2012/01/25

文学考察: 風ばかー豊島与志雄

更新に間が空いてしまってすみません。


付き合いの長い学生たちと、中身のある話をできるようになってきたのが楽しすぎて、時間があっという間に過ぎてしまいます。

振り返ってみると、諦めさえしなければずいぶん遠くまで歩んでこれるのだということが、理論的な仮定が現実化された経験に裏付けられるかたちで実感できて、なんとも感慨深いものがあります。
では今日も前に進みましょう。


◆文学作品◆
豊島与志雄 風ばか

◆ノブくんの評論◆

文学考察: 風ばかー豊島与志雄
ある日、子供たちは学校の先生から、人間の体は右と左では全く同じ形をしておらず、微妙な違いがあり、そのため目かくしをして歩くとまっすぐ歩くことができないのだという話を聞きました。ですが、この話をにわかには信じられなかった子供達は、早速野原に向かい、自分たちの体で実際にまっすぐ歩けるかどうかを試してみました。すると、やはり先生が言っていたように、なかなかまっすぐには歩くことはできません。そうしているうちに、子供たちの素朴だった疑問は、次第に誰がまっすぐ歩くことができるのかという競争心へと移り変わっていきます。そんな中、ただ一人、マサちゃんという男の子は見事まっすぐ歩くことに成功しました。これを見ていた他の子供達はまさちゃんに負けじと、彼に教わりながらまっすぐ歩く練習をはじめました。ところが、そんな彼も他の子供達にお手本を見せる為、もう一度歩いてみると、少し曲ってしまいました。マサちゃんはこれを横から吹く風のせいだと考え、「風にまけてなるものか。」と諦めず挑戦します。そうしているうちに、マサちゃんの耳には、彼を邪魔する風の音が「ばかー、ばかー」と聞こえるようになっていきます。はじめは彼もそんな事を気にはとめていませんでしたが、遂に我慢できなくなり、自らも「ばかー、ばかー」と、怒鳴りはじめてしまいます。この彼の異常な行動を心配しはじめた他の子供達は、彼を引きとめて家へと連れ帰りました。
こうして家に帰ったマサちゃんは、お父さんとお母さんに今日の出来事を話して聞かせました。すると、お父さんは笑いながら、「風は息なんだよ」と自然にある風に立ち向かうことへの馬鹿らしさを彼に話しました。そしてそんなお父さんに続くように、マサちゃんも息をついてさーッさーッと吹く風をみて「ばかな風だと」とばればれと笑いました。
 
この作品では、〈自然にある風を精神が宿った生き物のように考えている、子供の瑞々しい感性〉が描かえています。 
この作品の終盤で、マサちゃんとお父さんは風とはどういうものなのかについて話し合い、それに立ち向かっていくことへの馬鹿らしさについて話していますが、2人の風に対する解釈が大きく違っている事に注目しなければなりません。では、この時の2人のやりとりを軸にして、具体的にどのようなところが違うのかを見ていきましょう。 
まず、お父さんの方では、「風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。」、「空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」等という言葉から察するあたり、風というものはただ自然にそこに存在しているものであり、自然現象に過ぎないのだということを説明しているのでしょう。ですから、彼は我が子が風に対して、まるで同じ精神をもった生物のように考え、勝負を挑んでいたことそのものに対して笑っていたことになります。 
しかし、一方マサちゃんの方ではどうだったのでしょうか。彼は、そうしたお父さんの話を聞いて、その後も尚、「ばかな風だな」と風を生物のように扱っているではありませんか。すると、彼はお父さんの話を一体どのように受け止め、風に対して馬鹿だと言っているのでしょうか。彼はお父さんの「空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」を聴いて納得しているあたり、どうやら風は自分の意思で動いている訳ではないというところまでは理解していたようです。ところが、もともと風に精神が宿っていると考えている彼は、その考え事態を捨てきることは出来ず、恐らく風というものは自分から自由に吹いているのではなく、自分が息をして風をおこすように何者かによって息として吐かれ、自分の意思とは関係なく吹いているのだと考えたのでしょう。そして彼は、そうして自分の意思ではなく、誰かによって動かせれている風に対して、馬鹿だと言い、はればれと笑っていたのです。


◆わたしのコメント◆

学校での先生の発言をうけて、友人たちと真っ直ぐに歩けるかどうかの競争をはじめた「マサちゃん」は、それがうまくいかなくなったときから風が吹き始めたことを気にかけ始め、さらには風が「ばかー、ばかー」と悪口を言っているように思えてきます。帰宅したあとそれを「お父さん」に話してみると、「それは、お前のほうがばかだよ」と諭されます。マサちゃんは、お父さんとどんな話し合いをして、どんな結論を出すのでしょうか。

論者は、この物語の本質を、「マサちゃん」と「お父さん」の風についての議論に認めており、そこでの過程的構造を探ろうとしています。
二人のそれぞれの認識のあり方は、互いが互いの発話を表現として受け取る形で発展してゆき、表向きにはひとつの着地点を見出しますが、その同意は必ずしも、両者の認識がピタリと一致したことを意味しません。

ある人の表現をみた受け取り手が、その表現者の認識にまで立ち入らずに表面的に受け止めてしまうことはよくある誤解ですが、この物語では、その誤解が子どもらしい感性に由来するものであるがゆえに、かえって子どもらしさを引き立たせる効果になっています。

最終的には、マサちゃんは風をやっぱりばかな奴だと理解し、お父さんはそういう我が子の姿を見て子どもらしい発想で面白いものだ、と理解し互いに笑い合う場面で、物語はおしまいになるのです。

そのように表現と認識が相対的に独立したものと理解したうえで、作品の本質を引き出した論者の指摘はまったく正当です。

◆◆◆

ここから次の節まで脱線します。

ただ文章自体は良くなってきたものの、誤字脱字がその数を減らしていないというのは、「見なおしの回数」ではなくて「見なおし方そのものの質」のほうに欠陥があるということですから、なぜ誤るのかの過程における欠陥を、是が非でも洗い出しておく必要があります。

表現を見たところ、自分の書いた文章を自分に都合の良いように読み取ってしまうということが原因なのではないかと思います。もしそれが主たる原因なのだとすると、以前に指摘したことのある、「ひとつの作品を自分のあらかじめ設定した結論に向かって解釈してしまう」という認識の仕方にも関連があると思いますから、どれだけ不足していようとも自らの自制心でもって、どこに誤る理由があるのかを見ておいてください。

こういう言い方をすると、ひとつの表現に欠陥があっても、その読み手は文脈を読み取りながら少々の欠陥であればそれを補足しながら読むことができるのは、むしろ人間のうちの好ましい機能であるという見方を持ち出す人間がいます。
そのときに根拠として持ち出されるのは、人間が口頭で話し合うときには、純粋な音としては3割ほどしか受け取れておらず、他の7割は自分勝手に補完しながら理解しているのだ、などといった現象的な事実です。

たしかにひとつの表現が理解される過程を探るとき、そのように、表現者と受け取り手の関係性に着目してもなんらの問題はないのですが、現実の問題を解くことのできない理論は科学とは呼べませんから、なんとしても深く追求してゆく必要があります。
今回の場合に限って言えば、どうやら「意味のわからない語句などを、無意識のうちに放ったらかしにしておいてしまう」というような性質を含んでいるようなので、特別な注意が必要だと思うのです。

「わかっていないのなら調べればいいではないか」というのが一般的な見解ですが、以前記事にもしたとおり、「自分がわかっていないことそのものがわかっていない」ということがあるのが一番の問題なのです。質的に差がありすぎる理論にバッサリ切られても、切れ味がよすぎて自分が息の根を止められたことに気づかない、という場合ならありますが、質的にそれほどの飛躍もないはずの細かな表現上の誤りを見落としてしまうのは、それと区別して考えるべきです。

いまは失敗の本質が特定できないために雑多な書き方で述べてきましたが、この問題の解き方を一言で言えば、「ケアレスミスとはどういうものか」と問いかけて、その構造を立体的なかたちで取り出すことが出来れば、理論的に乗り越えてゆける筋道が立てらるということです。次回の面談時に認識論的に議論しながら探求してゆきますので、自分のミスについて思い当たるところを忘れないようメモしておいてください。

◆◆◆

閑話休題。お目汚しすみません。

さてこの物語に視線を戻すと、マサちゃんとお父さんという二人の人間が、表向きは同意に達しながらも、その両者のあいだでは認識のあり方に依然として差があるということは、ひとつの重要な事実です。
そこに誤解があるからこそ、仲睦まじい夫婦も時には喧嘩をするのですし、逆にそこをうまく突かれて詐欺に合うということもあるわけです。

ここに含まれている論理性を一言で述べれば、上で述べたように「表現と認識は相対的に独立している」と言えばすみますが、その理解が誰にとってもしっかりと理解されているかといえば、そうとは限りません。
このひとつの論理も、文字として述べたときにはひとつの表現であることに変わりがないからには、やはり相対的な独立に目を向けて、表現としては受け止めているつもりでもその内実をしっかりと踏まえられているだろうか、と考えて進めてみることが必要です。

◆◆◆

せっかくの機会ですから今回は、文中の表現をそのまま抜き出す形で、マサちゃんとお父さんのやり取りがどのようなものであったかを、評論よりも突っ込んでみて行くことにしましょう。

まずは、物語のさいごの箇所を読んでみてください。
検討が必要な箇所について、マサちゃんの表現をオレンジ、お父さんの表現をグリーンでマーカーしました。


「風がばかー、ばかーとわるくちをいう」というマサちゃんに、お父さんは、風というのは「息をついて吹く」ものなのだと説明したところから、このやりとりは始まっています。

風が悪口を言うというマサちゃんにとっては、風というものは何らかのかたちをもった実体である、という理解が前提としてあることを見逃さないでください。次の表現を見てもそのことがよくわかります。

「風って、息をするんですか」(M1)というマサちゃんの質問にたいして、お父さんは、風が固定化された実体であるというマサちゃんの思い込みをゆるやかに修正するかたちで、「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」(F1)と答えます。

(M1)「風って、息をするんですか」

ところが、その答えを受けたマサちゃんは、風が実体ではないということになっても実体を探すという発想そのものは手放さずに、「それでは風を吹くという行動を起こしている主体は一体誰なのか?」という問題が新たに沸き起こってきます。

だからこその、「なんの息?」(M2)という質問なのです。

(M2)「なんの息?」

お父さんは予想外の質問にすこしうろたえたと見えて、「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様さまの息、いろんなものの息……ただ息だよ」(F2)という答え方をすることにしました。

お父さんは、風がどのように起こるのかという仕組みを、科学的なところから説き起こしてもマサちゃんは納得しないだろうし、自分でもそこまで詳しくは理解もしていないと思ったのでしょう。そこでお父さんは、風が何によって起こっているかはともかく、風は息のようなものであることは確かですよ、という言い方をしたのです。

それを受けたマサちゃんは、そうすると、と考えて、「風には人格がない上に、風の吹きはじめるところにも人格を持った存在はいないのですか」と聞き返すかたちで、「ただ、息だけ?」(M3)と、ほんとうに自分の考えであっていますか、とお父さんに聞き返します。

(M3)「ただ、息だけ?」

最終的には、その念押しの問いかけに「息だけだよ」(F3)とお父さんが応じたことによって、マサちゃんは、風にはそのものに人格もないし、その背後に人格を持った存在もいない、風はただの息みたいなものだという確信を持ったのです。
ここにおいて、マサちゃんとお父さんは、「風は息のようなものである」といういちおうの結論を共有することになったのですね。


事ここに至りマサちゃんははじめて、風というものを、自分やお父さん、お母さんのように、感情を持って行動を起こすところの人間とは別種のものだという認識を新たにしましたから、何も考えずに吹いているだけなんて、ぼくたち人間に比べれば「ばかな奴だな」(M4)という素直な感情を持つことになったわけです。

◆◆◆

最終的には、マサちゃんとお父さんは、表現の上では一定の合意に達しており、その双方が「風は息のようなものだ」という理解を持っていることでは一致しているように見えますが、ここには認識の上では違いがあることを見落としてはいけません。

これまでのやり取りをまとめた図を見てください。


風を息として吐いている実体はなんなのかというマサちゃんの問い(M2)にたいして、お父さんはすこしうろたえながら「なんの息って……。どういったらいいかなあ、」と答えた(F2)箇所がありましたね。
お父さんは、自然現象としての風が、それを生み出す固定化された実体を持っていないことは知っているのですが、それでもその生成原理はなんなのかと説明する段になると、そういえば詳しくはわからないな、ということがわかりましたから、自分の認識を少し改めます。

それまでの自分が暗黙のうちに、なんらかの実体が息として風を吹かせているかのような理解をしていたことを、マサちゃんの問いかけに十分応えられなかった経験から思い知らされたので、風の原因はなんだかよくわからないものとして捉え返されることになりました。図のうち、(M2)をうけて風が生成する原因がおぼろげなものであることが明らかになったことを、点線として表現してあります。

それでもお父さんがなんとか答えようとして、「ただ息だよ」(F2)という言い方を選んだ時には、マサちゃんは風を吹かせている実体という存在を完全に消してしまいますが、お父さんとしては、風が吹くという原因はそれほど詳しくは知らないが、どんなかたちにしろたしかに存在するのだという理解はそのままであったので、マサちゃんとのあいだの風についての理解が最終的な同意に達したときにも、両者の認識のあり方には差が残ったままになっているというわけです。

お父さんは、原因ははっきりとはわからないながらも風というのはなんらかのかたちで生み出されるものだ、という風についての一定の理解がある立場から、マサちゃんの「ばかな奴だな」という感想を、子供らしく純粋な感想として受け止めますから、そこにある誤解はともかく、「声たかく笑」うことになったわけです。

この「笑い」は、マサちゃんが自分なりに風について合点がしたことによって起こった「笑い」とは、現象としては一致していてもその内実は違っていることが、この物語の面白さとなっています。

また、マサちゃんはお父さんと議論を始める前に抱いていた風への「ばかな奴だ」という感想は、議論が終わる頃になるころには、その議論が止揚されるかたちで「(やっぱり)ばかな奴だな」という結論になっていることも、お父さんにとって、この物語を読む読者にとっても、面白い点であると言えるでしょう。

マサちゃんとお父さんとの「笑い」も、マサちゃんの2つの「ばかな奴だ」も、見た目は同じながら質的に異なっていることを、論理性として引き出しておけば、創作活動をするときや、冗談を言うときにも使えるというわけです。

◆◆◆

ところで、この物語に現れている認識の発展の仕方は、なにも子どもから大人になるにつれて過程として持つことになる道筋だけに限られているのではなくて、人類の文化の壮大な流れから論理性を引き出すときにも、同じように把握されるものです。

弁証法は、古代ギリシャの時代に、相容れぬ議論を闘わせるなかで論理性として自覚されてきたものであるということは、マサちゃんが風についての認識を、誤解を含みながらも前進させると共に、お父さんが自分のわかっていない部分を明らかにするというかたちで前進を見せているということにも単純なかたちで現れています。

