知らせません。それがお互いの溝をより深めていってしまいます。つまり、一方は関われば関わる程好意を持ちますし、もう一方は嫌悪を助長させていくのです。これが「僕」の感じた不快感の正体なのではないでしょうか。そして、この不快感を感じているからこそ、何も知らず、いつものようにM侯爵のところに向かう杉浦「僕」は哀れみを感じているのです。

◆わたしのコメント◆

この物語は、「僕」の主観によって書かれており、そこでは同僚であり写真師でもある「杉浦」が、「M侯爵」に取り入ろうとする姿が描かれています。

杉浦という青年が「無邪気で一本調子」という人柄であることは、この物語の登場人物誰にとっても、同じ印象であるようです。

「僕」も当初はそうした印象を持っていたようです。
杉浦があの調子でありながらも、M侯爵にすっぽんを御馳走になっているところから察するに、きっとその性格が、M侯爵のような地位のある人間からすればかえって好ましく映るのであろう。そのように解釈していました。

ところが「僕」がM侯爵に会ったときに、その思い込みが誤りであったことに気付かされるのです。
それは、侯爵自身の口から、「ああ杉浦というのかね。ありゃ君、うるさくていかんよ」ということばを聞かされたからなのでした。

杉浦によれば彼は侯爵から他の誰より気に入られているようなのに、M侯爵本人からすれば、杉浦はうるさいいやがられ者であるとすると、この食い違いはいったいどこに理由があるのか、と「僕」は考えます。

他でもない、気分を害した当人であるところのM侯爵の発言を真に受けるなら、杉浦の自惚れが過ぎたあまりに失礼になっているのだと結論づけることができます。

しかしそうだとすると、杉浦がM侯爵からすっぽんを御馳走になったことの理由が説明できない。
そのように考えてゆくと、結局のところ、侯爵がフランス料理を食わせてやる、と約束したのはたしかに客観的な事実ではあっても、その約束というのが、侯爵にとっては口先だけの約束であったのに対して、杉浦にとっては好意からの発言であったと受け取られたところに、食い違いの根本的な原因があったのだとするのが自然なのでした。

◆◆◆

M侯爵にとっては、彼を取り巻く多様な利害関係者を軽くあしらえる術を身につけていることもいわば当然なのであり、その力関係からすれば、ほとんどの者は彼の申し出にたいして恐れ多く感じるところから、たとえ本人から食事を勧められてもありがたく遠慮する、というのが筋なのかもしれません。
「僕」も、侯爵にとってはその振る舞い方が日常的なことはいちおう認めてはいますが、それでも、杉浦の、裏表のない人柄が、そのことによって本人のあずかり知らぬところで悪意をもって見られていることを気の毒に感じています。

このことから、「僕」という人間は、侯爵をとりまくルールはともかく、裏表のある表現というものをどうしても好きになれない人物なのだということがわかりますね。
その受け止め方からすると、やはり杉浦の方に肩入れせざるを得なかった、ということなのです。

しかし、というわけでここで論者の見方について断っておきますが、この物語はなにも、誰に対しても裏表なく接するべきだ、という「僕」の価値観を、読者にも啓蒙するために書かれたものなのではありません。
ですから、論者の指摘している一般性は誤りです。

あらすじは必要十分で悪くありませんし、論証部を見ても作品理解はいちおうの段階に達しているようですから、面倒臭がらずに、「僕」が二人の食い違いの理由を、「ああでもない、こうでもない」と考え進めているところを丁寧にとらえていってほしいと思います。

そのことを通して、人間の認識にとっての「ああでもない、こうでもない」という思考の過程が、どれほどに考える力を鍛えるのかをわかってほしいと思います。
「僕」の考えている過程の次の行を隠しても、その行がどのような内容であるかを自分で想像できるでしょうか。試してみてください。

◆◆◆

さてこの物語を大きくつかむことにすると、この物語では、M侯爵にとっては当たり前の社交辞令としての遠まわしの「NO」であっても、住む世界の異なる杉浦にとっては、好意としか映らなかったことによって、二人の間に大きな食い違いが起こったことに焦点が当てられています。

