2011/03/19

震災のボランティアについて

落ち着いたらボランティア行ってくる。



この前、個人的に会った何人かの学生さんにそう言ったら、
「私も」、「俺も」というお返事をいただいた。

わたしも阪神大震災に遭った人間だから、
そういう若い人たちの意欲を直接聞くとうれしくなるし、
表立って出さない人の中にも、「なにかできることがあるはずなのに…」
というやるせなさがくすぶっているのもわかる。
感受性の強い人のなかには、被災した人たちのことを思うあまり、
仕事がままらないほどになっている人もいる。

◆◆◆

しかし、である。

実際のところ、「震災」という言葉や、「ボランティア」という言葉の、
「肝心の中身」がどういうものなのかをあまり想像できていないのではないか、
と思われる節があるようにもとれる。

かといって、せっかくの意欲を頭ごなしに削ぐことだけは避けたいと思い、
また阪神大震災からの類推がどこまで通用するかがわからず、
具体的な指摘をせずにすませてしまった。


そういうわけで、わたしももっと知らなければと
いろいろと下調べをしていたら、こんなエントリーがあった。
個人サイトにも関わらず、コメントがあまりにも多くなったために、
もうじきサイトごと消滅してしまうらしいので、こちらに全文を転載した。

自分も何かしたい、と思っている人は、まず目を通してほしい。

◆◆◆


被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~
阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。
遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。
その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。
学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。
下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。
「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。
まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。
寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。
作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。
以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。
ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」
言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。
結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。
配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。
僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。
僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。
今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。
そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。
結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。 
 ◆◆◆
2011/3/15 追記 
沢山の反響ありがとうございました。同じような経験をされた方もたくさんおられたようで、あの時感じた孤独感が今頃癒されております。
僕は上記のエントリーで一年は待ってみようと書きましたが、そんなに待たなくてもいいようです。すでにNGOなどの支援団体が、ボランティア受け入れに向けて動き出しているみたいですね。もちろん募集など具体的に動き出すのはまだ先になるでしょうが。
時間と体と情熱のある人は、そういった「人を動かす人」としっかり協力して、自分の能力を最大限に発揮して欲しいです。もちろん1年、2年、5年、10年スパンで細く長く復興を援助する気持ちもとても大切だと思います。

2011/3/17 追記
東日本大震災:ボランティアの情報共有へ組織…40団体
災害ボランティア情報まとめ

2011/3/18 追記
このエントリーおよびブログは3/23日で削除することにしました。
内容の誤解により今後のボランテイア活動を阻害する恐れが出てきたからです。
詳細は3/17のコメント欄を御覧ください。 

◆◆◆

あまり付け足すことはないのだが、
感情的に走って極端な読み方をしなければ、
この方の思いもよくわかるのではないかと思う。

現地に存在すること自体が邪魔なのだ。

という言葉の中から、
筆者がどのような意味を込めたのか、
どのような条件ではボランティアが不要になるのか、
と考えてみてほしい。

◆◆◆

加えて、
「阪神大震災と、東北大地震は違うのだ」
という、東北大地震の特殊性についての情報はこちらにある。

被災地に救援物資を! いま私たちに求められていること (4)

◆◆◆

また前回のエントリで触れた、
「自宅にいながらにしてできるボランティア」についてはこちら。

避難所で撮影された名簿を、テキストデータにしてデータベース化しようという試みである。
諸氏の活動によって、いまのところ大部分が作業完了しているようだが、
これからも新しい情報が出てくるはずなので、我こそはと思わん方は、協力をお願いしたい。

東日本巨大地震 - ボランティア

◆◆◆

さいごに、現地に行ってのボランティアについては、こちらを参考にして、
地元の自治体の動きを調べておいてほしい。

東北地方太平洋沖地震被災支援のボランティア窓口紹介


現地に向かう際に必要な準備などの情報については、
内閣府がパンフレットを用意してくれている。

パンフレットについて「地域の『受援力』を高めるために」

◆◆◆

今回の震災のボランティアについて、TVや雑誌をはじめ、
TwitterやFacebookなどのあらゆるメディアで、識者のコメントがある。


そのなかでやはり目立つのは、「素人ボランティア不要論」なるものである。
たしかに、一口に「ボランティア」と言っても、
卓越したスキルを持つ専門家が担当するものも少なくない。

しかし、あらゆる意味で素人のボランティアは
手助けになるどころかむしろ邪魔だから、存在する価値すら無い、
と言った意見はあまりに極端である。


似たようなところに、「自己満足のためのボランティアは止めろ」と言った言葉もある。
しかし、ボランティアに携わる人間が、まったく自己満足を覚えていないとは言えまい。
たしかにほめられるため「だけ」にボランティアに行くなとは言えるが、
そのことを指摘して、自分の意欲に自己満足が含まれているかも知れないと自省するだけの力のある若者の意欲を、無下に削ぐことが正しいことだとは言えない。

◆◆◆

震災のレポートなどしか目を通したことのない形而上学者は、
まともに現実に目を向けずに机上でこういった暴言を吐きがちであるが、
そんな戯言に耳を貸して、せっかくのやる気を萎縮させる必要はない。