その流れを大きく人間ひとりの生涯として捉えるなら、子どもの時には、もっとも身近になる人間という自分の立場から、他者であったり自然であったりというあらゆるものを見てゆきますから、そこには大きな解釈の余地があることになります。夕暮れ時の藤棚がざわつくのはお化けがいるからですし、ものが燃えるのは火の精が元気になったからです。それでもよいでしょう、子どものときにはね。事実、子どものときに、大人が当たり前と見過ごしてしまう事柄にもなんらかの主体を見出すかたちで想像をたくましくするというのは、「思考の訓練としては」、と限定すれば、とても大きな効用があるものです。

子どものときには誰しもがもっており、またマサちゃんその人も手放さなかった、自然の中にも何らかの意志を持った実体があるはずだという発想は、人類総体としては古代や中世にかけての素朴な哲学のなかにありましたし、それは宗教のかたちで保存され、現代でもアニミズム、言霊信仰といった特性として、大衆の素朴なものごとの見方の中に溶け込んでいます。

ただわたしたちが友人のつくった音楽に感銘を受けて、「あなたの曲には魂がこもっている」と言ったとき、表現としてはそうであっても、友人の頭上から実体としての魂が抜けだして、ライブ会場を揺らす音響設備やCDの中に宿っていると信じているのかと問われれば、そんなことはないと言うでしょう。

現代では精神が脳の働きであることがわかっているように、実体として見られていたものが、実のところ他の器官のはたらきであることや、他の実体との関係性においてあらわれているものであることが、科学的なものごとの見方が深まるにつれて明らかになってきました。

評論のコメントで、「本質のつもりで実体を探すのをやめなさい」と言ってきたことの内実が、だんだんとわかってきましたか。

マサちゃんのような発想に心躍らせることができるのは、お父さんのようなものごとの見方ができてこそ(相互浸透)なのですから、仮にも人類の名を背負って生きるからには、わたしたちもマサちゃんのところに居続けるわけにはゆかないのだ、ということになりますね。


【正誤】
・これを見ていた他の子供達はまさちゃんに負けじと、→マサちゃん
・「ばかな風だと」とばればれと笑いました。→はればれ
・その考え事態を捨てきることは出来ず→自体
・誰かによって動かせれている風に対して、→動かせられている

2012/01/19

どうでもいい雑記:就職活動はどう考えるか

就職活動が始まっているようですね。


今年度は2ヶ月ほど始まるのが遅いようです。

日本の就職活動は戦後から、だんだんと早まってきていて、今では気の早い人は3年の中頃あたりからソワソワし始めるというので、大学側も企業側と協定を結んで、就職活動が勉学に差し支えないようにしたいと思っているようです。
もっとも、制度だけを整えれば学生たちが勉学に関心を向けるかというとそんなことはないのですが。

ところで就職活動を考えるようになった学生さんに、そのころどうしてたか聞かせてくださいと言われますが、進んだ道がジグザグすぎて、少なくとも直接的にはあまり参考にならないことを前もって白状しておきます。

わたしは3年の前期で卒業に必要な単位が揃ったので、長い長い夏休みの間はずっと絵を描いていました。
ほらね、参考にならなさそうでしょう。

ええっ、じゃあ絵を描いていたということは美術大学にいたんですか、と聞かれますが、大学では経営を勉強していたのでそうじゃありません。大学時代に先生たちからそれはそれは結構な扱いをされていたので、大学のあり方や人を導くはずの立場の人たちの人格に呆れ返ってしまっただけなのです。ただもっと勉強してちゃんとした大人になりたい、という思いだけはくすぶっていたので、学費を稼ぎながらでも好きなことのできる美術の学校にでも入り直そうと思ったのですね。

そのあといろいろあって研究者の道に戻ったり、それを活かして芸術の分野に取り組んだりもしていますが、今の自分からふりかえってみると、研究者一本だと道は通じていなかったし、芸術家一本でも同じことだろうと思うのです。
ひとつだけ言えるのは、いまではその曲がりくねった曲がり道のひとつひとつにすべて大きな意味があって、そのどれもがなかったのなら今こうしてはいなかっただろう、ということです。

◆◆◆

どんな生き方をしていても、人間としてまっとうな生き方をしたいと思えば思うほどに、周囲からの不理解や圧力が身に染みることもあります。

ものごとの進め方が人と違っている場合には、その過程では散々の村八分にされるわりに、いざ成果がではじめると衆目が手のひらを返したように「前からきみはできる人間だと思っていたよ」などと言い始めるものですから、人間なんてアテにならない、という実感も湧きそうなものですが、自分だって赤の他人が風変わりなことをするときには眉をひそめて世論に同調するのだとしたら、世間を非難するわけにもゆきません。

もっとも、一見した印象で人格を推定してしまうという悪い癖が人間にはあって、世間の目はそのような作られ方をしてしまうことの裏返しとしてこそ、結果が出ないときにも自分のことを理解して、支えてくれる人たちのありがたさが正しく受け止められるわけですから、ここでもやはり、ものごとを相互浸透として理解する姿勢を持っておきたいものです。

わたしも振り返ってみると、それなりに人並みの進み方をしてきましたから、八方塞がりでこの先どうしたらいいのか、と、途方に暮れることもないではなかったのですが、先ゆく道の手がかりがまるでなくなったときにひとつの指針になったのは、「いちばん自分が幸せになれることをやろう」ということでした。

幸せといっても漠然としていますよね。たしかに倫理の教科書を開くと、幸福論はアリストテレスに始まり〜という書き出しで、その結論は「未だ完成されていない」というような論調が多いので、あんなに賢い人にも答えはわからないのかと頭を抱えてしまいそうになりますが、わたしにとっての幸せというのは、ただ単に「好きなことをやれるかどうか」、「胃の痛くなるような思いをしなくてすむかどうか」、「自分のやっていることをあとで振り返ったときにがっかりしないかどうか」といった、ごくごくふつうのものさしで測った時の感じ方です。

相互浸透の関係を捉えるために逆のことを言うとすると、「お金や地位のために人として恥ずかしいことをやっていないかどうか」という表現がふさわしいところです。自分の生きる道しるべを自分の外側の、もろもろのルールに丸投げしてしまっていないかどうか、ということで、他の人がそれくらいいいんじゃない、と言っても、自分で考えてみて納得できなければやらない、ということです。

結局のところ、自分の好きなことをやる、ということを生き方のいちばんの前提にしておくと、そこからどんな結果が生まれたときにでも、後悔しなくてもすむでしょう。失敗を人のせいにしなくてもすむでしょう。成功に舞い上がりすぎなくてすむでしょう。

それからあわよくば、自分の好きなことをやって人の幸せにつながるというなら、誰にとっても悪いことはなさそうだと思えませんか。わたしは自分の夢というものを、そういうぼんやりしたところから考え始めて、実際にものごとに取り組む中で、しだいしだいに絞りこみ明確な像として持てるようになってゆきました。

もちろん実際に道を歩んでみると、ことはそう簡単ではないことを思い知らされることもありますが、突き詰めたところに出合う矛盾というのが、核心的な問題なのですから、それはそれで収穫があるのです。
本質とずれたところで頭にレンガをぶつけられるようなことがあったとしても、それでも折れずにやっていられるのは、そういうことを常々考えて、少なくとも自分は悪いことはしていないだろうと確かに確認できているからではないかな、と自分では思っております。

◆◆◆

いつも堅苦しい話をしているのにえらくぼんやりした話だな、と思った学生さん、鋭い。

冒頭の「制度を整えてもだめなら学生をどう指導すべきか」に始まり、「幸福とはどういうものか」、「倫理とはどう生成されるか」、「好きというのはどう決めるか」、などなど、たくさんの解かなければならない疑問点がここにはありますね。

どんな人生を送るにしろ、その過程をしっかり捉えてちゃんと考えて歩むときには、そういった事柄も少しずつ解けてくるものですから、今度お会いしたときに、順を追って議論しながら進路を考えてゆくことにしましょう。とても長くなりますよ。

2012/01/18

創作活動はなにから学ぶか (3):オタクは革新を生み出せない

(2のつづき)


前回では、専門家の陥りやすい落とし穴について触れてきましたが、個人的なことをいえば、わたしも自分のことを、本来なら悪い意味での専門家的、一言で言えば「オタク」的だと思います。

自分の知らないことを知っている人の話を聞くのはとても充実した時間であると感じますし、昨日は知らなかったことを今日知ることができるのは、なにより幸せなことだと思います。
去年の年末も自転車のイベント会場で、前から勝手に弟子入りしていた先生とたまたま出会ったときには、ご本人の事情も顧みず、あれやこれやと細かな理論がどうなっているのかを聞き出したものでした。

実際にものづくりをするときにも、微に入り細を穿ち、というこだわりをもったその先に、ものごとの本質が見えてくることも実感としてよくわかります。
しかしそうやって視野がどんどん狭くなる性質があるからこそ、1年ごとに、また一緒に勉強する学生たち一人ごとに、違った分野に取り組む必要があるのです。

◆◆◆

わたしはこの記事の(1)のはじめに、「バッグを作るのになぜ万年筆から学ばねばならないか」という質問に答えようとしていましたね。
そのときの答えは、「いくらバッグという分野の個別的な知識を集めたとしても、新しいバッグは創れないからですよ」としておきました。

ここで「作る」ではなくて「創る」と書いたのは、自分の作りたいものを、既製のもののコピーでなくて、今まではなかったようなものを作ろうとすればするほどに、「既製のバッグだけ」の専門家になってはいけないのだ、という意味合いを込めての表現だったからです。

もしわたしたちにとっての「新しい」というものが、たとえば3色ボールペンから学んで4色ボールペンを作ることを指しているのであれば、オタクになってしまっていても充分に役目を果たせるでしょう。
その場合なら、2.0GHzのCPUよりも2.4GHzのほうが尊いですし、携帯電話の画面は大きければ大きい方が良いですし、カメラのレンズは明るければ明るいほうが良いでしょう。

しかし、それが「本当に新しい」ということでしょうか?
本質的にものごとを進めるということなのでしょうか?

ものごとを新しく考えなおすときには、その分野の個別的な知識も要りますし、そこからその分野がどのような変遷をたどって現在に至ったかという流れを追ってみることはもちろん必要なのですが、とりもなおさず必要なことは、その先になにがあるのかということ段になると、人の手を借りずにあくまでも自分の力で想像し、実際に創造してみるのでなければならないということです。

ほんとうの意味での革新というのは、既存の知識をしっかりと学んだ上で、すでにある前提を疑ってみて、それがほんとうにいちばんの近道なのだろうか?と考えなおすことのできる感性・想像力と、それを手かがりに実際に歩みをすすめることのできる実行力を兼ね備えたときに起こるものなのであって、4色ボールペンを作ることとは質的に違います。

たとえばわたしが去年に革細工に取り組んだ時にも、オーナーとの議論をする中で、「色はもっと濃いほうが好みだが形がゆるいのはイヤだ」とか、「裏面も美しくなければイヤだ、間抜けな縫い目を晒すのは恥だ」とか、「ペンケースはどうしても三角形にしたい」とかいう、「こういうのがいいな」どころか、「こうでなければ絶対にダメ」というまでに強い思いがありました。

その思いをとにもかくにも正面から受け止めて、なんとか形にしてやろうという目的意識があるからこそ、「現状は無理だがどうすればいいのかを考えよう」と考えを進めて行けたものでした。
本職の鞄屋さんから言わせると、「よくこんなところ縫ったねえ」とか、「よくこんな道具で作ったねえ」とか、呆れ半分で驚かれるのですが、知りすぎていないからこそできることもあったのでしょう。

ここをもし、そういった「これが欲しい、絶対だ!」という強い目的意識なしに、たとえば世界中のすべてのカバンを知り尽くしている人間が欲しい物を描くとしたらどうなるでしょうか。
その業界に限って言えばとても常識的な、つまりあらゆる制約条件をくぐり抜けるようなアイデアの、技術的にもセーフティでなんの問題もなく実現できるようなものになると思えてきませんか。
こういう考え方をしたときには、どうしても「オタク」的な発想に行き着かざるをえないのです。

◆◆◆

わたしがバッグ作りなんかをしていて行き詰まったときにいちばん参考にしたのは、たくさんのバッグが載っている本などではなくて、動物の骨格が歴史的に追ってゆけるような図鑑だったり、もっと言えば散歩しながら川辺で拾ってきた石ころでした。

山のてっぺんにあったときにはゴツゴツしていたであろう岩石が、水に押し流されて長い長い旅をするなかで徐々に削られてきたという過程が、そのとき手に取った石ころひとつの中に歴史性として刻まれているのだとすると、それは何とぶつかったのか(相互浸透)、どれだけぶつかって続けてきたのか(量質転化)、つまるところどういった磨き上げられ方だったのだろうか(歴史的な論理性、歴史性)と想像してみることができます。

ひとつの石ころでさえそのような歴史性を持っているのなら、地球が誕生して以来の動物の進化の過程などを考えて、そこにはどれだけのものが含まれているのかを想像してみると、これは恐ろしいまでの歴史性が根底に流れているのであり、つまみ食いするだけでもアイデアの宝庫だと言えると思いませんか。

それに比べると人間は、すでにあるものに線を足したりボタンをつけたり、枝葉のところの工夫ばかりを凝らしていると思いませんか。

目に見える現象面だけを追ってもそうなのですし、そこから進んで本質的なところを突き詰めようとすればするほどに、筆記具を前進させる時には「文字を記録するとはどういうことか」を考えてみなければなりません。バッグを前進させたいのであれば、「ものを持ち運ぶとはどういうことなのか」という視点を持たねばなりません。

◆◆◆

技術革新ということばが独り歩きすぎるあまりに、「革新」という言葉の意味がとらえにくくなっているきらがあるのですが、「革新」というのはなにも、あたらしい技術が生まれるのを指をくわえて待っていなければならないというものなのではなく、オタク的な常識に染まっていない人間が、「あれ、ここはこうしたほうが便利なんじゃないの?」という素朴な指摘を、馬鹿だからできて、実際に推し進められたという場合に起きたときに与えられるのだと考えたほうがむしろ正しいようにも思えます。

たとえば「このリモコンって、なんでこんなにボタン多いの?」とか、「このカメラって、なんでこんなに複雑なの?」ということを、単なる一人のワガママだと片付けてしまわずに突き詰めてゆくところにも、そのきっかけがあると言えます。
テレビもカメラも、それぞれ「そもそも」、ゆったり映像を楽しむために、気に入った風景を残すためにあるのなら、手順の複雑さは別に必要とされているわけではありませんね。
オタク化したコミュニティが、いくらその手順にケレン味を見出して自分たちの城に閉じこもるための方便に利用したとしても、他の多数にとっては道具の本質が揺らぐことはありませんから、彼女や彼らは自分にとって都合の良いものを好き好きに選びます。

「馬鹿ほど怖いものはない」というのは、これから取り組むことの常識を知らずに、「だってこっちのほうがいいもの」と馬鹿が譲らないままに前進したときに、革新が起こることがある、という意味にもとれます。
AppleのCEOだったスティーブ・ジョブズは講演で、学生へのメッセージとして"Stay foolish, Stay hungry."と言っていましたが、あれはここらへんの事情を経験的に掴んでいたから言った言葉なのかもしれませんね。

どんなことにせよ歴史を踏まえているのは良いことなのですが、それを「知識的に」知っているだけで、「あれはこういう理由でこの形になっているんだよ」ということを、現実に直面している不便さの言い訳に使っているような専門家や業界は、例外なしに破滅への道を突き進んでいる、と考えてよいことにもなります。