これは論理的に整理すれば、「ひとつの表現は、相手が変われば違ったように受け取られる」という、「表現と認識の相対的な独立」を描いていることになりますね。

わたしたちの身の回りに目を向けても、このことによるすれ違いはたくさん見つけることができます。
意中の相手とうまく話せないことは、相手にとっては嫌われたのだと映る場合もあります。
長居しすぎる客にたいして「ぶぶ漬け食べなはれ」と言ったことが、実際にそのままに受け取られることもあるかもしれません。

そのほか、ひろく「皮肉」が持っている構造というのは、この表現と認識が相対的に独立していることを用いた表現技法です。
その表現が一般的に使われる文脈を知っている場合には、実は表現とは異なった意味合いを伝えるためにあえて使われたものであることがわかりますが、文脈を知らない者にとっては、その表現はそのままに受け取られてしまうわけです。

ですから、この物語は、大きく言えば「表現と認識の相対的な独立がもたらした食い違い」を描いているのだ、と言えることになります。
ところが、このままでは人と人とのすれ違いを描いた作品はほとんどがこの構造を持っていることになりますから、ここからさらに、この作品に特殊化するかたちで一般性を引き出してこなければならないことがわかりますね。

今回はヒントが少なすぎて難しいでしょうか。
いまの論者ならば答えにたどり着けるのではないかと期待しているのですが。

あらすじについては要点をうまくとらえて簡潔に書けていると思いますので、「僕」の考えている二人の食い違いの理由探しをしっかりと読んだうえで、作品をより深く理解し、一般性を考えなおしてほしいところです。


【誤】
・M公爵と写真師
・杉浦「僕」は哀れみを感じているのです。

2012/03/01

文学考察: 仇討三態・その一ー菊池寛

寒波が来ていたと思ったのに、


今日はとても暖かい一日でした。

こういう時に人は、毎年毎年、今年の風邪は酷いと思い、今年の雪は多すぎ、雨は少なすぎると思ってしまいます。
数年の間ですらここまでの実感の揺れ動きがあるというのは、自分が生きてきた実感だけでもって地球規模での大異変があるかのように思い込む前に、少し思い出してもよさそうな事柄です。

ところで今日の実感については、実家で飼っている生き物の餌の食いつきからすると、勘違いではないようです。


◆文学作品◆
菊池寛 仇討三態


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 仇討三態・その一ー菊池寛
父親を殺され、復讐を誓い長年旅をしてきた討人、惟念は母親が死んだことを知らされて恐ろしい空虚におそわれます。そしてその事をきっかけに、彼は浪華に近い曹洞の末寺に入って僧になりました。
一年後、ある時彼は薪作務(農作業、清掃等の作業のこと)を行なっていると、仇人と同じ紋のはいった羽織を着た老僧を見かけます。更にその老僧には、仇人と同じ箇所に刀傷があり、これらを見た惟念は再び復讐の炎を燃やしはじめます。ですが今の彼は僧の身であり、人を殺すことはできず、仇人が見つかったからといって再び俗世に戻ることにも抵抗を感じている様子。そこで彼は自ら仇人に自分の身の上を打ち明けて、道心の勝利を誓うことにしました。ところが仇人は惟念に対して、しきりにここで復讐することをすすめてきます。ですが、彼はぐっと自分の気持ちを抑えて、その誘惑に打ち勝つことができました。
その晩、惟念はその仇人によって命を狙われてしまいます。ですが、彼は防ごうとも逆にそれを討ち取ろうともいう気にもなれず、ただ自分を信用していない彼を憐れむばかりでした。そしてただ一言、「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」と仇人に告げます。結局、仇人は彼を手にかけず、その翌日に寺から逃げ出しました。
 