こういった暴言も、よく調べもしないボランティア信者も、
同じ姿勢の両極端でしかないことが、
仮にも学者ならば、いや人間ならば、なぜわからないのか。


プロほどの専門知識がなくても、自分のことを徒手空拳でも助けに来た人間を
まるで無価値だと切って捨てるほど、人間は落ちぶれてはいない。

しかしだからといって、先程のエントリにもあったとおり、
限られた現地の物資を、ボランティア自身が浪費してよいわけがない。


あらゆるものごとには、それが正しいための条件があり、正しくなりうる範囲がある。

そこに東北大地震の特殊な状況を加味すれば、
「どういった条件であれば、ボランティアとして人の役に立ちうるか」
という像が描けてくるはずである。

ある段階では、とにかく人手が必要になるフェーズが来るのであるから、
「なにかできることがあれば」と考えている学生さんは、
そのときのために、いまはできることをやりながら情報を収集して、その像をしっかりと深めておいてほしい。わたしもそうする。

そうしていれば、あなたの力は、必ず必要になります。

2011/03/18

一般常識としての日本精神史

仕事ばかりしている。


ペンを止めたらいろいろ考えちゃうんだもの。
ともあれ、自宅にいながら、震災にあった人たちのためにできることはあるのだ。

それはあとで紹介するとして、放ったらかしにしていたやりかけの仕事をとりあえず終わらせたので、ここに置いておきます。

タイトルにも書いたとおり、一般常識としての日本精神史。
以前に、高校生の学生さんと話すときに、下調べしたものの清書だ。


一般常識としての日本精神史(PDF)

お持ちの家庭用プリンタではA4にしかプリント出来ないだろうから、
とりあえずプリントしたあと、コンビニのコピー機なんかでA3に拡大(約1.4倍)するとよさそう。
2枚組ですので、切って貼ってつなげてくださいな。

◆◆◆

「一般常識として」と断ったのは、
あまり複雑な変遷を書き入れると、いろいろと入れなくちゃいけないことが増えるので、
それを大雑把に省略してしまったからだ。

そういうわけで、これは「流れを読む」という意味での「系譜図」にはなっていない。
あくまでも、「大人ならこれくらい知っておいてほしい」という「知識的」なものである。

いつものことばで言い換えるなら、
これでは「歴史性」、「歴史的な論理性」はまるで読めない、ということだ。

◆◆◆

高校の倫理の教科書に載っているものを参考にしたので、
ジャンルとしては、宗教、思想・哲学、文学、文化運動などをふくんでいるが、
それなりに本を読む習慣のある方ならば、どこかで目にしたことのある人間ばかりであると思う。

わたしはいつも論理、論理、と言っているが、
これくらいの知識は最低限ないと、論理的に考えることすらできないと思う。
というのは、論理は知識を媒介としてしか学べないからである。
もっと言うと、歴史的な流れをみるときにも、やはり最低限の知識は必要ということだ。

◆◆◆

ともあれ、これ言っちゃっていいのかどうかわからないが、
参考にした倫理の教科書、なんか曲解まみれでなんとも言えない気分になった。

曰く。
「ヘーゲルの弁証法は正・反・合であり」、
「ソクラテスは正義を貫いた人である」。
などなど。

知っている範囲に限っても、間違いだらけではないか。

後者は解釈の違いとぎりぎりいえる範囲かもしれないが、
前者などは、ヘーゲル『哲学史』を読んでいないと言っているようなものだ。
だって、正・反・合ってのは、ヘーゲルがカントの弁証法を批判的に扱って表現したことばなんだもの。
読んだことのない本を紹介しちゃマズイよねえ。

まあ、こういうのはどっかのダイジェストになったものを、
またダイジェストにしてるからこんな体たらくなのかもしれないが、
紹介された本人も、安らかではおれるまい。

◆◆◆

というわけで、わかる範囲で、曲解を正しておいた。
ついでに、「なんでこの人入ってないの」って人は勝手に書き加えた。

補足・修正はほぼ全項目に渡っているから、すべてについて簡単には下調べしているが、
ほかにも、細かなところでは誤りが含まれているかもしれない。
もっとも、ある偉人の全生涯を一言でまとめているのだから、
読者にとっては誤解の種などはごろごろと転がっているようなものである。

そのほかにも、「〇〇派」に属すと見做されている当人が、
そのカテゴライズを嫌がっている場合もある。
しかしそんな主張をいちいち聞いていると、もはや学派分類がまったく意味をなさなくなるから、知っていてもあえて一緒くたにしてしまった。


というわけで、まともに勉強しようという方は、
眺めるだけじゃなくて、それぞれの項目を簡単にでも調べ直しておいてください。

これがひととおり学習し終えたら、さっさと個別の学問に移りましょうね。
これくらいを知っていても、「近所の物知りおじさん・おばさん」レベルでしかありませんので。

少年老いやすく、というわけです。

2011/03/16

2011/03/08

文学考察: 母ー芥川龍之介

文学考察: 母ー芥川龍之介


ノブくんが復帰されたようですので、さっそく見てゆきましょう。

この前のエントリで言ったように、あと2作品ほどはわたしが評論するつもりでしたが、
彼が早くに復帰されましたので、本人の手に委ねます。

そのほうが、他の読者にも益になると思いますので。

実のところ、「たたき台」の存在は、認識が進化してゆく過程では非常に有益なのです。
古くはギリシャ時代のソクラテス、身近なところでは禅問答の禅者が、
彼らの話し相手、それぞれソフィストや禅問答の考案者なくしては、
あれほどの、いわば頭脳の運動性を身につけることができなかったことを思えば実感としてよくわかるのではないでしょうか。