こういうわけで、道具やデザインを考えるにあたっても、先へ進むために必要なのは歴史的な個別の知識ではなくて、歴史の流れと流れ方、つまり論理性なのだ、といういつもの結論に行き着かざるをえないのでした。

(了)

2012/01/17

創作活動はなにから学ぶか (2):専門家からオタクへの転化

※後編を書いていたら長くなったので、全3編になりました。
読みやすいように副題を付けましたが、(1)の本文については修正はしていません。

(1のつづき)


前回では、いろいろな分野の専門家が、その専門とする対象をどのように見るかをおおまかに書いてきました。
身近にいる人の中で、特定の分野に精通している人を思い浮かべてもらえればそれほどずれてはいないことがわかってもらえると思うのですが、ここでの専門家像というものを一言で言えば、一般の人の認識の仕方では捉え切れないこまかな品質について判別しうる、ということでした。

わたしたちはこういった専門家が身近にいることを非常にありがたく思うことが多いものですし、通常ならば相談料でも取られるところを無償で、しかも喜んで教えてくれるところを見るにつけ、彼や彼女らのいったいどこが問題なのか、なんともありがたいばかりじゃないかと思えてきてもおかしくありません。

学生のみなさんは、まだひとつの道具が新しい考え方の道具によって乗り越えられる様を、文字で読む歴史はまだしもその場に身をおいて体験した少ないはずなのでわかりにくかもしれません。

たとえば、というところで、携帯電話が出るたびにあたらしいものに買い換えていた人が近くにいるとしましょう。
今度タッチパネル式のスマートフォンというのが出るというので、彼にあれはどうだろうかと聞いたなら、どういう返事が返ってくるでしょうか。
「テンキーがないとメールも満足に打てないし、絵文字も使えずおサイフケータイにもならないものなんてダメだろう。第一ちょっと考えればわかるとおり、画面を直接触ったら指紋でべったりでとても使えたものではない。物好きは飛びつくかも知れないが、一過性のブームで終わるだろう」と言うかも知れません。

彼は詳しいから正しいだろうと考えて、その意見を素直に聞いていたけれども、1年経つ頃には周りの人たちがパラパラとスマートフォンに変え始めました。彼にもう一度聞くと、帰ってきた答えは「動じるな、変化は一時的だ」というものでした。

あなたはそろそろ、はたしていつまで彼についてゆけばいいのだろうかと、不安になってくると同時に、彼の立場がどういうものなのかを理解しはじめました。

同じことは、電動自動車が出たときにも、電動自転車が出たときにも、デジタルカメラが出たときにも、既存の技術とは違ったやりかたを使った製品が出るときには、それがたとえどんな分野であっても繰り返されてきた主張です。
こういった主張を一言で言えば、「新しいものは邪道である」という考え方です。

昔からの精通者というのは、現代の筆記具が失ってしまった書き味と所有感を万年筆が満たしてくれることを知っているのと同じように、アンティークの収集家もオールドカメラの心酔者も、たしかに細かな品質に心細やかに気づくことができますが、それでもどうしてもわからないし、また目に入ることがあっても頭を横に振ってわかろうとしないことは、すでに自分が囲い込んでしまった世界の、その外側のことなのです。

この原理的な考え方は、新しいものを見るときにも、それが従来の流れの延長線上にあるかどうかという尺度を持ち出さずにはいられないために、論理的な強制として、新しいものを直ちに邪道と見做さなければならない立場に置かれているわけです。

◆◆◆

たとえばフィルムカメラの全盛期に、カシオがデジタルカメラの普及機を登場させたときには、古参のカメラメーカーはもちろんのこと、写真愛好家たちもその反応は冷ややかでした。
ファインダーを覗かずに写真が撮れるか、連写ができないのに決定的瞬間を押さえられるか、板にレンズをつけたようなものをカメラと呼べるか、と言いました。
ところがそれから15年と少し経った現在、時代はどのようになっているでしょうか。
どれだけの会社がまだフィルムカメラを製造しており、どれだけのユーザーがそれを使っており、どれだけの人間がファインダーを覗いて写真を撮影しているでしょうか。

2011年の中ごろ世界最大の写真投稿サイトのFlickrでは、「最も使われているカメラ」(最も使われているカメラ付きスマートフォン、ではありません)はiPhoneになりました。

Flickrより転載

いまあなたがiPhoneで写真を撮影すると、iPhoneは自動的に撮影場所を記録してくれますし、自動的に複数の写真を合成して見栄えの良いものにしてくれますし、その場で編集も出来ますし、それをSNSで共有して友人たちに一斉に見せることもできますし、そのうえ撮影された次の瞬間には特別な操作なしにiPadやPCの大画面で写真の出来映えを確認することもできます。これらのすべてが、ケーブルを繋いだりしなくとも自動的に行われます。

さてそうすると、この先にもカメラは今のままの形で残り続けるでしょうか?

ひとつの目安として、どれだけの数の人間に支持されているかを見ると、プロ向けのカメラの場合はひとつのモデルが全世界で年間10万台売れれば大ヒットですが、iPhone 4の場合は発売3日で400万台を売り上げています。

数で比べても本質は揺るがない、他業種のことを持ちだしても意味がないという人もいますが、そう言い切ってしまってもよいでしょうか。
つい最近の出来事を挙げるにしても、自動車が馬車を、携帯電話がポケベルを、iPodがウォークマンを、それぞれ徐々に、時には瞬く間に乗り越えてしまったことは、どれもがそれまでの世界に閉じこもっていた人間には予想もつかなかったことだったはずです。

ポケベルをあれほどまでに愛用していた人たちが、まったくの一夜、といってもいいほどのスピード感をもって携帯電話に乗り換えたことはまだそれほどの昔でもありませんし、あれほど一過性のブームで終わると言われていたスマートフォンが、今年には従来型の携帯電話を完全に乗り越えることにもなっているわけです。
この大きな変化をユーザーの側から見れば、ただ便利な道具を選べばそれでよいですし、上で述べたような専門家のように、「形式的な逸脱になんらかの根拠付けを見出してからでないと動いてはならぬ」という心理的な制約もないのですが、作り手側から見れば、これはとても大変な変化です。

さきほどはiPhoneを発端にしたタッチパネル式のスマートフォンという機械が、あっという間にカメラとしても台頭してきたかという一例を上げましたが、スマートフォンはなにも、カメラとして使いやすいだけではなく、電子辞書に電子書籍、ゲーム機、予定表やナビといった他の分野にも足がかりを持っているのです。
それらの分野に従事してきた人たちや、それを支えてきたファン層は、あたらしいものが普及するさまを、別の惑星から来たエイリアンの侵略のように受け止めるかも知れませんが、柔軟な考え方のできるユーザーから見れば、持ち運ぶ道具、買う必要のある道具をひとつにまとめてくれる救世主かもしれません。

専門家が相当の審美眼を備えており、滅びかかってゆくもののなかにそれを乗り越えて滅ぼしつつあるものには到底叶わない所有感、使い心地、神に至るほどの細かな品質を備えていることを認めたとしても、専門家が神だと崇めているのは、とても狭い分野の、極めて強い特殊性を持った神であることを忘れてはいけないと思うのです。
道具の目的はあくまでも、ひとつの目的をより容易くより良く叶えること、なのですから。

もしあなたが広い見識を持った一流の専門家になりたいと思うのなら、原理的なものごとの見方はそのままにして、その原理を、既存の道具の見た目の形式面に置くのではなく、「その道具がどういうものであるか、なにをなすためのものか」という本質の面に置くことにすればよいのです。

(3につづく)

2012/01/16

創作活動はなにから学ぶか (1):専門家のあり方

思うところあって、


手持ちの万年筆をじっくり眺めていました。

わたしは手持ちの物を増やしたくないのでお金があろうがなかろうがあんまり物を買いませんし、買ったものはどれだけ貴重な稀覯書でもアンティークでもまるきり遠慮なく使い倒しますが、それだけに手元にあるものは「本当にいまこれが必要なのか?」と検討を重ねてきたものばかりなので、自分としてはけっこうな思い入れがあります。


写真にあるのは手持ちの万年筆ですが、右側のものはここ10年ほど使い続けていても、なんの不満もありません。

もともとは家族が放ったらかしにしていたものを洗って使っているだけなので、その意味では偶然の出合いであるとはいえ、それでも毎日毎日使っているのにこれだけの期間手元においても苦になっていないということは、そこにそれだけの根拠がなければおかしいのです。

いま個人的に、ものづくりの分野でいくつか取り組んでいる事柄があるのですが、当然ながらその出来映えが去年と比べて質的に向上していなければならないという条件がありますから、本当に気に入って選んだり使い続けてきたものの中にどのような根拠が潜んでいるのかということを改めて向き合い直すことで、この先の道しるべになってもらおうと考えたのです。(ちなみに年末に言っていた、「残りひとつの作品」というのは、素材が手に入ってから作業に入ることになりました。どうせ自分たちでやるなら、できるだけ安くで作りたいですしね)

◆◆◆

わたしがあんまりぼんやり手元を見つめているので、なにをしているのかとたずねてきた学生さんにこう説明しましたら、「なぜ彫刻したり絵を描いたりといったものづくりをするときに、他でもない万年筆を選んだのですか」と聞き返されました。

わたしは、この質問をちょっと考えてみて、これは、「たとえばあたらしくバッグを作るときには、世界中のバッグを調べてみればよいはずではないか。なんらの関連性もないはずの万年筆からなにを学ぼうというのか」ということを聞きたいのだろうなと理解しました。

これについて結論から言うことにすると、「バッグをいくら調べてみても、本当にあたらしいバッグは創れないからですよ」ということになりますが、つい最近、革新性とはどういうものか、について友人のあいだでやりとりしたので、ちょうどいい機会だと思い、そのことも含めて整理して書き残しておくことにしたのでした。

お題については記事のタイトルにしたようなものにしましたが、そのほかにも、「専門家は何を見落とすか」、「革新はどこから起こるか」といった内容にも触れたものになると思います。

思います、と無責任なのは、あれやこれやと考えながら書いているところなのでどんなことに言及するかが書き終わってからでないとよくわからないためですが、明日の夜には空き時間で後編を書き上げられるはずなので、あんまりにもとっ散らかっている場合にはこの前編も手を加えて読みやすくするつもりです。(加筆修正したときにはお知らせします)

◆◆◆

はじめに、というわけで、冒頭でせっかく万年筆のことについて触れたので、それが筆記具の中で持っている位置づけを考えてみましょうか。

万年筆をふくむ筆記具の歴史は、もともと人類が知識を蓄積するようになったころにまで遡ることができます。
知識を蓄積し、後進へと伝えてゆくにあたって、古代の文明に生きた人たちは、石や粘土に絵や文字を刻みつけたりするようになったのでした。
そのころは先の尖った硬い石や金属であったものが、羊皮紙や紙が出始める頃になると、筆記具もそれに相応しい形に姿を変えることになり(相互浸透)、鳥の羽にインクをつけて使うものからはじまり、衣服を汚さぬように工夫されたものを経て、いわゆる毛細管現象を使った現代の万年筆に通じるものができてきたのです。

ところで筆記具を広く見渡すことにすると、19世紀の終わりにいまの形に近い万年筆が生まれるのと前後して、いろいろな種類の筆記具が登場しています。
コンテに鉛筆、シャープペン、ボールペンが代表的なものですが、それらが出揃った現在においての万年筆の位置づけとしては、それらに押されるかたちで、実用的な筆記具というよりも嗜好品としての意味合いが強くなってきたように思われます。

万年筆が、常用の文具としては他のものにその座を空け渡したのにはそれなりの理由があり、たとえば書いてすぐに触ると服の袖が汚れるだとか、蛍光灯に当てておくと退色してしまうだとか、同じ色のインクに見えても混ぜると固まってしまうものがあるだとか、書いたあとでも水に濡れると滲んでしまうだとかがそれです。(このことについて、ブルーブラックインクは保存性に優れているからそんなわけがないと頑なに主張する人もいますが、それでも退色したり乾いても濡らせば滲むというのが経験的な事実です。書きつける紙質にもよりますが、わたしの机に貼ってあるメモ書きも5年でほとんど読めなくなっていますから)

もっとも、上で述べた短所というのは、切り離すことのできない側面とも結びついており、その側面から見れば長所でもあるのです。
たとえばインクが水性であることから濃淡がつけやすく文字に個性が出やすくなり、ボールペンのようにインクのくずで紙を汚さずにすんだり、文字の書き始めにボール跡が残らない、などという利点がそれです。

とくに個人的なことを言えば、万年筆が他の筆記具と比べて優れていると思われるのは、やはりその書き味です。
わたしは手持ちの万年筆を忘れたことに気づくと、時間が許すならどれだけ面倒でも取りに帰るほどに、他の筆記具では代用の効かないものであると思っています。
万年筆の愛好家は、多かれ少なかれ同意してくれるのではないでしょうか。

◆◆◆

そのことにそれほど思い入れのない大多数の人からすると、何を大げさな、というところでしょう。

それでも「神は細部に宿る」という言葉があるとおり、ものごとを突き詰めていくと、一般の人からはとても想像もつかない細かな工夫が折り重なって、その道具の特徴を彩っていることがわかるものです。
たとえば筆記具なんて書ければなんでもいいと思っている主婦は、信頼できる八百屋さんで買うのでなければ、スーパーでは野菜を裏返して、茎の断面がどうなっているかを確認しますね。それから革好きなら、革製品に「ネン」が入っているかどうかを真っ先に見るものですし、それと同じように万年筆愛好家なら、ペン先とニブの素材と繋がり方をみて書き味を想像します。

その分野のものごとに詳しい人が、先人から受け継いだり、自分の長年の経験から養ってきたそういった見識眼というものには、それだけの根拠があり、またそれだけの実際的な有効性を持っているものです。

いちばん正面の野菜を手にとって家に帰っていざ料理しようと思ったら痛んで使えなかったり、目が肥えてくると革製品だと思っていたものが合皮であることがわかったり、同じ万年筆を使っているはずなのにマニアが中字を削って細字にしたものを使わせてもらったら書き味がまるで違っていたりすると、この失敗を繰り返すまいという気持ちが働いて、次こそはと熱心に勉強するのも無理はありません。
そしてその知識を実際のもの選びや友人との議論に活かすことができると、なおのこと探究心に磨きがかかり、そのことと直接に、努力して得た知識の確からしさが経験によって力強く裏付けられたようにも思われてきます。

このことは、職業上の研究職だけではなくて、たとえば自分の仕事に真摯に取り組んだり、自分の趣味を真剣に突き詰めたりする人には、必ずといっていいほど見られる傾向です。

彼女や彼ら、いわばその道の専門家は日頃から知識の獲得に余念がありませんから、もしあなたがそのジャンルについて聞きたいことを相談すれば、探しているもののいちばん美味しい時期はいつか、新製品が出るのはいつか、一見するとよく見えるが使いにくいものはどれか、自分の目的に叶うグレードの商品はどれくらいか、といったことを細々と、しかも何の見返りも要求せずに親切に教えてくれるでしょう。

(2につづく)