この物語では、〈他人に誓いを立ててしまった為に、かえって他人の信用を失ってしまった、ある僧〉が描かれています。 
この物語の面白いところは惟念が自分の身の上を仇人に打ち明けたことにより、二人の心情が大きく揺れ動いていくところにあります。まず惟念の方ですが、彼は自分の復讐の心をなんとか抑えてはいるものの、彼は今後の自分の行動に自信が持てず、いつか仇人を手にかけてしまうのではないかとう不安を感じはじめています。そこで自分を信用出来ない彼は、仇人に仇討ちをしないことを宣言することで、仇人に対して誓いをたてることにしました。こうして自分以外の誰かに自分の行動を見てもらいプレッシャーをかけることで、惟念はその決意を確固たるものにしていったのです。
ですが、一方の仇人の方はどうでしょうか。仇人は惟念の身の上を聞いた後、あたかも彼の心の中を見透かしたように、「我らを許して安居を続けられようとも、現在親の敵を眼前に置いては、所詮は悟道の妨げじゃ。妄執の源じゃ。心事の了畢などは思いも及ばぬことじゃ。」と述べています。恐らく、仇人は惟念が何故自分に身の上を明かしたのかを理解していたのでしょう。そして当然ながら、自分の事を信用していない者から自分を信用してくれと言われても、信用出来ないのは無理もない話です。こうして仇人は惟念に対する疑いの心を募らせていき、彼を殺そうという気持ちにまで至ったのです。


◆わたしのコメント◆
この作品は、三つの連作から成っています。
そのすべてが「仇討」を描いているところは同じですが、そのありようは三者三様であるところが相まって、全体としての面白さに繋がっているのです。
そういうわけですから、当然のことながら、それぞれの単作の一般性を引き出す際には、それぞれの仇討の独自のありかたが、作品に照らした特殊性を持ったかたちで引き出されてこなければならないわけです。

整理して言えば、この作品に含まれている三つの単作は総じて、仇討を扱っているという一般性を持ちながらもなお、それぞれの特殊性を備えている、ということです。

読者のみなさんは、「なにもそんなに整理しなくても…かえって難しくなっているではないか。そんなことは当然だろう」と思われるかも知れません。
ところが、眺めているうちには簡単そうに見えることでも、実際にアタマや手を動かして取り組んでみる段になると、それなりの困難な事情が隠されていることに、否応なしに気付かされるものです。

論者はこのところ、菊池寛の作品には「かえって」という<対立物への転化>の構造が多く含まれていることを見出しているようですが、その発見に引きずられて、あらかじめ念頭においた仮説を作品に押し付けて解釈するという踏み外しがないかどうかを、確認してゆかねばなりません。

あくまでもわたしたちの目指すところは、「その作品を正しく理解できているか」であるのですから。
でははじめましょう。

◆◆◆

『仇討三態』の「その一」は、「惟念(ゆいねん)」という僧を主人公とした物語です。
彼は二十二の頃に父親を打たれたことをきっかけにして、親の敵かたきを求めて六十余州を血眼になって尋ね歩きますが、探せど探せどその消息は知れません。そのうち彼が初老を迎える頃、彼の唯一の心の拠り所であった母を亡くした報を聞くに至るのです。千辛万苦のうちに過した十六年の旅がすべて虚しく思えてきた彼がたずねたのは、求(もとめ)の道であった、というわけです。
しかし得度した彼が心の平安を培えるようになったとき、一人の「老僧」と出会ったことが、彼の心を乱します。
その右の顎にある傷が、敵のものであることを認めた惟念は、彼に斬りかかりたい衝動という俗世的な衝動と、得度した身であるという事実の板挟みとなったのです。

◆◆◆

この物語で焦点となるのは、惟念と、その敵である老僧とのやり取りです。

老僧の顎に、敵のものであるしるしの傷を見つけた惟念は、彼に自らの名を名乗り、彼が自分の父の敵であるかどうかを尋ねます。
同じく僧となっているだけあって、老僧の受け答えは実に率直なものです。
そればかりか、惟念が自分を討ちたいという思いは実にもっともなものであるから、得度したかどうかはこの際気にせず、今すぐにでも自らを討ち取って故郷へ帰るように勧めさえするのです。