これを一人のアタマの中でやるのは、とても大変ですし、もしできたとしても、
同じくらいのレベルの他者同士でやるのとは、まるっきり効率が違うのです。

ともあれ「議論」というのが、テレビで政治家なんかがやっているようなレベルや、
就職活動のディベートレベルのものしか想起できなければ、なかなか理解しがたいところではありますが。
あれらがなんの進展ももたらさないのは、「結論ありきで罵り合っているだけ」で、
まるで議論と呼べるシロモノではないから、ただそれだけの話です。

議論とは、互いの立場は違っても、ともに真理へと近づいてゆこう、
という目的だけは共有されていなければなりません。
不意打ちしてでもとにかく勝ちという既成事実がほしいのであれば、別のところでやるべきです。


さてわたしとしては、まともに仕合ってくれる友人を見つけるのがうまくないので、
いまはこうして、「敵」を作っている段階、ということになります。
ここを見に来てくれる読者のみなさんは、よきたたき台ノブくんの立場に立って、
いつかコメント者に渾身の一撃を見舞わんとする主体性と志を持って読み進めてください。

間違っていてもまったくかまいませんので、思うところある方は、ぜひとも教えてください。
わたしはそういう人が大好きです。
そういう姿勢で臨めば、わたしのコメントも、たたき台の役割をはたすようになってくるはずです。

では始めましょう。


◆ノブくんの評論◆

 ある上海の旅館に泊まっている野村夫婦は、以前に子供を肺炎で亡くしており、以来妻の敏子は密かに悲しみに暮れていました。そして、その悲しみは隣の家の奥さんの子供の泣き声を聞くことで膨らんでいる様子。ですが、やがて野村夫婦が上海から引っ越した後、その隣の奥さんも子供を風邪で亡くしてしまいます。そして、それを知った敏子は自身のある人間的に汚い部分を垣間見ることになるのです。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈相手の気持ちが分かるために、かえって相手が落ちたことを喜ばずにはいられないある母たちの姿〉が描かれています。
まず、物語の中で上記のあらすじの問の答えであり、私が挙げた一般性の貫く箇所が2箇所あります。下記がそれに当たります。

女は敏子の心もちに、同情が出来ない訳ではない。しかし、――しかしその乳房
の下から、――張り切った母の乳房の下から、汪然と湧いて来る得意の情は、どうする事も出来なかったのである。

「なくなったのが嬉しいんです。御気の毒だとは思うんですけれども、――それでも私は嬉しいんです。嬉しくっては悪いんでしょうか? 悪いんでしょうか? あなた。」

ひとつは隣の奥さんが敏子との会話の中で、その感想を表しているもの。そして、もうひとつが子供を亡くした奥さんから手紙を受け取り、現在の心情を敏子が吐露しているものです。上記に共通していることは、「同情」という言葉であり、これは相手の気持ちになって考えていることが出来ている証拠でもあります。そして、その次の言葉に私たちは目を疑うはずです。何故なら、相手が苦しんでいる一方でなんとその状況を喜んでいるというのです。さて、何故彼女たちは相手の気持ちを理解しているにも拘らず、それを喜ぶことができるのでしょうか。それは彼女たちが相手の気持ちに入り込んだ後、自分の気持ちに戻り比較しているからにほかなりません。そうして彼女たちは、相手が自分の立場に届いていないことに優越を感じ、或いは自分と同じ立場に立ったことに対して喜びを感じているのです。
ですが、今回の作品では相手の気持ちを知り、自分の立場にかえってくることが悪い形で作用していますが、その運動自体はとても重要なことです。例えば、一流のホステスなんかは一度相手の気持ちに入り込み、その現在の気持ちや心情を知り、自分の立場に戻った後、自分に何をするべきなのかを考え、話題を変えたりおしぼりを渡してあげたりするのもです。
それでは、この母たちの問題は何処にあったのかと言えば、それは彼女たちの運動(相手の気持ちに入り込み、自分の立場に戻ってくること)そのものが悪かったのではなく、その後の受け止め方が悪かったことが例と比較することで理解できるはずです。彼女たちがもっと「相手のために私たちができることは」と考えていれば、お互いに相手も自分自身も傷つけるような真似はせずに、助けあうことができたかもしれないのです。


◆わたしのコメント◆

 はじめに評しておきますと、キーワードとして引用した2箇所は、まさにこの作品の要諦をとらえており、適切です。そのおかげで、あらすじが要所をおさえたものとなり、その最後の問いかけに本論で答えていけるという、形式上の正しさにつながっています。ただ一般性の言語表現については、大筋は誤っていないものの、「落ちた」の目的語が的確に設定されていないため、読者に不明瞭な印象を与えるでしょう。当該箇所を、たとえば「相手が大事なものを失くしたことを」、または「相手が大事な赤ん坊を亡くしたことを」(漢字が違うことにも注意してください)などとするほうがよさそうです。