2012/01/15

人間の集団意識は存在するか (3)

(2のつづき)

前回では、集団意識が存在する派、存在しない派について見てきました。


では、このどちらが正しいのでしょうか。

結論から言えば、集団意識が存在するという、素朴で感性的な認識は、必ずしも間違いではないのです。
ところが、「存在する派」の間違いは、それを「実体的な存在として」探しまわった、ということにあるのです。

もともと、人間のアタマの上に精神が抜き出て存在する、ということがあり得ないとしておいたはずなのに、組織の成員が入社後にだんだんと足並みが揃って効率が良くなってくるという現実を見れば見るほどに、なんらかの力がはたらいていることも否定できないために、どうしても集団意識というもやもやした雲のようなものが組織の成員のアタマの上から、それぞれに司令を与えているような説明をせざるをえなくなってしまったのでした。
それでも、オバケのような集団意識はやはりおかしいと考えてゆくと、組織図を見れば直属の上司がおり、その上にはまた上司、というふうにして社長がいちばん上に位置していることを突き止めると、結局のところ社長がオバケの正体であったのだということになってしまいます。

研究者の恐ろしいところは、一般の人と違って、「自説の辻褄が合わないことには食いっぱぐれる」という強制力が働きますから、どれだけ珍妙な結論になろうとも、研究者として振舞っている間には、傍からみるとどれだけコジツケに見えようとも、頑として自説を曲げようとしないところです。

◆◆◆

集団意識と呼びたくなるものはたしかに経験上感得されるものですが、それはなにも、わたしたちの頭上にもやもやと存在していて、そこから司令を発信しているようなものではないのであって、あくまでもわたしたちそれぞれの「アタマの中」に個々別々に、自由意志とは違ったかたちで、学問的に言えば「対象化された観念」として存在しているのだ、と理解すれば良いのです。

たとえばある会社に入社したときは、そこでのやり方がそれまでの人生とは違いすぎて、本当に馴染めるだろうかと思うものですが、そこで過ごす年月が長くなるにつれて、「なるほど、電話応対で『もしもし』ではなく『もしも』で切るのは、外部からではなく同僚の電話に出るときの合図なのか」といった独自のルールに慣れ親しんで、使いこなせるようになってゆきますし、それが眼に見えないものであっても、「あんな口の聞き方をしたら部長は起こるぞ、ほらみたことか」と、予想が立てられてゆくようになります。
組織で長く活動を続けていると、自分が「あれをしなきゃ」と思ったことを他の誰かがやってくれていたりしたときなど、阿吽の呼吸が見られるときにはなおさらその確信は深まります。

つまり組織の成員がそれぞれを同一の組織で過ごし、そのそれぞれが同様のかたちで対象化された観念を持つようになり、それに従って行動することによって、その現象面だけから分析しようとすると、あたかも集団意識に統率されて突き動かされているように見える、ということなるのです。

現象だけを見て過程における構造が読み取れないと、どうしたって相容れない2つの事実を突きつけられるのと同時に、研究者としてその理由を考えなければならない事情の板挟みになって、結局オバケのようなものが自分たちを統率していると思い込まずにはいられなくなります。

研究者ならば、一般の人たちからも嘲笑されるようなトンデモ話に捕まらないだろうと思うのは早計です。

最近、わたしの周りに「本質のつもりで実体を探し回るのをやめよ」と言われて怒られていた人がいましたが、その姿を見て、まったく何度怒られれば気がすむのだ、と応援半分、ミーハー半分で見守っていた人も、今回の話がわかっていなかったのであれば、素朴な常識を持った一般の人たちから笑われる運命にあります。

◆◆◆

同じように家庭という小さな組織を見ることにすると、赤の他人であったはずの二人が夫婦という関係を結んだときには、口癖や仕草などが似てくる、という個と個のあいだの相互浸透が見つかりますね。
もしその過程を細かに見るならば、妻の表現を見た夫が、それを対象化された観念として持ったことをきっかけにして、それが当人の自由意志との浸透を繰り返すという、自由意志と対象化された観念との相互浸透が量質転化的することによって生成される現象ということができます。

会社組織の成員の場合は、明文化された規則などの形で強制力を持ったものから生成されたところの対象化された観念によるために家庭内とは浸透度合いに違いが見られること、成員の数が多くなればなるほどにその間で結ばれる関係性は飛躍的に増えることなどという違いはありますが、原理的な生成と発展の構造は、それほど理解に苦しむほどのことはありません。

全体の構造がわかれば、どのように調査を進めてゆけばよいのかも自ずと明らかになってゆきます。
構造がわかれば、参考する文献の中に踏み落としが見られる場合には、それを訂正しながら読み進めることができます。
構造を読み解けるためには、どれだけ遠回りのように見えたとしても、学問における世界観をちゃんと押さえておくことがいちばんの近道なのですし、そのことが、ゆるがぬ土台となってくれるわけです。

学問の世界観や弁証法などという名前を出すと、「そんな大雑把なものが現代に通用するか。中世や近代ならともかく、情報化で複雑化した現代社会においては役に立たないから棄ててしまえ。書を棄ててフィールドに出よ」という先生もおられると聞きますが、ほんとうにそうでしょうか。

世の中がどうであるかはともかく、わたしたちは今回も、他ならぬ学問のおかげで、まともな卒論が書けることになっていったのでした。
ところで、学問に学ばない卒論とは、いったいなんなのでしょうね。

(了)

文学考察: 喫煙癖ー佐々木俊郎

コメント後半に、


基礎修練の持つ意味合いとそれに向かう姿勢について少し述べたので、興味ある方は拾い読みしてください。

◆文学作品◆
佐左木俊郎 喫煙癖

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 喫煙癖ー佐々木俊郎

月寒行きの場所の上に、みすぼらしい身なりの爺さんと婆さんが向い合って座っていました。やがて2人は、爺さんが吸っていた煙草の煙が婆さんの顔にかかったことをきっかけに会話をはじめます。そして会話は自然と、爺さんが札幌に住んでいた頃の話題になっていきました。彼はそこで十五六の時から、鉄道の方の、機関庫で働いており、煙草を買いはじめたのもこの頃からだというのです。そして、それを買いはじめたきっかけは、そこの停車場に出来た売で働いていた娘の顔を見るためだったというのです。そして、あれから35、6年経った今でも、爺さんは煙草を吸う旅に当時の娘を思い出すといいます。
一方これを聞いていた婆さんですが、実はその娘というのはなんと自分だと爺さんに名乗り、指にはめた真鍮の指輪を彼に見せました。それは当時彼が機関車のパイプを切ってこしらえたもので、彼女もまたこれを見る度、当時の爺さんを思い出していたというのです。こうして奇跡の再会を果たした二人は、現在お茶屋をしている婆さんが爺さんに自分の店でお茶を入れる約束をしながら、月寒に向かっていくのでした。
 
この作品では、〈時間と体験は物理的には繋がりを持ちながらも、認識の上では独立している〉ということが描かれています。 
まず、この作品における感動とは、言うまでもなく、2人の男女が35、6年の時を経た今でもお互いを思い続け、奇跡の再会を果たした、というところにあります。というのも、私達には一見、長年誰かを思い続け、更には再会を果たすことが困難な事に思えるからこそ、こうした二人の再会が心を温めてくれるのです。しかし、そもそも何故2人は長年、互いを思い続ける事が出来たのでしょうか。30年以上も時が経ってしまえば、お互いの事なんか忘れて、再び出会っても気づかなくてもおかしくはないはずです。ですが、この2人がそうならなかったのは、それぞれが当時の体験を呼び起こせるものを持っていた、という点にあります。それが煙草と指輪なのです。事実物語の中でも、爺さんの方は、煙草を吸う度に自分に煙草を売ってくれた婆さん(当時の娘の姿)を思い出し、一方婆さんの方は、指輪を眺める度、自分にそれを渡してくれた爺さん(当時の青年だったであろう姿)を思い出していたとそれぞれが語っています。
確かに彼らが出会い同じ時を過ごしたのは、30数年前のほんの一瞬の出来事だったことでしょう。しかし、彼らがその体験を昨日の事の様に覚えておけたのは、毎日お互いの事を思い浮かべる術、或いは装置を持っていたからにほかなりません。ですから、時間としては30数年経ち、恐らく顔にも皺ができ、髪も白く染まってきた姿で再会しても、2人はちゃんとお互いの事が理解でき、当時の事を昨日の事のように会話する事が出来たのです。

◆わたしのコメント◆

札幌を出発した馬車に偶然乗り合わせた二人の老人が、「爺さん」が呑みつづけている煙草を手がかりにしながら話を続けてゆくうちに、相席した「婆さん」が、実は幼い頃に恋心を抱いていた娘であったことがわかる、という物語です。

物語の冒頭をみると、煙草の話題が出たのは、爺さんの吸う煙草の煙が婆さんの顔にかかってしまったことで爺さんがそれを詫びたということをきっかけにしています。

この時から両者は、それぞれの脳裏に、それぞれの「煙草」にまつわる思い出を、「そういえば、」というかたちで過去の体験に遡りながら呼び覚ましてゆきます。

爺さんは、生業にしている火夫(かふ。かまたきの職人。コメント者註)の仕事のあいだでも煙草を手放せないのだと婆さんに説明しながら、そういえば、一五六歳の時から煙草を吸い始めたから、三五六年のあいだの愛煙家ということになるなあと記憶を辿ってゆきますね。
それでは、と婆さんから、お仕事から察すると札幌の町に馴染みが深いのでしょうかと尋ねられると、爺さんは、そういえばもともとは、停留所の売店で売り子をしていた「可愛い娘」を一目見たいあまりになけなしの身銭を切って煙草を吸い始めたのだ、という思い出に行きあたるのでした。

◆◆◆

この二人の会話の流れを見ると、当初は「煙草」という漠然とした像をそれぞれのアタマの中に思い描きながら、「煙草といえば…ということがあったな」という、いわば連想ゲームのようにして手探りに、それぞれの記憶の中から思い思いの思い出を引き出していっていることがわかります。

物語のはじめの段階では、それぞれの脳裏には別々の「煙草」像が浮かんでいるのですが、概念としては同じでも、その内実はそれぞれ違ったものであるのですから、少なくとも当初は、二人が共有している「煙草」像が、いわば形式だけを与えられた状態であることになります。

そこから話が進み、互いの「煙草」像がどのようなものであるかを陳述していったことによって、そこに「三五六年前」、「札幌」などの概念が加わることになり、しだいしだいに二人の思い描いている光景はひとつの像として絞りこまれてゆくことになります。

これは直接に、「煙草」像がその形式だけではなく、その内実をも増していったということに他なりませんが、ここまでくると「煙草」の像は、ある光景に含まれているひとつの要素になってゆきますから、内容を掬いとって形式が壊されるという意味で、ひとつの光景の中に「煙草」像が止揚されたのだと考えてよいでしょう。

最終的にはこの光景がしだいしだいに明確なものとして浮かび上がりはじめ、「停車場の売店」、「売店の娘」という思い出が付加される頃になると、二人が思い描いている光景が、同一のものであることがはっきりします。
二人の思い描く像が一致した瞬間を見てみましょう。
「それはそれは……実を申しますと、あの頃その売店に座っていたのは、私でござんすよ。」
「ははあ! それさね。」
爺さんは驚きの眼をみはって、婆さんの顔を、じっと視直した。
そうして物語のさいごには、婆さんが娘の頃、ある青年からもらった「真鍮の指輪」を肌身離さず持っていたことによって、物理的な証拠が二人の関係を保証することになるのです。

◆◆◆

二人のアタマの中に浮かぶ像を、順を追って整理してゆく時には、その像のあり方を漫画的に想像してもよいでしょう。
二人のアタマから出たふたつのフキダシが、しだいしだいに重なりあいはじめ、そのころには同じ経験を持っていたのだろうかという思いがくすぶり「まさか?」という感情となり、最終的に像が一致する頃になると「そうだったのか!」という感嘆となって現れることがわかりますね。

当初は独立していた観念的な「煙草」像が、それぞれの物質的な表現を互いに見て聞いてするうちに、それを含んだひとつの像として絞りこまれ、結ばれると直接に一致してゆく、という過程における構造がわかるでしょうか。
それとともに二人の感情が高まってゆくさまがわかるでしょうか。

今回の評論について言えば、もしそのことを指摘したいあまりに、一般性を〈時間と体験は物理的には繋がりを持ちながらも、認識の上では独立している〉としたのかもしれませんが、これでは表現があまりにも硬すぎるかつ一般的すぎますし、一般読者の感想を代弁するなら率直に言ってわけのわからない言い回しである、というのがふさわしいところですから、より原典に即した表現にしなければなりません。

(もしかすると、ゼノンのパラドックスのように「時間は無限であるが有限にも分割しうる」という矛盾のことを言いたいのかなとも思いましたが、この物語で運動における矛盾を扱う必要も無いですし、どこかで聞いたフレーズをわからないまま引用してしまったのだろうと判断しました。もしそうであるなら、いつものとおり、「自分のわからない言葉は使ってはいけない」と言っておきましょう。誤解であるならその内実を聞かせてほしいと思います。)

◆◆◆

また論者は、ふたつの舞台装置「煙草」と「指輪」を取り上げて、その双方が体験を呼び起こすための鍵になっていたのだとしていますが、上で見てきたように「指輪」は、物語さいごの物理的な証拠として、物語をだれにでもわかるような形で着地させるための、いわば「ダメ出し」の形で扱われており、それが登場しなくとも二人の観念的な像は、彼女・彼らが青年のときの停車場の売店として結ばれているのですから、その違いをより鮮明に認識し、明確に指摘して欲しかったところです。

また一般性を考えるときには、この物語が教訓らしきものを含んでおらず、物語そのものに捻りもないことから、<「煙草」が繋いでいた二人の思い出>、<「煙草」が呼び覚ます二人の思い出>などと、素直に要してしまってもよいでしょう。
前者は物語を終わりから見たときの表現であり、後者は物語の過程の一時点を取り上げたときの表現になっています。

総合的に評価すると、今回の評論は、あらすじは悪くないものの、一般性が漠然としすぎており、おそらくは論者の中でも明確に意識できない表現を使ったことに引きずられて、論証部が締まりのないものになってしまっています。

これは、原典を、キーワードをしっかりひとつずつ探しながら読むことをしていないためです。
上で括弧書きしておいたものが主だったキーワードになっていますので、まずは原典をプリントして自分の力で赤線を引くことをしたうえで、コメントを読みなおして答え合わせをしなければなりません。

一般的な文章能力のレベルが上がってきていることは論者自身がいちばんよく実感しているところではあると思いますが、その段になった時に、はじめて、基礎的な修練の姿勢における「粗」が目立ち始めるということを、まっとうに恐ろしいことだと思えなければなりませんし、それがまっとうに思えるだけの認識の力をつけねばなりません。

せっかく真剣を持って良いと言われるまでになったのに、気が抜けて素振りをさぼっているのなら、また素振りの内実に目を向けずに素振りの「数」だけを目安に修練に当たるのなら、その過程は直ちに「質量」転化として現れることになり、真剣が木刀とは異なるために「かえって」、自ら足の小指か太ももを切り裂く運命にあることを、厳粛に受け止めてほしいと願ってやみません。