その求めに心揺さぶられる惟念の姿を見てみましょう。
 老僧の言葉は道理至極だ。惟念は、老僧を討とうという激しい誘惑を刹那に感じたが、それにもようやくにして打ち勝った。
「ははははは、何を申されるのじゃ。この期に及んで武儀の頓着は一切無用じゃ。愚僧は、もはや分別を究め申した。御身を敵と思う妄念は一切断ち申す。もし、貴僧にお志あらば、亡父の後生菩提をお弔い下されい!」
惟念は、すんでのところで一線を越えることを踏みとどまり、さも平静を装ったかのように笑い飛ばします。
まるで、激しい誘惑に打ち克とうとするがために笑っているかのようです。

◆◆◆

論者がこの物語で重視すべきだと言っているのは、ここの箇所ですね。

論者が引き出してきた一般性を見ると、このようになっています。
〈他人に誓いを立ててしまった為に、かえって他人の信用を失ってしまった、ある僧〉
「ある僧」がどちらの登場人物のことかが明記されていないために、一見するとよくわからない表現ですが、論証部を見ると、これはおそらくこういった意味を含んだものとして読み取って欲しかったのでしょう。

「惟念」が得度したからには、本来ならば世俗の恨みを持ち込んではならないという誓いを、自らの心に問いかけるかたちで乗り越えねばならなかったのだが、自分一人ではどうにもならなかった。
そこで「老僧」への告白を通すことで自らの気持ちを落ち着けようとしたのであるが、これは惟念がいまだ邪念を捨て切れていないことを意味している。
惟念が邪念を捨て切れていないという様は、彼自身のそぶりから、老僧へも伝わったのである。
これは老僧からすれば、自らへの恨みを捨てきれない者が同じ所で生活しているというのは心落ち着くはずもないのだから、老僧が惟念の寝込みを襲おうとしたのもやむなきことなのであった。

◆◆◆

なるほどたしかに、惟念が、「得度したからには父の仇への恨みも棄てねばならない」という、僧としてのあり方と、「得度したからといって恨みが簡単に忘れられるかといえばそうではない」という自由意志とのあいだの板挟みになって苦しんでいるのは確かであり、そうであるからには本当の意味で悟道を開いたことにはならないのだ、というのも正当な指摘であると言えましょう。
悟道を開くというからには、自由意志が、ごく自然な形で、恨みや怒りなどといった自分を取り巻くすべての感情の揺れ動きやしがらみから解放されていなければなりませんからね。
当然にこれは、ここでの惟念がしているような、「そういうふりができる」のではいけないのであって、あくまでも本心からのものでなければならないのでした。

しかしこの作品を正しく理解するにあたっての問題は、「物語はここで終わりではない」という一事にあるのです。

惟念が老僧に告白した晩、彼がふと目覚めると、ほの暗い堂内に人影が見えるのでした。
明らかに狼狽した様子から推し量って、彼はその人影が老僧のものであることを認めます。
その箇所を見てみましょう。
 彼は、その狼狽によって、相手が昼間の老僧であることが分かった。それと同時に、その老僧の右の手に、研ぎ澄まされた剃刀(かみそり)がほの白く光っているのを見た。が、彼にはそれを防ごうという気もなかった。向うから害心を挟んできたのを機会に、相手を討ち取ろうという心も、起らなかった。ただ、自分が許し尽しているのに、それを疑って自分を害そうと企てた相手を憫む心だけが動いた。が、それもすぐ消えた。彼には、右半身の痺れだけが感ぜられた。 
「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」 
 彼は、口のうちで呟くようにいいながら、狭い五布(いつの)の蒲団の中で、くるりと向きを変えた。夢とも現(うつつ)ともない瞬間の後に、彼は再び深い眠りに落ちていた。
ここでの惟念が、どのような状態になっているのかわかりますか。
得度して修業を始め、父の仇との邂逅から、その日眠るまでに、彼の精神がどのように変化して、最終的にはどのような質のものになっていったのかがわかるでしょうか。