 さて論者は、本論の中で、相手の感情を自分のアタマの中に写しとるという、いわゆる「観念的二重化」について論じています(余談ですが、この堅苦しい言葉は、あくまでも説明の時の便宜を計って用いている専門用語ですから、論者が「評論」中でこれを使わずに、日常言語での説明をしたことは評価しています)。この過程をたどるときには、認識が直接目には見えないものであるだけに、まずは相手のしぐさやふるまいなどを表現として見てとることになります。そこを手がかりとして、言い換えれば表現を媒介として、相手の認識を手繰り寄せるようにしながら、自分のアタマの中にそれを像として描いてゆくわけです。この作品で言えば、「女」が「敏子」を観念的に二重化し(二節)、また「敏子」が「女」を観念的に二重化する(三節)形で展開されてゆくのですから、論者の指摘は正当です。しかし、加えて言うならば、その指摘は、ある者がある者への観念的二重化、という単層構造に留まっており、ここに多重性があることを明確に捉えきれていません。
 言い換えれば、論者は、観念的二重化ののちに、自分の立場に戻って、対象化された相手の感情を思いやるかどうかは選べるのだと述べていますが、これほどまでの「感情のねじれ」がなぜ起こるのかについては、うまく説明できていないのです。たとえば単純にケンカをするときにでも、「ただぶたれたか」、「ぶってからぶたれたか」、また「ぶってからぶたれたか」、「ぶたれてからぶったか」では、あとで許すかどうかという判断に差が出るでしょう。

 三節をみるとたしかに「敏子」は「女」に観念的二重化を行っているのですが、そこでの「女」というものが、かつて「敏子に観念的二重化をしていた『女』」である、ということを指摘しなければ、この物語を正しく理解することはできないのです。両者が経験した出来事は独立ではなく、関わり合いを含んだものですから、それが同じような経験であったとしても、どちらが先にそれを経験していたのかは、物語を理解するにあたって欠かすことのできない重要な要素となってきます。そのことを理解するために、いちど物語を整理してみましょう。

◆◆◆

3つの節からなるこの作品を現象面から整理しておくと、このようになります。
一 子供を病で失った「敏子」は、隣の部屋から子供の泣き声を聴く。
二 隣の部屋の「女」と出会い、敏子は「女が産んだ赤ん坊」を目の当たりにする。
三 後日、敏子は隣の部屋の女が、自分と同様に子供を亡くしたことを知る。

そこを、感情面について整理すると、このようになります。
一 「敏子」は、隣の赤ん坊の声を聴いて、自分が亡くした赤ん坊を思い出し辛く思う。
二 「敏子」は、「女」と「女が産んだ赤ん坊」を見て、自分が亡くした赤ん坊を思い返し辛く思う。
 「女」は、「敏子」が子供を亡くしたことを知り、気の毒に思うと共に、浮き上がってくる得意の感情を隠しきれない。(女から敏子への二重化)
三 「女」は、子供を亡くし、その旨「敏子」に手紙を出す。「その時の私の悲しさ、重々御察し下され度」とある。
 「敏子」は、「女」が子供を亡くしたことを知り、気の毒だとは思うが、嬉しさが込み上げてくる。(敏子から女への二重化)

◆◆◆

 論者の指摘した2つの引用箇所は、それぞれ二、三節に含まれているものです。
 まず二節での、「女が敏子に」観念的二重化をしたところを見てみましょう。

 「女は敏子の心もちに、同情が出来ない訳ではない。しかし、――しかしその乳房の下から、――張り切った母の乳房の下から、汪然と湧いて来る得意の情は、どうする事も出来なかったのである。」

 ここでは、「女」は「敏子」が子を亡くしたことを知り、同情しながらも、彼女とは違って自分の子どもはこうして乳を吸っている、という「得意の情」を隠しきれない様子が描かれています。ここでは、「敏子」が「女」の感情を察知したかどうかまでは書かれていませんが、「得意の情は、どうする事も出来なかった」という表現を見れば、少なからず「敏子」も、「女」の感情を見て取っていると判断するのが自然でしょう。ここで「敏子」は、同じ子を持ったことのある母親として、「女」から、表向き同情されつつも得意げな表情をのぞかせた雰囲気で接せられたのだと、おさえておいてください。

◆◆◆

 話を三節に移しましょう。そんな「敏子」はといえば、ある年月が立った後、「眼だけ笑いながら」手紙を夫のものとより分けているおり、「女」からの自分宛の手紙に気づきます。それには、こうありました。子どもが風邪をこじらせて死んだ、と。それを夫に読み聞かせた敏子は、こんな反応をします。

 「敏子は憂鬱な眼を挙げると、神経的に濃い眉をひそめた。が、一瞬の無言の後、鳥籠の文鳥を見るが早いか、嬉しそうに華奢な両手を拍った。」

 申し添えておきますと、「神経的」な反応、つまり意識的ではない一文目に対して、二文目は意識的な、「感情的」な反応であることをおさえておいてください。彼女は、「お隣の赤さんのお追善」なのだと言いながら、手の届かないところにある鳥籠をとるために、ハムモックで休む夫を起こそうとまでするのです。それも、「烈しい幸福の微笑」を浮かべながら。もはやここまで読めば、読者の疑念は確信へと変わります。彼女は間違いなく、「女」へ、憎悪に近い嫉妬を隠してきており、それが堰を切ってなだれ出てきたのだと。

 「敏子」にここまでの感情をもたらした原因を探ってみれば、敏子の感情を揺さぶっているのは、過去の経験によるものなのだとわかります。そこでは彼女が、単に、「女が敏子に観念的二重化をした」のとは逆に「敏子が女に観念的二重化をした」だけではない、ことに気付かされるはずです。いわば、「敏子が『かつて自分自身に観念的二重化をした女』に観念的二重化をした」のです。敏子からすれば、「女」が純粋な同情の念の他に、隠しきれない一物を抱えていることを読み取っていたわけですから、自分がこんなに悲しみにくれているのに、この女は私を理解したふりをして、得意になっているところさえあるのではないか、という感情が暗に渦巻いていたのです。
 そこに、「女」が自分と同じ境遇になったとの報せが入ったのですから、「敏子」の感情が、二節で「女」が感じたものよりも、ずいぶんねじれて増幅された形で表出していることがわかるでしょう。ここに潜む二重性によって、「あのときの貴方は、私のほんとうの気持ちを理解してはいなかっただろう、それがいまわかっただろう」という感情が加味されてくるからです。