その段階にはその段階に上がるための過程があり、そしてその段階を維持するための過程があり、それらは質的に保証されていなければならないことから、やはり段階に至る過程そのものがどのような質を維持しているかの重要性は、いささかも減ることはないのです。極意論的に言うなら、量質転化における「量」は、質的に保証されていなければならない、ということです。

なぜにわたしが基礎的な鍛錬を何年経っても止めて良いと絶対に言わず、どんなことよりも重視しているのかという理由を、ここにある表現のあいだの行間をきっちり読むことを通してその認識そのものを受け止めてくれるなら、わざわざ小言を言った甲斐があるというものです。

ここで気を抜いてしまうと、すべてが水泡に帰する恐ろしさを持った勘所ですから、自分の責任でもって修練に当たることを、重ね重ねお願いしておきます。

◆◆◆

さいごに、表現の形式とその解釈の余地について述べておくことにします。

この物語は、二人の登場人物の描き出す像が、その物理的な表現を手がかりにすることによって重なりあってゆくさまを描いていましたね。

今回の物語では「表現」が、それぞれが発する音声に限られていましたが、「表現」というものを広く見ることにすると、文芸作品もその中に含まれます。
ひとつの作品の鑑賞の過程を考えると、ひとりの人間が、ある表現を見たり聴いたりして体験したときに、そこからどういった情景を思い浮かべるかは人によって異なります。

たとえば別れ話を扱った同じ歌を聞いたときにも、ある人は家のしきたりで離縁しなければならなかった昔の恋人を思い出して涙を流すかもしれませんし、またある人は、昔はともかく現在は、想い人と結ばれることも難しくなくなったことを思い、幸せな時代に子どもを育てることのできる境遇に感謝の念を抱くかもしれません。

作者がどんな生まれや育ちを持っており、そこから得られた素材をどのように活用してひとつの表現を創り上げたかはともかく、それをいったん表現にしたときには、細かな情景が捨象されたものとして現れてくるほかありません。

つまりひとつの表現が作り手の手を離れたときには、その表現は、彼女や彼の持っていた認識から相対的に独立した形になっていますから、読み取り手がその表現を見て、作者の思いもしなかった光景を思い浮かべる場合もありえます。

表現論においては、ひとつの表現が、それを通して読み取りうる作り手の認識と客観的な関係を結んでいることをもって、正しい理解であるとし、明らかな踏み外しがある場合には誤解しているのだとしますが、正しい理解とされるものにはある程度の幅があります。
そして、作品の形式いかんによって、正しい理解とされる幅は広がったり狭まったりします。

一般的に言えば、文学作品はひとつの情景をありありと描き出すことに長けていますが、それに対して詩や短歌などは、その表現を簡潔な形に磨き上げることと直接に多分な解釈の余地を残すことによって、その形式を持つことの特徴になっています。
また科学的な論文では、解釈の余地をできるだけ狭めて、特定の像を読者に過たず伝える工夫がなされているものですし、それに対して役所で行き交っているような文章には、わざとぼかした表現を使って、後日問題が起きたときにはいかようにでも解釈して弁護できる余地を残しておくための工夫が見られます。

ひとつの表現にどれだけの解釈の余地があるのかは、多くがその形式に委ねられているわけですが、ひとつの作品がどんな形式やどんなジャンルの作品であるにしろ、そこに普遍的な内容が含まれているところに、名作の名作たる所以があるのです。


【正誤】
・「月寒」は地名の中でも難読語であるため、「月寒(かむさっぷ)」と振り仮名を振るのが適切。
・著者名「佐々木俊郎」→佐左木俊郎
・お互いの事なんか忘れて、→お互いの事など忘れて、(「なんか」は口語なので、文語体にすべき)

人間の集団意識は存在するか (2)

(1のつづき)


いやしくも学問の世界で、どんなことでも学問のレベルでなにかを論じようとしたときには、その世界観を決めておかねばならないのでした。

ひとつめに観念論と、ふたつめには唯物論です。

前者では、人間の精神があらかじめ存在するというところから議論を始めることになり、精神が物質に先行するものであることを認めます。
それに対して後者では、物質があらかじめ存在するという前提から議論しますから、世の中に存在するあらゆるものを、精神さえも、物質的な働きとして解いてゆくことになります。

一般の方からすれば、前者のことばだけを捉えて根性論だと思ったり、後者を人間の精神の豊かさを認めない人間機械論のように思い込んだりもする恐れもあるところかも知れませんが、仮にも研究者を名乗るのならそんな人間はいない、はず、なので、誤解を恐れずに話を進めます。
もっとも科学の名を借りて、DNAがどうだから早くに結婚できるだとか、ドーパミンがレセプターに受容されて恋心が云々、などという妄言を臆面も無く披露するような人物もいるようですから、受け取り手にまっとうな常識を持ってもらうほかないのが悲しいところですが。

もしまともな意味で科学的な知見を活かそうとすれば、唯物論を土台にするのが親和性も高くなるのですが、そういう基礎的なことがわからないと、観念論で書かれた哲学に科学的な発見を接木したりして自説を補強してしまい、それが一冊の本であるのにもかかわらず、「あっちではこう言い〜」という代物になってしまうのです。

ここでたとえば唯物論的に考えてゆくのなら、精神が人間のアタマから抜けだして存在する、ということはナンセンスであることになりますね。あくまでも精神は、人間のアタマの中での働きなのですから。

(「たとえば〜的に、」と簡単そうに書いたので、世界観を使い分けて活動ができるように見えるかも知れませんが、現実的には不可能だと考えたほうが懸命です。つまり、ある時点で観念論を土台として研究すると決めたなら、その生涯を観念論者として学問を探求するのでなければ、最終的な学問体系は完成しないということです。唯物論を選んだときでも同じです。両者は互いに移行しあいますし、とくに唯物論では、そうであることをどこかで踏み外してしまうと、その理論体系を観念論の変形として完成させざるを得なくなります。)

ところが、みなさんも体感としてはおわかりのとおり、ある組織には、独自の社風、独自の文化というものがあるでしょう。
この、掴みにくいけれどもたしかに存在する集団の中の意識を扱おうとして、その矛盾の前に立ち往生してしまう人が少なくありません。

よくあるのが、集団意識が「存在する派」対「存在しない派」です。
前者はアンケートを取ってみて、「存在すると思った人とどちらかといえば存在すると思った人を足すと9割だから、こちらが真実なのだ」と言ってみたり、後者は眼に見えないものを存在することにすると学問にならない、内面など存在の実証できないものは棄ててしまえ、といった具合です。
ほかにも、その間にあれやこれやの変種が出てきます。
こういった形式主義と、その中間の独自思想家が、あれやこれやの立場で研究を出してきますから、そのそれぞれの立場を明確に区分できる読み手でないと、やっぱり「あっちではこう言い〜」といった具合になるしかないわけです。

◆◆◆

今回の論文では、集団意識を取り扱う段になって、それがなんなのかがわからなくなり、指導教官に聞いてみたところ、「アリを見てみよ、あれだけの大群が、一糸乱れぬ組織を作り上げているだろう。あれは、それぞれの個体を統合する集団意識がそうさせているからにほからならないのであって、どこにあるかは誰にもわからないがとにかく存在するのだから、人間も同じように考えるとよい」という答えが返ってきたそうです。

はたして、人間の意識をアリの行動学と同一に扱っても良いものだろうか?種別は無視できるとしても、内面的な意識の研究なのに外面的な行動から類推してきて良いものだろうか?などと考えると、またまた調べてみなければならない本があらゆるジャンルにあるような気がしてきて、いったいいつになったら卒論が書けるのだろう…というため息を漏らすしかなくなるのも無理はありません。

(3につづく)

2012/01/14

人間の集団意識は存在するか (1)

卒論・受験シーズンですね。


学生のみなさんは、満足のいく成果を出せたでしょうか。

評価がついてこない場合でも、全力でやりきったことが実感としてはっきりしているときにはけっこうな満足があるものです。
逆に言えば、気を抜いていたのにどういうわけか評価がついてきた場合なんかは表面上うまくやり遂げたように見えるものの、次回で手痛いしっぺ返しを食らうこと請け合いですので、そういう意味でもやはり、いつも言うように目指すべき目標は自分の外側に委ねきってしまわないほうが懸命です。

人柄にもよりますが、勝った時も負けた時も、貶された時も褒められた時もあまりオーバーに喜ばない人のほうが、伸びしろが多いことが少なくないのは、「勝ったは勝ったがもっとうまい勝ち方があったのではないか、もしかすると楽に勝ってしまったのではないか」と自問自答できているからです。

◆◆◆

さて卒論をいくつか見ていると、残念なことに例年のことながら、あまり大した卒論を書かせてもらっていない学生さんが多いなあということに、否応なしに気付かされます。

ひとつの対象に目標を持って取り組むという創作活動は、取り組むまでにはそれなりの逡巡があるものの、一度軌道に乗ってしまえばひとりでもかなり強い推進力ですすめてゆけるだけの楽しさに満ちあふれているのですが、後進をそこまですら運んでゆける人間がまったくいないというのが現状のようです。

わたしは正直なところ、概念的な師弟関係にもあまり妙な思い入れがありません(現実的になっているものは大切ですよ)から、必要とされるだけきっちり動いて、必要とされないならそれはそれとしてひとりで自分のことをやっているのでも全然かまわないのですが、そんないいかげんな人間が外野から支えていなければどうにもならないほどであるようです。

そもそも、作品にしろ学生にしろ、一定期間手元においたからという理由だけで、中身のないものに自分のハンコをついて外に出してしまうということを、人間としてどうしようもないほど恥ずかしいことだと思えないという感性が、なんとも底しれぬ異常さです。

ひとつの作品は、その作り手の人格を表しています。
ひとりの子どもは、物心つくまではその親の人格を受け継ぎます。

それではひとりの学生はどうか、となったときには、年齢的に当人のすでに完成された人間性が取り返し難いことや、その期間の短さ・密度の低さから言えば人格までをも質的に高めることは難しいにしても、卒論くらいはどこに出しても恥ずかしくないものを、との一念で指導に当たるのが、立場としても人間としてもまっとうなところではないでしょうか。

思いのくすぶるばかりの学生たちを見ていると、なんとも酷いところに飼い殺しにされているのだなあと思いますが、いけないところに気づいてしまったからには動かないわけにはゆきません。

これも運命だと観念して、わたしたちはわたしたちで、前に進むことにしましょう。

◆◆◆

さて、表題に挙げておいたとおりの問題なのですが、卒論テーマのひとつに、組織文化を扱ったものがありました。

わたしは一目見て、それを「ひどい卒論」シリーズに加えて大規模な開腹手術を施すことにしたのですが、その理由はといえば、論文の土台がガタガタであった、というか、土台がまずもって皆無であったからです。

当の学生も、参考にすべき論文をいくつか挙げられたけれども、あっちではこう言い、こっちではああ言うという有様で、参考にしようにもどうにもならない、というのでわたしのところにやってきたようでした。

この「あっちではこう言い〜」というのは実のところ、そのそれぞれに学問的な土台がないか、あってもバラバラの立場からの発言なので、参考にしようとする当人がしっかりとした根拠を持って考えたいという真摯な人柄であればあるほどに参照しにくい性質を備えてしまっているのです。
学問をまるで思想のように扱って、あらかじめ設定した自分の言いたいことを、あちこちの本から抜粋して権威付けることだけに血道をあげているような研究者を指導教員として持ってしまうと、このような迷路に迷いこまされることがあります。

眼に見えるものが複雑なときにはそもそも、ということで、いつもどおり原則に立ち返って考えてゆくことにしましょうか。

(2につづく)

2012/01/13

どうでもいい雑記:生活の質はなにが保証するか

この前ホームセンターに行って、

レモンクリスパム。けっこう強いレモンのにおいがします。
植木鉢と受け皿を買ってきました。

夏の終わりに買ってきたハーブがやけに大きくなってきたので植え替えようと思ったのです。

商品を持ってレジに行ったら、「780円になります」とのこと。
アレっと思って確認してみたら、販売員の方が受け皿も植木鉢とのセット販売だと思って合計金額に含めていなかったようなのです。

これはいけないと思って、「あっ、この受け皿別売りですよ」と伝えたあと、間違いのもとが受け皿のバーコードシールがとれてしまっていたからだとわかったので、シール付きのものを取りに行って戻りました。

そのときにわたしが「あぶない、ズルするとこだった」と言いましたら、販売員のお姉さんはえらく丁寧にお礼を言ってくれたあと、「ふつう逆じゃないですか」と言って笑っておいででした。

帰りしな自転車に乗りながら考えてみてやっと気づきましたが、「ふつう逆」というのは、ふつうなら「バレなければズルするだろう」ということだったようです。

◆◆◆

これは別に良心が咎めた、とかそういう類のことではなくて、わたしが他のことを考えているときは人一倍ボンヤリしてしまっているだけのことなのですが、改めて思い返してみると、たしかになんでもお金で買えてしまうところで生活している人の中には、お金というものが絶対的な尺度だと思い込んでいるような頭デッカチがけっこういるものなあ、というところに行きあたりました。

以前に友人と二人で北海道を自転車で回ったことがあり、農家の軒先の売店で茹でとうきびを食べていたら、「芋掘ってけ」と言われたので、昼ごろまで芋掘りを手伝ったことがありました。

実に楽しく過ごして帰る頃になると、芋を一箱やると言ってくださったので、ずいぶん楽しませてもらったのになおのこと贈り物までいただいて恐縮ですとお伝えして、自宅に送らせていただいたものでした。

もしこのときにちゃんと計算しようとすれば、売店で正規に芋を買った時の値段から自費で払った送料を引いて、労働時間で割れば、自分の働きがどれくらいとして評価されたのかがいちおう算出できます。

ところで、この金額のなかに、ここでの経験のどれだけが含まれていると言えるでしょうか?