自分が許すと言っているのに、それでもその言葉が信じられずに、なおのことを自らの命を狙う老人にたいして、「憫む心」が動いた、とありますね。しかし、それも「すぐ消えた」のです。
感情の揺れ動きはここまでの刹那のうちに解消されてしまうことが、身体的な痺れとの対比によって際立っています。
次に面倒くさそうに寝返りがしたいので邪魔をしないで欲しいとつぶやいた後、剃刀を持ち自分に敵意を向ける人間が眼前に迫っているもかかわらず、再び眠りに落ちたというのです。

これは一言で言えば「悟道をひらいた」とでも言うべきことであって、身の回りにどのような危険や誘惑が迫っていようとも、まるで心を乱さぬところまでに精神のあり方が研ぎ澄まされた、ということなのです。

物語がここまで描いているということは、論者の指摘した、「惟念の悟道未だ成らざる」という状態と、それへの老僧の反応についての指摘も、「物語全体の一般性」をとらえたものとは言えないことになります。

◆◆◆

ところで、老僧との邂逅で、惟念が心を乱したから、それに浸透するかたちで老僧も心を乱したのだ、と論者は言っていますが、老僧が心を乱したというのは、なにも惟念のせいだけではありません。

惟念が悟道をひらいた状態が、もし老僧にも訪れていたとしたら、自分が斬った相手の子と対面したからといって、逆恨みして命を狙うほどまでに臆病にならなくてもよかったのですし、翌日に逐電せずともすんだはずではないですか。

もし仮に、老僧も悟道に達していたとするなら、恨みの念の見え隠れする惟念と遭ったときにも、「たしかに、かつてはそういうことがあった」、と事実としては認めた上で、「私を殺すも殺さぬもお前の好きにするがよい」と、あたかも他人事のように言って薪作務に戻ったのではないでしょうか。
むしろ、老僧の心に少なからぬ動揺があったればこそ、世俗の価値観を持ち込んであれほどまでに強く自分を討つべきであると勧めたのだ、とも言えるわけです。

◆◆◆

この物語が描いているような「悟道をひらく」というのは、他にも「解脱する」、「涅槃に至る」、ということばとしても表される精神状態のことですから、実際に体験した者でなければなかなかに実感として読み取りにくいものがあるのです。

しかし、禅宗の僧でもないひとりの作家が、少なくとも外面的にはこのような人間の姿をあたかも眼前に浮かび上がらせるかのように描き出すことができるのは、作家の観念的な二重化の力が、それほどまでに達している、ということなのです。

この力というのは、たとえばファンタジー作家として、あるはずのない世界であっても十分に有り得そうなものとして描き出すための源泉でもありますし、雪山で遭難したり戦地からひとり生きて帰ったり運命の恋をしたりなどといった非日常を、ありありと描き出すためにどうしても必要なものなのです。

そうはいっても、この物語をはじめとして、日常からかけ離れた問題を取り扱った作品の心理描写というものは、なかなかに理解しがたいものがあると思います。
わたしたちがアメリカで生を受けていたら、日本の歴史文学や、そこに描かれている戦に向かう者の心境、それを見送り家を守る妻の姿や、絶対服従の封建制度、死ぬここと覚えたりの死生観などは、とてもとても理解できがたいものであったはずでしょう。

この理解には、基礎的な時代背景の理解が必要なのはもちろんですが、それにもまして登場人物の出生と生い立ちという生涯を、自らのもののように、過程をひとつずつ踏まえて捉え返す、という実力が必要なのです。
人のことを理解するには「謙虚になれ」と言えば済むのなら、これだけの修練というのはまるで要らないことになるのですが、そうでないからには、ひとつひとつの作品を丁寧に理解することをとおして、急がば回れで観念的な二重化の力を養ってゆかねばならないことになりますね。

ひとつの作品の理解を、ああでもない、こうでもない、と議論することも、その力の養成のために十分に生かし切ってほしいところです。

ちなみに、この物語は、惟念の精神の量質転化のあり方が主に描かれています。
このおおつかみな一般性を、この物語に沿うようなかたちで引き出すことができればよいでしょう。


【誤】
・いつか仇人を手にかけてしまうのではないかとう