◆◆◆

 ここまで、やや冗長に思えるほどに述べてきましたが、理解してもらえたでしょうか。当たり前のことをなぜにこれほどくどくど解体して理解しなければならないかと言えば、このような短編ならいざしらず、長編ともなると、人物の感情の揺れ動きは、さらに複雑なものとなってくるからです。文学作品に限らず、ドラマの中軸となる人間模様というものは、幾重にも渡る構造が横たわっているために、いわば必然的に複雑になってゆかねばならないわけです。この作品に照らしていえば、主人公である「敏子」は最終的に、「女」にたいしてこのような感情を描いて物語は終幕となっています。

 「私と同じように子供を亡くした貴女であれば、あの時の私の感情を思い知っただろう。あの時私は、自分の子供を失ったばかりでなく、その傷跡を貴女の子の泣き声や子を愛おしむ姿によって想起させられるという、二重の苦しみを受けていたのだ。あの時に貴女が私の苦しみについて理解していたのは、前者だけだったであろうが、私と同じ境遇になった今の貴女であれば、そこに後者の苦しみが加えられていることを、身にしみて思い知ったはずだ。」

 読者は、「敏子」の夫と同じように、彼女の中に「何か人力に及ばないもの」を見いだすほどに、恐ろしいものを感じ取るでしょう。著者が、『母』というタイトルに込めた幾重もの意味は、ここにあります。
 この短編ですら、ここまで複雑な人間模様になっているのですから、長編ともなれば、また実生活で齢を重ねた人間であれば、それぞれの感情を持つに至ったきっかけなどを解きほぐして理解しようとすれば、易しいはずがないのも頷けるのではないでしょうか。そこでは、登場人物の感情が重層構造を持っていることをおさえておかねばなりませんし、それに付随する要因として、複数の人物が同じ体験をするときにでも、その順番が厳しく問われる、ということなのです。物語を評するときに、「心理描写が浅い」、「登場人物の言動が軽い」。「動機が薄弱で感情移入できない」などと言われることがありますが、それは、こういった感情における重層構造を描ききれていないからなのです。とくにいったん創作活動したあと、それを対象化しての見直しの段階では、どうしても飛ばせないプロセスになってくることを知っておいてください。逆に、それができさえすれば、これほどのリアリティをもって迫ってくるのですよ。

 ともあれ、論者の人間心理の構造についての理解は、第一歩としては申し分ないものであり、「理解の仕方」そのものとしては、至極真っ当なものです。復帰第一回目がこれだけのものであることは、率直に嬉しく思います。


【正誤】
・行初めの一マス空け
→フォーマットをリッチテキストにしてからコピー&ペースト

・ですが、今回の作品では相手の気持ちを知り、自分の立場にかえってくることが悪い形で作用していますが、
…一文の中での「が」の連続は、読者に文脈が伝わりづらくなるため避けるべき

・例えば、一流のホステスなんかは
→「なんか」は口語。文語は「など」。今回の文脈からすれば、「なんかは」→「などにもなると」などが適切か。

・話題を変えたりおしぼりを渡してあげたりするのもです。

どうでもいい雑記

助手がほしい。


わたしの専門は、大雑把にいえば学史研究からその論理を取り出す、ということである。
それに付随することについても、どうしても避けられないものが多いので、
あっちこっちに手を出すことにもなるのだけれど、本筋の研究は常に欠かせない。

というわけで、今回は言語学である。
といっても、いきなり言語学史を講義するわけじゃなくて、できたところまでを貼るだけだ。
なにしろこの作業が一番大変で、
どんなに慣れていても、分厚い学史資料を書庫から探してきて目の前に重ねてみると、
裸足で逃げ出したくなる。

ここをエイヤとばかりに突破して、全体像がおぼろげながら浮かび上がってくると、
これがとたんに楽しくなってくる。

それが仮説となって、仮説を持って歴史に語りかけ、
歴史からつかみとってきたものを仮説にも働きかけて修正してゆくなかで、
仮説が一般性として明確な像になってゆくのが実感として持てるからである。

◆◆◆

ところが、作業工程も最後の95%となってくるころ、大きな障害が待ち受ける。

それが、「削る」という作業である。

なにしろ人類の残した歴史は膨大であるから、すべてを記載するわけにはいかない。
だから、どれが幹になっていて、どれが子葉でしかないかという篩にかけて、
その大きな流れを浮き彫りにしなければならない。

これが、とっても難しい。
わたしが上みたいな系譜図をいちおうはつくったのちに、
机に広げて一日中、石仏が如くにらめっこしなければならないのは、それが理由である。

他の人からすれば、できたのだからさっさとコピーしてくれ、と言いたいようだが、
わたしにとっては一番大事なところができていないのだから、まだ渡せない。
観念的な言い方だが、「細部にこそ、神は宿る」というものだ。

◆◆◆

と、こういうふうに言うと、「あいつは自分の研究を独り占めしている」とかなんとか。
もう呆れてモノも言えない。
(わたしの周りの学生諸君は正義感のある人達ばかりだから、大いに笑ってくれそうだけども)