◆◆◆

わたしは大学からもらう研究費が高すぎると事務に文句を言いに行って正気を疑われたりもしたので、数で言えば少数派であることがわからないわけではないのですが、前年と同じことをやっているのに「どういうわけか」もらう給料が上がってしまうというのは、なんだか気持ち悪くて仕方がありません。

世の中のお金の流れや賃金体系とそれによるモチベーション云々ということは、経営学を専攻してきたので客観的な事実としてはわかりますが、直接的な原因でないものを理解したからといって、内面が満たされることにはならないでしょう。
もっとも、研究の質を少しでも評価してもらえたのなら喜んで受け取るところなのですが。

たとえば100円のボールペンと100円のパンが、同じ値段だからといって価値が同じでないことくらいは誰でもそうだと言ってくれるでしょうが、同じ100円のボールペンでも、職場の備品を拝借したのと父親に貰ったものでは価値が違っていたっておかしくありません。

経済的な価値というものは、それはそれでとても便利な尺度ではありますが、それとものごとの価値を一緒くたにしてしまってはわかるものもわからなくなってしまいます。

もし貰ったものが金券だったとしても、それを誰からどう貰うかによって、やはり意味合いは違ってくると思うのです。
わたしは去年の夏頃にいただいた図書券を昨日やっと使いました。いちばん良い使い道がなんなのかをずっと考えていたからです。

わたしは85円のアプリを買うのに1ヶ月迷って結局買わなかったりするのに、思い立ったらン十万円かけてその日のうちに旅行に行ってしまったりするので、控えめに見積もっても極端なのでしょうが、100円で買った「から」使い捨てでも良くて、1000万円で買った「から」家宝にせねばならないという考え方には、どうしたって馴染めそうにありません。

◆◆◆

購買行動が人間の行動のひとつであるからには、そこには必ず何らかの目的意識が前提としてはたらいているのであって、買い物の価値を決めるのは値札ではなくそこに込められた目的意識性次第なのです。

いまの自分にとってほんとうに必要なのかと真剣に議論を闘わせて、いちばん良くしてくれるところに納得してお金を払い、ものを買う、という当たり前のことをしていると、家の中にあるものにだってしっかりとした意味合いが出てくるでしょう。

わたしは家の中を見渡すと、もらったもののほうが自分で買ったものよりもずっと多いことに気づきますが、それでもそのほとんどに、誰にどういう経緯で譲り受けたのかという説明がちゃんとできます。形のないものだって同じことです。

不景気になるたびに持ち出される「生活の質」などというものは、使えるお金が減ったからなんとか満足したことにしようと慌てて持ちだしてくれば満たせるような生き方なのではなくて、自分がどれだけちゃんと考えて活動をしたかによって、いくらでも高めていけるものではないでしょうか。

考えるのに、お金なんて要らないでしょう。

結論がどんなものになるとしても、ものごとの価値を評価する基準を自分の外部、たとえば世の中の評判やそれに着いた値札のようなものにすべて委ねてしまうような生き方は、どうしたって人間らしいものになるとは思えません。

2012/01/12

【メモ】弁証法コトワザのまとめ

前回の評論へのコメント記事で、弁証法に関することわざについて触れましたので、以前に学生への演習用に作ったファイルを公開しておきます。


PDFファイル:弁証法コトワザのまとめ(プリントして使ってください)

原典にあたるのもよいと思いますが、この本は製本が悪くて、やけにバラバラになってしまいますから、背表紙はあまり折り曲げないほうがよいでしょう。

◆◆◆

学習にあたっては、辞書や、辞書に載っていないものはインターネットで調べれば意味がわかりますので、それを空欄に書きこんでゆくとよいと思います。(ただしインターネットの情報は、必ず複数の情報源にあたって吟味し、鵜呑みにしないほうがよいです。)

ただそのときに、辞書的な定義を丸写しするのではまったく意味がありませんから、ことわざの意味を調べた上で、そのことわざに働いている法則を意識して、法則性を含める形で自分にわかるように書き記しておいてください。

この修練はとくに、「弁証法が使えかけているような気がするけれども、弁証法というには表面的な理解にとどまっているような気もする、ということを自覚できつつある人」にとっては有意義だと思います。

常々言っているように、弁証法は、法則をまる覚えするだけではなんの役にもたちませんから、それを実際に現実の出来事や対象に「使って」みることができなければなりませんし、さらにはその重層構造を鮮やかに整理して認識できるまでに高めてゆかねばならないものです。
一言でいえば、弁証法にはより高い次元があり、より高い精度があり、重層構造があるということです。

◆◆◆

ともかく弁証法は、認識における技ですから、毎日目的的に修練していない人は、「質量」転化、つまり認識の力が質的に低下していって、実力の低下が意識できる段になったときにはもはや手遅れ、といった恐ろしさがあるのです。

このこと自体も実に弁証法的ですが、大人の中には残念ながら、「世界は本当に弁証法的な性格を帯びているのか?」などと賢ぶった前提への問いかけをしたがる人もいますから、学生のみなさんが不安がらずに修練に向かえるよういちおうお答えしておきます。

「いいですか、わたしたちは、森羅万象に弁証法なるものがあるように解釈しているのではなく、また森羅万象を弁証法にぴったりくるようにコジツケているのでは決してなく、森羅万象に横たわる構造に、その名前を与えて、古代ギリシャ哲学の時代から学問に取り組む人類総体として磨き続けているというにすぎないのです。

「弁証法」という名前が気に入らなければ、"dialektikē"でも"Dialektik"でもなんでも勝手に呼べばいいのですが、それでも森羅万象になんらかの一般的な性質があることは誰しも否定しないところでしょう。そうでなければ言葉もありませんし、私も毎瞬私でなくなっていなければおかしいですからね。もしこの世界のどこにもなんらの一般性も法則性もないという信念をお持ちなら、直ちに学問の世界を去られるとよいと思います。」、と。

もしイチャモンをつけられるようなことがあったら、そう言っておくとだいたいは黙ってくれるでしょう。ただ、わたしの口の悪いところは真似しなくてもけっこうですので、その部分は適当に皮肉にくるんでおくとよいでしょう。

◆◆◆

ともかく賢明な学生のみなさんは、場をかき乱すのが賢い人間の勲章だと思っているような暇人の妄言には耳を貸さず、コツコツと自分の道を歩んで立派な人間になってもらいたいところです。少女も少年も老い易く、ですからね。

そのためにはというわけで、脅すわけではありませんが、学生のみなさんは、20代のうちにできるだけ高い精度の弁証法を身につけるべく修練してほしいと強く願います。

それ以降は、そこで培った能力で歩みをすすめることになりますから。
30代に入ると、自分の認識のあり方、つまり人生のあり方そのものを変えることはとても難しくなります。
みなさんもその年令になると、悲しい実例をたくさん見ることになりますが、自分だけはそこに入るまい、との志をしっかりと持ってください。
重ね重ね、お願いしておきます。

専攻する分野の一流の本のなかに弁証法を見つけ、欄外に書き込みながら読むこと、その日に見つけた弁証法を日記につけることとあわせて取り組んでください。

2012/01/11

文学考察: 納豆合戦ー菊池寛


◆文学作品◆
菊池寛 納豆合戦



◆ノブくんの評論◆
文学考察: 納豆合戦ー菊池寛
著者が十一歳のある時、彼の悪友である吉公は納豆屋の盲目のお婆さんから、2銭の納豆を1銭だと言い張って騙し買ってしまいます。その後、彼はその納豆を学校へ持って行き、それを鉄砲玉にして納豆合戦を行いました。そしてこの遊びの面白さの味をしめた著者たちは、その日以来、お婆さんをこうして騙し続けていきます。
ところがある日、吉公がいつものようにお婆さんを騙そうとしている最中、その現場をお巡りさんに見つかってしまいます。そして吉公が見つかった事で、自分たちの身の危険を感じた著者たちは、いっぺんにわっと泣き出してしまいました。すると、そんな私たちの姿を可哀想に思ったお婆さんは、お巡りさんをとめて著者たちを助けてあげました。こうしてお婆さんに助けられた著者は、「穴の中へでも、這入りたいような恥しさと、悪いことをしたという後悔」とを感じながら、この事件以来お婆さんの納豆を買うようになっていきました。
 
この作品では、〈自身の立場に関係なく、他人の立場になって考える事のできるある老婆の姿〉が描かれています。 
この作品の中での大きな変化は、著者を含めた子供たちの心にあります。しして、その変化には納豆を騙し買われていたお婆さんの存在が大きく関わっています。では、物語の中での彼らの立場を整理しながら、具体的に彼らはお婆さんのどういうところを見て大きく変化していったのかを見ていきましょう。
まず、著者たちが納豆合戦する為にお婆さんから納豆を買っていた時、彼らの中で彼女は騙す対象であり、「「一銭のだい!」と吉公は叱るように言いました。」という一文からも理解できるように、彼らの世界では非常に弱い立場にありました。そして、お婆さんはお婆さんで、自分が盲目であることから子供たちを叱ることもできず、ただ騙されるしかありませんでした。
しかし、物語の途中、お巡りさんという第三者が介入することにより、この立場の均衡は大きく崩れてしまいます。彼はお婆さんを護るべく子供たちをこらしめようとしているのですから、当然子供たちの世界では自分たちよりも立場が強い存在という事になります。そしてこのお巡りさんに守られているお婆さん自身も、一時的にではあるでしょうが、子供たちよりも強い立場に立ったことになります。ですが、このお婆さんは子供たちの様に自分たちよりも弱い立場の者をいじめたり、或いはお巡りさんのようにこらしめたりする心を一切持っていません。彼女は自分が騙されていたにも拘らず、子供たちを可哀想だからと助けようとしているではありませんか。そして、このお婆さんの態度は、著者たちの内面に大きな影響を与えることとなります。彼はお婆さんの自身の立場が変わっても、また自分が騙されていたと分かっても、自分たちを哀れんで助けてくれたその行動を見て、立場の弱いお婆さんを騙していたにも拘らず、彼女に助けられた事への恥ずかしさ、またその事への後悔を感じずにはいられまくなっていきます。だからこそ、彼はそれらを反省し、お婆さんのために納豆を買うようになっていったのです。


◆わたしのコメント◆

この作品のあらすじについては、評論にあるとおりです。
「私」とその悪友である「吉公(きちこう)」が、盲目の納豆屋の「お婆さん」から納豆を騙して不当に安くで買ったことが「お巡査(まわり)さん」に知られて罰せられそうになるものの、お婆さんがそれを助けてくれる、というものです。

論者は、この作品を透かしてその構造をたぐり寄せるときには、そこでの力関係に着目すべきだ、としています。
その指摘は正当ですが、その着眼点の正しさに比べると論証部がやや整理されきれていないようなので、どう表現すべきだったのかを考えてゆきましょう。

作品の前半部では、私と吉公が、お婆さんが盲目であることをいいことに納豆代をちょろまかす、という場面が描かれていますから、私と吉公にとって、お婆さんは思うままにいたずらをすることのできる格下の対象であるということになります。
ところが後半部になると、お代が合わないことに気づいたお婆さんがお巡査さんを呼んだために、その力関係は崩れ、今度は逆に、お巡査さんが私と吉公たちを叱る立場として上下関係が結ばれます。

文中では、この私と吉公にとっての力関係の反転が、このように表現されていますね。
「「おい、お前は、いくらの納豆を買ったのだ。」とお巡査さんが、 怖しい声で聞きました。いくら餓鬼大将の吉公だといって、お巡査さんに逢っちゃ堪りません。蒼くなって、ブルブル顫えながら、「一銭のです、一銭のです。」と、泣き声で言いました。 」

◆◆◆

この力関係の反転が何をもたらしたかというと、私と吉公に、「強い立場をいいことに弱い立場の者をいじめることが、いじめられる者にとってどのようなものであるか」という経験を、その身をもって与えることになったわけです。

評論全体の口ぶりからすると、論者はこの箇所は「観念的二重化」である、と認識したようですが、わたしにいつも、「学問用語は評論中で使っても読者の便益にならない」と言われていることを思い出して、別の表現にしようと考えたようです。

表現としては直接現れていなくとも、その認識は表現をとおして読み取ることができますから、少なくとも認識の段階では正当であったはずだと指摘できますが、翻ってそのことが、論者自身の、自分の言葉で過不足無く言い切れているかというと、やはり少しばかり言葉足らずのようです。

先ほど触れたように、物語の前半で強い立場であった私と吉公が、物語の後半では弱い立場に置かれることになり、彼らは弱い立場にある者がどのような気持ちになるのか、と想像できるようになっていったのでしたね。
ここで彼らは、お巡査さんに絞られて恐ろしい思いをした経験をとおして、かつてのお婆さんは、自分のハンデを逆手に取られてわけもわからないうちに納豆代をくすねられていたのか、そしてその犯人は、ほかでもない自分たちだったのか、と、かつてのお婆さんと現在の自分たちを二重化するかたちで、お婆さんの気持ちを自分たちのもののように思い知ることになったのでした。

これはまるで、立場の弱い自分を、第三者が悪意のこもった目でにらめつけているような光景ですが、お婆さんに観念的二重化をしている私と吉公にとっては、悪意の第三者は他でもない自分たちなのです。
そしてまた盲目のお婆さんにとっては、その悪意は直接見ることができないのですから、一体この先なにが自分の身に振りかかるのか、という恐ろしさがあるはずのものなのです。

ここまでが、お巡査さんに絞られて私と吉公が反省したことの内実です。
過程における構造を手繰り寄せようとする姿勢は十分にうかがえる論者にあっては、このように「観念的二重化」の過程を、それぞれの登場人物の気持ちになったかのように、丁寧に描き出してほしかったところです。

◆◆◆

こうして、私と吉公がお婆さんに観念的二重化をするきっかけを見出すとともに感情が高まって泣き出す段になると、今度は逆にお婆さんが、泣き出した私と吉公の内面に二重化することになり、彼女をして目に一杯の涙を湛えながら「「もう、旦那さん、勘忍して下さい。ホンのこの坊ちゃん達のいたずらだ。悪気でしたのじゃありません。いい加減に、勘忍してあげてお呉んなさい。」」という言葉となって口をついて出さしめることになったのです。

このように整理してみると、物語の後半部では、第一に私と吉公のお婆さんへの観念的二重化が起こり、次にはその泣き顔を見て彼らの内面を自分のことのように感じ取ったお婆さんの彼らへの観念的二重化、そしてさいごには、非のある自分たちでさえもおおらかな気持ちで自分たちの立場になって弁護してくれたお婆さんへの私と吉公の観念的二重化、というふうに、幾層にも重なりあう観念的二重化が描かれていることがわかってきます。

さいごの、私と吉公の観念的二重化では、それまでの経緯、つまりお婆さんをいじめた自分たち、そしてそれでも自分たちを許してくれたお婆さんという二重性をもったものであったために、「お婆さんの眼の見えない顔を見ていると穴の中へでも、這入りたいような恥しさと、悪いことをしたという後悔とで、心の中(うち)が一杯になりました。」という恥ずかしさと後悔が入り混じった、深い気持ちとなって現れることになっているのです。

そのことを受けて、物語のさいごでは、私の口からこう語られていますね。
「このことがあってから、私達がぷっつりと、この悪戯を止めたのは、申す迄もありません。その上、餓鬼大将の吉公さえ、前よりはよほどおとなしくなったように見えました。私は、納豆売のお婆さんに、恩返しのため何かしてやらねばならないと思いました。」

彼らの行動だけを見ると、「悪戯を止めることになった」という現象でしかありませんが、その構造を見ると、「私と吉公」と「お婆さん」の間の、三重の観念的二重化が重なりあったことで、ついにはそのような振る舞いの変化となって現れることになっていったのだ、ということがわかります。

物語というものが、結果などにはほとんど力点がおかれていないことがよくわかりますね。
では物語の本質はどこにあるのか、といえば、答えを言わずともわかるでしょう。

◆◆◆

今回の評論を全体的に見て、単純な物語だからと、いい加減に済ましてしまう気持ちが微塵も感じられないところは、論者の作品に対する姿勢が確かなものになりつつあることとともに、その認識の在り方が深みを持ったものになってきていることを示しているのでは、と期待しているところです。

認識にどれだけの深みがあるかということは、人間にとって言えば「人格」と呼ばれるものに直結するほどに重要なことがらです。
人格が優れている、精神が強い、ということがなんなのかと考えてみれば、人のあり方を我が身に繰り返すかのごとく受け止めたうえで、その弱さを知悉していることでもあるのですから、質的な強さに至るまでには人の弱さというものもきちんとふまえられていなければならないことがわかるはずです。(相互浸透の「量質転化」化)

ここを極意的に要すれば、弱さがわかってこその強さである、と言えますね。(対立物の相互浸透)
そのことと同時に(相互浸透のかたちでわかることには)、人の気持ちがわからないような、いわば心臓に毛の生えたような強さなどというものが、いかに偽物の強さであるかも踏まえておいてほしいものです。

またこれだけの短編でも、きちんとその構造を踏まえて把握しておくという姿勢を堅持するならば、世にあるいじめが無くならないのはどのような原因があるからなのかという問題を解く手がかりにもできてゆきますし、その解決に向けた取り組みがどのようなものであるべきかもわかってくるはずです。
そしてまた他でもない文学の道を志す論者にとっては、自分の作品について、「作品中の登場人物の心理描写が薄い」と指摘されるのはなぜなのか、と自分の力で考えを進めてゆけるのではないかと思います。

この作品は、ことわざで例えるなら「我が身をつねって人の痛さを知れ」ということであり、子供たちは、実際に弱い立場に立たされたうえで、強い立場ではどう振る舞うべきなのかを、お婆さんが自分たちを庇う姿を見ることを通して知ったのですから、その相互浸透の過程を含めて一般化するのなら、この作品は、<子供たちに他人の気持ちになって考えることを教えたひとりの老婆>を描いていたのだ、などとするのが良さそうです。

論者の引き出した一般性でもまったくの間違いではありませんが、お婆さんの主体的な性質は、なにも物語が始まらなくとも自ずから持っていたものなのであって、一般性があくまでも「作品の全体」の本質を抜き出したものでなければならない以上、またこの物語の力点が論者の捉えていたとおり「観念的二重化」にある以上、その論理性を含めて一般化するべきだった、と言えるのです。


【正誤】
・しして、その変化には納豆を騙し買われていたお婆さんの存在が
・またその事への後悔を感じずにはいられまくなっていきます。

2012/01/08

文学考察: 越年ー岡本かの子

一連の文学評論へのコメントについて、


一般の読者のみなさんも、難しすぎると思われる場合には一声かけてください。

その時の能力はともかく、意欲がありさえすれば引き上げてともに歩むということが、学者としての責務ですから。

人生を左右するのは努力です。
生まれ育った条件などは、努力の前にはさほどの意味もありません。


◆文学作品◆

岡本かの子 越年



◆ノブくんの評論◆

文学考察: 越年ー岡本かの子
ある年末、少し気弱な女性社員の加奈江は、突然同じ会社の男性社員である堂島から訳も分からないまま頬を撲られてしまいます。そして怒りを感じた彼女は、次の日に自身の上司にこの事を話し、こらしめようと考えました。ですが上司の話では、なんと彼は加奈江を撲ったその日に既に退社しているというのです。そこで彼女は同僚の朋子と共に、堂島の同僚から、彼がよく現れるという通りを聞き出し、彼の捜索をはじめます。やがてその年は過ぎ去り、新しい年を迎えた時、彼女達は遂に堂島を発見し、彼を撲ることで自身の仇討ちを果すことに成功しました。
その数日後、彼女は堂島らしき自分物から、一通の手紙を貰います。そこには、彼女がそれまで予想もしていなかった、何故堂島は彼女を撲らなければならないのかが書かれてありました。なんと彼は、実は以前から加奈江に対して好意をもっており、会社を辞めた後、彼女に会えなくなることを割り切れずにいました。ですが、その気持ちをどう表現して良いのか分からず、自分の事を忘れさせないために敢えて彼女を撲ったというのです。この手紙を読んだ彼女は、堂島の強い思いに心奪われ、再び堂島を探しはじめました。ですが、彼とはそれっきり会えないままとなってしまいました。
 
この作品では〈表現の中身は、常に同じだとは限らない〉ということが描かれています。 
さて、上記の一般性を考えるにあたって、何故加奈江は堂島を撲ったのか、というごく当たり前とも思えるような疑問から考えていきましょう。まず、彼女は堂島に撲られた時、取り敢えずは撲られなければいけない理由を探してはいます。しかし、そうした理由は思いつきませんでした。そこで彼女は、撲るということは、堂島がそれなりの怒りを何かに感じたはずであり、又自分がその非を自身に見つけられなかったということは、恐らく些細な出来事で怒りを感じているのではないか、という考えに至り、彼を非難せずにはいられなくなっていったのでしょう。言わば彼女は、撲るという表現を自分の、常識の範囲の中で考えていたのです。ですから、彼女は表現としては堂島が自分を撲ったように、自分もまた彼に対して怒りをもって頬を叩かずにはいられなかったのです。
ですが、堂島の場合、怒りの為に彼女を撲ったのではありません。上記にもあるように、彼のそうした表現は、あくまでも彼女への愛情からのものなのですから。言わば、彼は彼女を撲ってでも、彼女に思われたかったのです。そして、こうした表現の仕方は、これまで自分の範囲の中でしか撲るという事を考えていなかった加奈江にとっては、非常に強烈なものであり、堂島を追わずにはいられなくなっていったのです。

◆わたしのコメント◆

この物語は、「加奈江」の主観を主軸に据えて、彼女を撲った直後に退社した同僚の「堂島」が、なぜ彼女にそういった振る舞いをしなければならなかったのかが描かれてゆきます。
その理由が明らかになるのは、物語の終盤の堂島からの手紙ですが、それによると彼は、彼女を想う気持ちが日増しに募ってきたものの、その内面を当人にどう伝えてよいのかがわからずに、刹那的に手を挙げるしかなかったのだ、というものなのでした。

そのような物語全体の流れを見ると、論者の書いたあらすじは要点を押さえており、かといって蛇足もなく必要十分で、なかなかの文章だと言っても贔屓目にはならないでしょう。

つづく論証では、この物語が「堂島が加奈江を撲った」というひとつの事件にまつわるものであることをしっかりとふまえ、加奈江にとっての「撲る」というものがどういうものなのか、それに対して堂島が「撲」らなければならなくなったのはなぜだったのか、という過程を追ってゆき、それらの矛盾を統一することによって、〈表現の中身は、常に同じだとは限らない〉という一般性を引き出しています。

◆◆◆

あらすじと論証を見ると、論者の理解がこの作品に照らして十分なものであることはわかるのですが、惜しむらくは一般性の表現が固く拙いことと、やや一般的すぎるきらいがあるということです。

毎度ながらのおさらいをしておくと、弁証法的唯物論における表現の三層構造は、「対象→認識→表現」でしたね。

鑑賞者は、ある表現を見るときに、その表現者の認識を直接に手に掴んで見ることはできないために、その表現過程を逆向きにたどるようにして、表現者の認識を追体験してゆかねばならないのでした。
そうして「なるほど、このような表現をしたのは、このようなことを伝えたかったためであったのか」と観念的に追体験できることをもって、そこに正しい鑑賞が成立したのだと言います。
しかしそれと同時にひとつの表現は、それが表現されたときには表現者の手を離れて、第三者によっていかようにも解釈しうるという意味で、認識と表現は「相対的に独立」した関係にありますから、表現者はそのことをふまえて、自らの思いを過たずに伝えるための表現を工夫しなければならないことにもなるのです。

これらの両面が、ある表現について、鑑賞者から見た表現の読み取り方と、表現者に必要とされる工夫なのでした。

このように、正しく鑑賞できているということは、認識から表現への過程に、客観的な関係が結ばれているという意味なのですから、この物語に即して言えば、加奈江が、堂島が自分を撲った理由を想像して、以前に彼に返事をしなかったからだろうと予想したのは、事実と異なる誤解であったのだ、ということができます。

しかし翻って、堂島が加奈江を撲ったということは、好意を伝えるにはあまりにも未熟でまずいふるまいだったのであって、加奈江がいくら彼のことを誤解をしたとしても、彼の落ち度を割り引くことにはならないでしょう。

◆◆◆

これら表現にまつわる学問的な整理をふまえて、論者の一般性〈表現の中身は、常に同じだとは限らない〉をもう一度見ると、どうやら論者は、「表現は認識とは相対的に独立したものなのだ」ということを感じ取ってはいたけれども、うまく自分のことばで表現することができずにこのような言い回しをするしかなかったのだ、ということが「表現の中身」という拙いことばづかいから読み取れます。

もし論者が、加奈江が堂島の振る舞いを誤解し、堂島が加奈江にふさわしい振る舞いをできなかったこと、つまり「堂島が加奈江を撲った」という事件の解釈の違いがこの作品の本質的な核心なのだと言いたかったのであれば、この物語は、<表現がまずかったためにおこったすれ違い>を描いているのだ、などと言えばいいことになるでしょう。

より堅い表現としたいのであれば、<ひとつの表現は、その担い手を離れてはいかようにも解釈されてしまう>、と言えばいいことになります。

いずれにしても「表現の中身」というぼやけた言い方は、学問的な表現論を学んでいる人間としては残念であるので、より明確な言葉遣いを工夫してほしいところです。

論者が拙い表現をしたときのことを考えてみたときも、わたしは論者の認識を読み取れているかもしれないとしてもおそらく一般読者には正しく伝わらないであろうことを思えば、やはり表現というのは、認識とは相対的に独立したものだと理解するのが自然であることがわかります。

加えて言うならば、いくら良い認識を持っていても、それをあまさず伝えるには正しい表現が必要なのであって、それは学問で言うところの認識から表現までの「技術」を磨いてゆかねばならないのだ、ということにもなるのです。

「わかっているはずだがうまく言えない」というもどかしさから逃げずに、それをしっかり正面に見据えつつ修練に当たってください。

◆◆◆

論者が文学作品の論理性を捉えるための修練の本道に戻りつつあるようなので、この先にどのような道程が待ち受けているのかについてかなり先取りする形になりますが、道を歩む手がかりとしておぼろげに目指すべきところを書いておくことにします。

さきほど、論者の書いたあらすじを評価しておきましたが、それほどの美文だろうかと訝しく思われる方もおられるかもしれません。
それに比べると世にある名文とされるものの中には、やけに飾り立てたようなものも多く、悪く言えば手垢まみれのレトリックの凝らし方を競っているようなところもあります。
このことについて言えば、わたし個人としては、ごく一般的な表現を使いながらも「こうでしかありえない」というところにまで研ぎ澄まされた表現にこそ美を感じますし、たとえどのような飾り立てた表現に行き着くときにも、それが確かな土台に根ざしていないのなら、正しく「粉飾」であると見做すべきだと考えています。

論者には以前から、鈍才として努力しなさい、と言ってきましたが、そこに積極的な意味がないのなら、発言する必要がないはずのものでした。わたし個人としても、嫌味を言うために仕事をしているわけではありませんから。
「鈍才」というものの積極的な意味とは何かを端的に言うならば、作品やものごとの論理性を正しくふまえられる実力を、まったくなんの前提もない地平、誰よりも低層から一歩ずつ築きあげることができるという、ほかでもないそのことこそが、鈍才ならではの唯一にして最大の利点だということです。
とくに論者は、ここ数回の評論を通して本道から脇道に逸れないコツを掴みかけているはずですから、現時点の自分の条件を卑下するような向きに身をやつすことなく、自分が得た実感をこそ最大の手がかりとして周囲の冷ややかな視線も跳ね除けて、脇目もふらずに歩みを進めてもらいたいと願っています。

これは、ものごとを二歩も三歩も飛び越えて本質を捕まえてしまう天才には、絶対に成し得ないことであり、自分が誰よりも長い長い、気の遠くなるような長い道のりを歩いて、「急がば回れ」(対立物の相互浸透、量質転化)を事実的に成し切ったときには、続くどんな鈍才をも導いてゆけるだけの道ができることでもあるのですから。

以前に、古くから伝わる極意を振りかざしているような姿勢は、机の角で頭をぶつけたときに見える光景をデッサンしているようなものであり、もっと悪くは世界を支配する究極の真理なるものを酒だかクスリだかなんだかで見ようとするような根性とあまり変わらないのだ、という悪口を言ったことがありますが、そのどれもが過程を含んでいないところに致命的な欠陥があるのだ、という意味での批判でした。
過程を含まない結論が本質的であることはどうしたってあり得ませんから、むしろ天才肌の人間のほうにこそ、いきなりたどり着いてしまった結論(「本質」ではありません)からわざわざ降りて、なにもない地平から登り直すという、精神的にも事実的にも非常に困難な課題が待ち受けていると言えるのです。

鈍才にしかできないことがあると言われると、単なる気休めのように聞こえる人が多いようですが、このような内実があることをしっかりとふまえて、そんな短絡には陥らないようにしてもらいたいものです。


【正誤】
・その数日後、彼女は堂島らしき自分物から→人物から

【青空文庫 原文の落丁】
・そういう覚悟が別に加わって近ごろになく気持ちが張り続けていた→句点がない

【メモ】ハンドバッグの理念型


サイズの小さい画像(上と同じものです)

2012/01/03

どうでもいい雑記:文学評論紹介に原典へのリンクを追加

タイトルそのまんまで、


恐縮。

いつもこのBlogで紹介している、文学修行中の弟子へのコメント記事についてですが、これまではどうせ検索すればすぐに出てくるし時間が惜しいからと、青空文庫の原典へのリンクは記載していませんでした。

ところがここ最近は、この記事を読んで勉強をしてくださっている人がわたしと弟子以外にもけっこういることがわかったので、ちょっとでも一般読者のみなさんが読みやすくなるようにと、タイトル通りのささやかさではありますが工夫をすることにしました。

それから、レポートのレベルが上がってくるとたびたび経験することなのですが、そうなるとわたしとしてもコメントをするのに時間がかかるので、できれば他の人にも目を通してもらうことで、直接の指導に当たれない空き時間にもまとまった文章に目を触れておいてほしいといった思惑もあります。

ちなみに、リンクをクリックしても新規ウインドウでは開かないようにしてありますので、Macをお使いであればcommandキーを押しながらクリックして、別のタブで原典を開くようにすると、原典と記事を行き来できて便利だと思います。
(Windowsをお使いの方は、shiftキーを押しながらクリックだと思います)

◆◆◆

ところで、わたしは一日のうち、指導にかける時間が180分で、そのうちこのBlogにかける時間はだいたい90分弱です。

Blogに掲載するかどうかに限らずひとつの論文やレポートにコメントをするときには、その文章自体をある程度しっかり読みこなしておかなくてはならないのは当然として、それが参照した原典の内容も把握しておかねばなりませんから、その下調べは移動中、入浴中や料理のあいまに済ませたうえで、どうアドバイスすべきかのおおまかな絵地図を頭の中に準備しておきます。

落ち着ける環境になったら執筆に取り掛かり、60分でおおまかに書いて、残りの30分で細かな表現を書き手の現在の立場に合わせて整えてゆきます。

ただ目標をどれだけ守ろうとしても、いつも決まった時間を取れるわけではないことや、提出されたレポートが緻密なものであるほどに添削に時間がかかりますし、たまには「これ前も言ったよね…」といった内容にしょげたりすることもあったり、ごくまれには「よくぞここまで」の念にとらわれて感動のあまり外を走りたくなるようなものもありますから、やっぱり目安にしかなりません。