こんな系譜図をもらったからといって、歴史が身につくと思っているのである。
開いた口も塞がらないとは、まさにこのことではないか。
こんなものをコピーして持っていて、いったい何になるというのか。
自分自身で歴史と格闘して、一身のうちに歴史を繰り返してみなければ、
またこの系譜を有形無形にかかわらず作るという過程をたどってみなければ、
本質などは把握しようもないということが、教えられなければわからないのだろうか。

こんなものは、言ってみれば単なるヌケガラ、中身を伴っていなければ墓石の羅列である。
大事なモノは、ぜんぶここ(アタマの中)にしまってあるし、そうしかできない。

もっとも、自分の研究を手元に持っていることが独り占めとはなんともはや…
といった悲しい人格レベルの問題なのかもしれない。
「近所の物知りおじさん・おばさん」で終わるのならば、わたしは何も知りたくない。
スッカラカンの馬鹿でノーテンキのほうが、どれだけ救いがあるか知れない。


ともあれ、学究心のある方にはぜひとも批判を請いたいところなので、
興味のある方は一声かけてくださいね。
学問史から美術史まではおおまかにはカバーしていますので。

この地図を手がかりに、歴史をわが一身に繰り返して、
「ここの矢印はなぜこんなところと繋がっているのだろう」などと考えて、
しっかりたたき台に使ってもらえるというのは、わたしにとって無常の喜びです。

◆◆◆

さて悪口はさておき、ここまでくれば、こんな溜息はそれほど正当でないことがわかってくるのではなかろうか。
「未来に生きる人間ほど歴史が膨大になるから、歴史の授業が大変になっちゃうんだよなあ。」
といった、学生さんたちの溜息である。
しかしこれは、歴史をゴシップ記事を集めるように、知識面だけで習得するのでなければ、
それほど心配しなくても良いのである。

まあ、受験勉強の歴史といえば悪しき丸覚え科目でしかないから、
学生さんの悩みもわかろうというものだが…

◆◆◆

ところが、である。

知識的にしか物事を見れない人間が口角泡を飛ばして批判するところは、
「そんな大雑把な見方をしていては、歴史は正しくつかめない」ということだ。
しかし、大観的な見方がなくては、論理というものはつかめないのである。
論理がないのに、どうして正しいとわかるのか。
歴史性を身につけるためには、細かな歴史的知識はさほど必要ではない。
どころか、初心においては障害にしかならない。


それから、相対論者がこれもやはり口角泡を飛ばして批判するところであるが、
「お前が導きだしてきた本質などというものは、所詮主観的なものでしか無い」ということだ。
これはたとえば、ヘーゲルとフォイエルバッハを比べて、彼らの研究のどこに、絶対的な優位性があるというのか、ということである。
これがまた、「人間に貴賎なし」などといった、ヒューマニズムと結びつきやすいから事態はややこしくなる。
しかし、それは「本質」が何かを考えたことがないからである。
歴史における本質というものは、「論理性」に他ならない。
わたしたちが「正しい」と言うのは、歴史的な論理性(=歴史性)を正当に受け継いでいるかという見方に照らして判断しているものである。
見れる人間ならば、著書の目次を見ただけでも、読む必要があるかどうかは判断できる。
ここまで言っても、「本質」は「人間的であるかどうかに照らして判断されるべきだ」という方には、「では人間性とはなにか」と問うておきたい。
言うまでもないことながら、それも歴史的に生成されてきたものなのだ。

どちらにしても、
つまらない恨みつらみを思想の笠を着せて人様の目に晒すんぢゃないよ。
と言っておきたい。

◆◆◆

それにしてもそもそも、「本質などありえない」という人間が、
個別研究ならまだしも、なぜに学問をしているなどと言えるのか、不思議で仕方がない。

まともに世の中のありとあらゆる事象を、すべてが同じ価値であり
重要であるとして、相対的に横並びにしてもみよ。
この姿勢を正しく適用すれば、正しく発狂するというのが、当然の姿である。
ここまで突き詰めてくれれば、わたしはその人に、無上の信頼と尊敬を寄せる。


事物の本質が直感的形式によって掴みうるというのなら、禅者にでもなって、
月を見て大笑いでもするまでなるのがよろしかろう。それが、いちばんの近道だ。

わたしはああいう姿勢は大好きで、禅問答を読むだけでも心踊る。
道が少しずれていたら選んでいた道かもしれないとさえ思う。


◆◆◆

さて、どうでもいい悪口もさすがに過ぎたようだ。
賢明なみなさんは、ぜひとも脇道にそれて変な完成をしないようにしてください。


いつもの本筋に話を戻すと、
対立物が互いに浸透しあうというのは、弁証法の教えるところである。

私たちの身体は、古くなった細胞が死んでくれるから全体として生を維持できる。
冬が終わるから春が巡ってくる。
正気を突き抜けると狂気にも似てくる。などなど。



「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という言葉が、
心地良いひんやりとした実感を伴って感じられる昨今である。
死ぬことを突き詰めてみなければ、生は見えてこないのである。

武士道のみならず、道に真正面から向き合う者であれば、
だれしも実感するところではないだろうか。

2011/03/07

『新郎』太宰治

さて本来ならば、そろそろノブくんの評論が見られるところなのですが、
彼は事情があって筆をとれませんので、わたしが彼のぶんを代筆することにします。

つい最近、わたしもあわや大惨事という怪我を経験しかけた
(それでも少し傷は残ると思いますが)ところで、
十分に気持ちは理解できると思いましたので、
こういう時こそ、平時では得られない体験をとおして、
物事の見方を深めてくださるようにとお伝えしておきました。
異常時ほど、自分が物事に向き合う際に、問題意識を働かせているかどうかということが、
とても判断しやすくなりますので。<対立物の相互浸透>
タイミングよく、今回扱った作品とも関連性があります。