◆◆◆

書き手にふさわしいタイミングで、ふさわしい内容のコメントをもっと早く書けるようになりたいな、といつも自分の実力の足りなさ加減を痛感するのですが、質的な向上を望むときにはどうしても、絶対的な作業時間が増えてしまいますから、いくら早めに終わりそうなときにでも、締め切り時間ギリギリまで推敲を重ねたくなってしまうというのがどうにもならない現実です。

そういえば年末に顔合わせをしたときに、親戚が、「子育ては適度に手を抜かなきゃいけないよ」と言っていたのを思い出しました。

なるほど、先達の極意。
まー言ってることは、よくわかるんですけどね。

どうやらわたしにとっての期日というのは、「この日までに作業を終えなければならない」という意味合いよりも、「この日のこの時間まではもっとよくできる」という意味合いのほうが大きいようなので、きつきつだから大変というよりもむしろ、期日をきっちり決めているから無理せずに毎日を回せているのかもしれないなあと思う次第。

もっとも、正しい意味で「手を抜く」には、どこが大事なのか向きあうものの本質をつかまえているのでなければどこで手を抜けるのかもわからない(対立物の相互浸透)のだから、そういう意味で、この極意はとても、弁証法的なのだなあ。

2012/01/02

文学考察: 駆落(修正版)

昨年末の評論へのコメントです。


はたして、昨年末の修練は実り多いものになっていたのでしょうか。


◆文学作品◆

ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 森林太郎訳 駆落 DIE FLUCHT


◆ノブくんの評論◆

文学考察: 駆落(修正版)

高等学校生徒であるフリツツと、とある娘のアンナは互いに愛しあってはいるものの、互いの家族は二人の関係を認めていない様子。二人はこのような状況に嫌気を感じており、漠然とながらも、駆落について考えていました。
ある時、フリツツが自宅から帰ってくると、アンナから一通の手紙が届いていました。その内容は、「父親に何もかもばれてしまし、もう一人で外へ出られなくなってしまったので、駆落を実行しよう」というものでした。この手紙を読み終えた時、フリツツは嬉しくて仕方ありませんでした。ですが、後に彼は彼女のことを考えれば考えるほど、彼女を嫌いになっていきます。さて、彼は何故彼女を嫌いになってしまっていくのでしょうか。
 
この作品では、〈理想と現実の間の隔たりが大きすぎた為に、理想を諦めなければならなかった、ある青年〉が描かれています。 
まず、この作品の論証するにあたって、下記の箇所を中心に進めていきたいと思います。 
少年はその音を遠くに聞くやうな心持で、又さつきの「真の恋愛をしてゐる以上は」と云ふ詞を口の内で繰り返した。
その内夜が明け掛つた。
フリツツは床の上で寒けがして、「己はもうアンナは厭になつた」と思つてゐる。
 
この箇所は、「その内夜が明け掛つた。」という一文をまたいで、フリツツの心情が大きく変化していることが見てとれます。その前の文章では、彼はアンナに対してまだ恋愛感情を持っており、駆落のことを考えています。ですが彼は考えてはいるものの、その具体的な問題が全く解決出来ず、次第にアンナが嫌になっていき、やがて夜が明けてしまいます。
では、彼は何故駆落に関する問題がひとつも解決出来ず、彼女のことが嫌いになってしまっていったのでしょうか。それを知るためには彼が語る、「真の恋愛」というものの中身について考える必要がありそうです。彼は彼女の手紙を受け取り、「兎に角一人前の男になつたといふ感じがある。アンナが己に保護を頼むのだ。己は女を保護する地位に立つのだ。保護して遣れば、あの女は己の物になるのだ」と喜んでいるあたり、彼にとって彼女と暮らすということは、彼女を自らが養うことであり、同時にそうすることで自分が考える理想の男になることでもあるのです。ですが、彼女と暮らすことそのものに対する理想の像というものは、まるで語られていません。ここが彼の理想の像が薄いと言わざるを得ない、決定的な点となっています。ですから彼は何処に住むべきかなどといった、具体的で現実的な問題がまるで解けなかったのです。だからこそ、今自分が持ちうる全てと彼女とを天秤にかけた時、彼女を選べなかったのです。それどころか、現実的に彼女と暮らす事が理解できた時点で、恐らくフリツツにとって、アンナは愛する対象から自分が持っているもの全てを奪ってしまう、嫌悪の対象へと変わっていったのです。
まさに彼の失敗は、自身の理想に対する像の薄さからきており、その薄さが現実との隔たりを大きく広げていったのです。


わたしのコメント◆

評論の構成として、よくできています。

忘れかけていた修練内容・修練への姿勢をわずかの期間で取り戻せたことについては、論者自らの自制心と反省を信頼して、小言を繰り返しません。その積極面・消極面ともにきちんと評価して、ノートに赤字で書き留めておいてください。
ともかく去年の終わりに指摘しておいた問題点をうまく注意しながら書き進めてくれていますので、このことを活かしながらあたらしい作品に取り組んでゆくとよいでしょう。

また作品の持つ論理構造が自分なりにでも正しく読み取れるようになってきたのであれば、直ちにそれを創作活動に活かすことを強くおすすめしておきます。目安としては、月に一つの作品を仕上げることができるのなら上達も早くなりますから、物怖じせずに目標を立てて取り組んでください。
たとえば今月の末までにひとつの作品を仕上げるのであれば、去年の12月期に取り組んだ作品の中から、自分の手に負える論理構造を含んだ作品をひとつ決めて、その論理性を同じくする作品を表現を変えて自らの手で書くことを通じて、過去の文学作品を乗り越える努力をするとよいでしょう。

◆◆◆

わたしが今回の評論のどこを評価しているのかをわかってもらうために、その構成を整理しておくことにしましょう。

論者は作中の主人公フリツツの、駆落を約束している恋人アンナへの気持ちが豹変する一節に着目した上で、そのことがなぜ起きたのか、と問いかけます。
ここで評価すべきなのは、フリツツの気持ちが豹変する原因を彼の「真の恋愛」観にあるのだといちおう特定したのみならず(この指摘で立ち止まってしまっているのなら、合格点はあげられませんでした)、その過程における構造はどういうものであったのかと問いかけて、一定の答えを出していることです。

因果関係を、単なる原因→結果という形而上学的な変化に帰してしまうという誤りに陥らずに、あくまでも過程における構造を手繰り寄せようとしているところは、論者があらすじのさいごに問いかける「さて、彼は何故彼女を嫌いになってしまっていくのでしょうか。」という表現に現れています。
ここをもし、形而上学的な論理性しかないのであれば、「彼は何故彼女を嫌いになってしまったのでしょうか」と問いかけることしかできずに、その答えを、経時的な心情の揺れ動きではなく、一時点におけるひとつの主たる原因として探し回ることになったはずです。

(また欲を言えば、「嫌いになってしまっていく」よりも、「嫌いになっていってしまった」と表現してほしいところです。「しまった」は、「結局のところ意図しない結果になった」という意味合いを含んだ補助動詞としてのはたらきを持っていますから、動詞の末尾に付け加えるのが読者の便益に叶う表現となるでしょう。今回の作品に即しても、「嫌いになった」という結果まで描いていますから、後者の表現がふさわしいことになります。一般的に、事実のあとに価値判断を付け加えるのが、日本語表現としては自然な流れです。)

弁証法を意識した問いかけの形は、あれがこうなった、という平面的なものではなくて、あれがこれと関わり合いつつこうなっていった、という<相互浸透>的かつ<量質転化>的な、立体的な構造を意識したものでなければなりません。
またエンゲルス・三浦つとむ流の弁証法に即して考えたとき、残る法則である<否定の否定>を今回の作品になぞらえて言うなら、フリツツの感情が豹変する境界において、第一の否定が起きたのだと考えることもできます。

◆◆◆

さてそうして、論者の問いかけにたいする論者自身による答えを検討すると、それは「真の恋愛さえあれば」駆落の困難にも耐えられるはずだ、というフリツツの恋愛観が、いわば「言葉に酔った」ものでしかなく、恋人との生活と引き換えに犠牲にしなければならない困難についてまともに想像してこなかったことが問題であったのだ、というものでした。

ここで惜しむらくは、と言わねばならないことは、コメントのはじめの「評論の構成として、」ということわり方を見たときに行間を読んで気づいてくれていることと思いますが、それは過程的構造の立体構造が単純な形になってしまっているということです。

フリツツはアンナと駆落の約束をしたあと帰宅して彼女の手紙を手に取り、「(彼女を)保護して遣れば、あの女は己の物になるのだと思ふと、ひどく嬉しい。」と舞い上がっています。
これは、かねてからのアンナとの密会が実を結び、ついには近いうちの駆落の約束をするまでになったという段階を、彼がとても喜ばしく思っているということなのですが、彼とアンナの中があたらしい段階にまで進む時になると、それと同時にある問題が首をもたげてきます。

それは、「その時、どこへ行つたら好からうと云ふ問題が始めて浮んだ。」ということだったのでしたね。

この問題を考えてみても答えが出ないというので、それをごまかすために彼は、それはさておき荷造りを始めることにしました。
ところが、荷造りが終わり寝台に寝転び考えを進めてみても、その疑問は一向に氷解しません。
そのことを認めたくない彼は、わずかに芽生え始めた不安を払拭するように「なに。真の恋愛をしてゐる以上はどうでもなる。」と独りごちますが、往来を行く馬車の音が、時計の針が時を刻むのを聞いていると、しだいしだいにその不安は彼自身の心を覆うようになってゆくのでした。

この不安は、アンナの父親に反対されるながらも密会を繰り返すなかで彼女との恋心が燃え上がっていたころには、まだ想像してみる必要もなかったために影を潜めていたはずのものですが、いざ彼女との愛を確かめ合い、ついには駆落を決意する頃になると、次にはこれからの生活上の困難を、他でもない我が身そのものに振りかかることとして受け止めねばならなくなっていったことから生じたものでした。

◆◆◆

論者はこの箇所を指して、フリツツの感情が豹変したことは、彼のいう「真の恋愛」というものについて、彼が深く考えなかったため(「真の恋愛」の像を薄いままにしていたため)だと言いましたが、フリツツが深く考えていなかったのはむしろ、「駆落」がどういうものであるか、という「駆落の像」だったのではないでしょうか。

フリツツは、恋人との淡い恋心のなかにあって、それがすべてを覆い尽くすような錯覚にとらわれていたために、真の恋愛さえあれば現実のどんな困難にも耐えられると信じこんでいたところを、アンナとの仲が深まり駆落するまでになったときには、具体的な行き先について考えを進めざるを得ず、現実の困難に押され真の恋愛観などはどこかに吹き飛んでいってしまったのだ、と理解するのが自然です。

整理して言えば、フリツツを取り巻いているのは、「理想的な真の恋愛観」と、それとは相容れない「現実」という、対立する2つの世界観なのです。
恋人との間柄がまだ未熟であったときには、理想の世界に閉じ篭ることができていましたから、その世界観から見る「駆落」というものは、恋人との甘い生活を意味していました。
しかし恋人との間柄が進展するようになると、その現実化と相まって、世界観は現実的なものへと移行してくることになり、その世界観から見る「駆落」には、生活上の困難が必然的に浮上せざるを得なかったということです。

フリツツの感情が豹変してしまうのは、彼にとっての「駆落」には2つの側面があり、さらにはその側面が、敵対的に相容れない世界観で分かたれているという意味で、形而上学的な性格を持っているからなのでした。

自らが理想の世界にいるときには現実上の困難を看過し、自らが現実の世界にたどり着いたときには恋愛感情などどこへやら、といった極端な感情をあらわにし、またそのように行動することは、彼の考え方があれとこれとが相容れない関係にあるという「あれかこれか」の形而上学的なものであることを示しています。つまるところ彼の失敗は、彼の考え方にこそあったのでした。
またそれは、作品全体から言えば、「駆落」をめぐる2つの世界観のせめぎあいであった、ということができます。

◆◆◆

こういったふうに、段階ごとに登場人物の感情の揺れ動きを整理して理解したときには、一般性や評論も、弁証法的な表現と論じ方になっていくことになるでしょう。
論者の引き出してきた一般性〈理想と現実の間の隔たりが大きすぎた為に、理想を諦めなければならなかった、ある青年〉は、やや一時的で平面的な変化を指摘しているようにも見えますから、<理想が現実のものへと近づくにつれて、皮肉にもその理想を捨て去らねばならなかったある青年>といったふうに、「かえって(=今回の作品に即せば「皮肉にも」)」という表現を使って、第一の否定を意識した立体的な表現にしてもよいと思います。

とはいえ、ここについては相当に難しいと思いますから、背伸びせずに着実に、今回のようなレベルの評論を積み重ねることと、自分なりにでも作品の論理性をとらえた作品を書くことをとおして、確実な土台を創っていってもらえれば、指導のかいがあったと言えるでしょう。

合格です。


【正誤】
・「父親に何もかもばれてしまし、
・この作品の論証するにあたって、→この作品の論証をするにあたって、orこの作品を論証するにあたって、

2012/01/01

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。


去年の活動の中で、自分という個人が人類総体の中での位置づけとして目指すべきものが、前よりもはっきり描けるようになって来ましたので、今年もその方向性をちゃんと進めてゆこうと考えています。

ずっと前には、あれもこれもと手を出して、たくさんのものを手元に置いてみたりもしたのですが、自分にはそういうやり方よりも、限られた事柄をより深く探求することを通して、磨き上げたり研ぎ澄ましたりするほうが、感性的にも理性的にも合っていることが以前よりもよくわかってきました。

◆◆◆

学生たちと向き合っていると、たとえば数学の問題を解いて同じ答えにたどり着いたときにでも、その答えに至るまでの筋道が、無駄なものがたくさんくっついたぼわんとしたものもありますし、足り過ぎもせずかといって足りなさすぎもしないぴったりとした証明であることもあります。

答えが合っていれば、どちらにも同じ点数を与えることになりますし、社会に出て結果が重視される場所にいればなおさら、その過程に目を向けられることは少ないことからいきおい、いつしか自分自身もそういった考え方に慣れ親しんで染まってゆくものですが、研ぎ澄まされて理路整然と過不足のないものは、その後のどんな風雪にも耐えうる力を持っていることを、個人の経験から、人類総体の歴史性からもなお、何度も何度も確認させられてきました。

そこに、幾多のありうる道筋がああでもないこうでもないと議論を闘わされることをとおして、そこからひとつの道が見出されることと直接に、棄てられた考えすべてが止揚されているような形態は、学問であれば他のどんなことにも使える科学的なものなのであり、ものづくりの場合であればどんな環境のどんな人の手にもなじむものに仕上がっている必然性を含んでいるからです。

必要でないもの、いつか必要になるかも知れないものではなくて、どう検討してもこうでしかありえないようなものごとをこそ、進んで取り組んで研ぎ澄まし、そのことをとおして物事を研ぎ澄ますやりかたそのものを探求してゆきたいと考えています。

そうはいっても、現象としてはジグザグの回り道を辿ることにもなりますから、見た目の上ではあれもこれもと手を出してどれも物にならないことをやっているなと見られることもあるでしょうが、誤解を恐れずに本質を見据えて貫いて、転びながら引き返しながらでも、一歩ずつ歩んでゆこうと祈念しています。

曲がりくねった道程に、みなさんを付き合わせることも少なくないかと思いますが、本年も何卒よろしくお願いいたします。

新年のご挨拶に代えて。