わたしも半年に一度ほどでしょうか、気が抜けた時にはどうしても倒れますが、
そのときには枕元にはスケッチブックを置くようにしています。
眼をつぶっただけでも、普段はとてもお目にかかれないようなものが見え、
認識における異常性を確かめるにはもってこいですからね。


他にも、日々を我が道の半ばと捉えられている方々には当然でもありますが、
思う思わぬに関わらず雌伏の時を過ごされている方に、こうお伝えしたいものです。

深くかがまねば、高くは跳べないものである。

◆◆◆

というわけで、下のリンクは今回に限り、青空文庫の本文です。
変則的ではありますが、3作品ほどお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。



◆わたしの評論◆

太宰治 新郎


 「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。」という一文で始まるこの随筆には、日々を大切に生きる心がけを持つことがいかに大事なのかが、筆者の身近な経験をもとに書き記されています。そこでの彼は、子供にいつもより気持ちを込めて優しくし、食材不足で筆者の要望に応じられない妻を気遣い、また自宅へ遊びに来る大学生たちにたいしていいかげんなごまかしの親切ではなく、本音で向き合おうとしています。さらに、その姿勢を世の中に生きるすべての人々に向けることができれば、とまで祈念しているのです。さて筆者が、こういった思想を持つに至ったのには、どんな理由があったのでしょうか。

◆◆◆

 この作品には、<身の丈を越える大きな不安に、最後まで抵抗する決意をした人間の姿>が描かれています。

 キリスト者を自認する筆者のことを考えれば、彼が上で述べたような心がけをするようになった理由を、「筆者のキリスト教的な博愛の精神の表れ」であるとして片付けてしまいそうです。しかしそれでも、これほど急に思い立ったように日々の過ごし方の大事さを説くというのは、それなりのきっけがあってのことなのでしょう。おそらく筆者は、あるきっかけで、そういった心がけを持つべく決意したのです。結論を先取りすれば、それというのは、筆者が彼自身の生きた時代を、戦争の足音が聞こえてくるものとして、誰よりも敏感に感じ取っていたからだ、と言えそうです。事実、この随筆が記されたその朝、日本は真珠湾攻撃をもって、第二次世界大戦の口火を切る事になるのです。

 文中をみると、彼の健康や暮らしぶりを心配する叔母にたいして、本人が説明しているところからも、彼の心情が伝わってきます。筆者の、将来のことをあまり顧慮しようとしない姿勢を見るに見かねて、叔母は心配の手紙を寄越します。それに彼が答えているところを見てみましょう。彼の主張はこうです。叔母さんが心配されるのもやまやまだが、それは決して、虚無主義でも諦観によるのでもない、と。その行動原理を要すると、「先のことを思い悩んで無駄な徒労をするよりも、日々を大事に生きることが、いまの自分に出来ることの全てなのです。私はそう信じているから、それに基づいて行動しているだけであり、決していい加減に暮らしているわけではありません。心配はご無用です」、といったところです。彼の思いは、「私に出来ることは、先の心配ではなくて今を大事に生きることだ」、そのことに尽きるでしょう。冒頭の一文も含めて、この作品全ては、その基本線に沿って描かれています。

◆◆◆

 この箇所に限らず、文中には「信じる」という言葉が何回も出てきます。「私の子供は丈夫に育つと信じている」、「日本は必ず成功すると信じている」、「文学を、信じて成功する」。しかし、「なぜ信じうるのか」という疑問には、具体的な計画は見て取れませんし、結局なにも答えることが出来ていません。しかしともかく、筆者の姿勢を見ると、家庭の内外、また人生観としても、「まずもってとにかく信じる」ことから始めねばならない、との思想があるようです。そこから、信じて日々を生きていさえすれば、必ず成功が訪れるはずだ、との結論を導き出したいのでしょう。そうして心の安定をなんとか得たい、という筆者の感情が見て取れます。

 では実際に日々をどう過ごしているかといえば、それは以下のようにです。

 「このごろ私は、毎朝かならず鬚(ひげ)を剃る。歯も綺麗に磨く。足の爪も、手の爪も、ちゃんと切っている。毎日、風呂へはいって、髪を洗い、耳の中も、よく掃除して置く。鼻毛なんかは、一分も伸ばさぬ。眼の少し疲れた時には、眼薬を一滴、眼の中に落して、潤いを持たせる」

 彼によれば、これらの日々の過ごし方はすべて、ある成功を信じる、という思想から引き出された行動です。ところが現代を生きる私達からすれば、これがなぜ成功につながるのだろうか、との疑問を呼び起こさずにはいられないでしょう。上で述べたように、具体的な方法が、まるで語られていないからです。
もっと悪く言えば、彼の、先に起こる物事の成功を無条件に「信じる」という彼の姿勢が、まるで問題に対して行動することを諦め、ただ信じる、信じると唱えているだけに映るかもしれません。私たちは、観念だけでは物事は進展せず、それがある種の実践的な行動に繋がってゆかなければ、もとの思いがどんなに素晴らしいものであっても画餅に帰することを知っています。しかしそれというのは、私達が生きる現代という時代が、先の見通しが立ちやすい、少なくとも明日の生命が脅かされることはない、という前提から成り立っている発想なのです。

 社会が安定して、先行きの見通しが立つ場合には、おそらく明日も、今日と同様の過ごし方ができるのですから、何も今日という日を全身全霊を持って過ごさなくても、どうせ明日があるさ、という姿勢で生きることもできるものです。ここでは、直感的に明日の確からしさがそれなりに担保されているわけですから、わざわざ「信じる」ものを探さなくても、精神的にはそれほどの不安定はもたらさないため、安定の根拠を探すことはまれなのです。
 しかし世界が戦争へとなだれ込んでゆこうとしている世の中ともなると、明日の生活どころか、場合によっては明日の生命すら危ぶまれるという事態にもなりかねません。最悪の場合、いくら仕事に精を出して貯蓄を蓄えても、明日空爆で死んでしまえば元も子もないわけですから、この場合にまともに日常生活を送ろうとすればどうしても、「明日もきっと平穏無事に暮らせるであろう」という心の安定が必要となってくるわけです。そう考えれば、私達が普段それとなく暮らしている日常生活が、物質的・精神的な安定の上にこそ成り立っていることを知るのは、わけもないことです。

 とくに彼のように、この先起こり得、ますますその可能性の高まっているであろう戦争の足音を、誰よりも鋭く敏感に察知できている感性を持っているとしたなら、ずいぶん事情は変わってきます。
 身の丈をはるかに超える危険を知りながら、それがもはや自分のみならず、誰の手にも負えぬところにまで膨らみ、その不安に押しつぶされそうになるという状況に置かれた彼の身になって考えてみてください。そんな彼であれば、「この日、この日だけは」との思いで、自分に手の届くところだけでも、そのいとおしさをしっかりと噛み締めて、後悔のないように過ごしてゆこう。そう決意したことがわかるのではないでしょうか。
(同じ筆者の手になる『ヴィヨンの妻』の最後に、主人公がつぶやくセリフに彼の思想との類似性があったことを思い出してください。「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」)

◆◆◆

 ある危険が、もはや自分の手には負えぬとなったときに、人間の脳裏には二つの極端な選択肢が訪れます。それはひとつには、自暴自棄になってなにもしない、ということです。もし行動したとしても、結局はなにも変わらないのですから、これはこれで、ある種の合理性に基づいた選択ということになります。しかし他方、自分の行動によってなにも変わらないことを知りつつも、それでも自分にできることをやろう、無駄でもやろう、という姿勢でもって、日々をかけがえのないものとして過ごすことも、人は選べます。
 この作品における筆者の姿から学ぶとするなら、後者の姿勢をとるときに必要になってくるものが、「信じる」という心がけである、ということになるでしょう。この心がけは、自暴自棄になるという選択が大口を開けて眼前に待ち構えているときに、それを最後の最後の力でもって飛び越えうる力として扱われているからです。現在の問題が好転する具体的な方法は思いつきもしないが、それでも、事態は良くなるはずだと信じることなくしては、何も始められない、ということなのです。

 筆者が、「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。」と言い、また「いまの私にとって、一日一日の努力が、全生涯の努力であります。」、「本当にもう、このごろは、一日の義務は、そのまま生涯の義務だと思って厳粛に努めなければならぬ。」と言いきるのは、彼が社会情勢の不安が手の付けられないほどに増大していることを感じ取ったことの、裏返しでもあります。その不安を、「信じる」という一念で振り切り、まずは日々の暮らし方から整えて、いつか来る成功を、ただ信じて待つことを選んだ。この作品には、筆者のその覚悟が見て取れます。

 日々の暮らし方についての正しい姿勢がしっかりと身につけば、日々の生活で見慣れた町並みや雑踏、身を取り巻くあらゆるもの、目に飛び込んでくるものすべてが目新しく感じられ、それはこれからの幸福な生活が約束されているかのような心地であるはずです。それはまるで、新しい生活に思いを馳せ、将来はきっと幸せなものになるという希望で満ち満ちている人間のよう。彼はこれらのことを縮めて、「私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きている」と表現しているのです。その心構えこそが、取り返しの付かない動乱のなかにあって、彼がたったひとつすることのできた、抵抗であったのでしょう。

2011/03/03

iPad 2発表

出ました。

iPad 2

たぶんまたいろいろと聞かれるので、
聞かれそうなことを前もってメモしておきます。

◆◆◆

細かなスペックはAppleのページをご覧になっていただくとして、
iPad 1をあらゆる用途に愛用している人間としては、
「買い換えるほどではない」
という感じ。

理由は、
・容量が据え置き
・Retinaディスプレイではない
・なんだか煮え切らない新機能(アプリをTVに写せるが、有線のみ。これがApple TV経由ででも無線化できたら、それと一緒によく売れると思う)

アプリのTVへのミラーリング。
こんな邪魔な位置からケーブルが伸びていては、操作しにくくて仕方がないのでは。

逆に、購入を検討していた人には、
「手放しでおすすめです」
というのが答え。
旧モデルを使っている人からすると、わりと羨ましいはず。
発売延期していたこともあって、iPad 1ユーザーは、まだ1年も使ってないもの。

◆◆◆

揺らぎそうなポイントがあるとすると、
・白が出た
(iPhone 4の白は結局出そうにないので、ユーザーとしてはいわくつきの色がついに)
・今回のケースは使い勝手よさそうだし安い($39)
(iPad 1の純正ケースはどう見積もってもAppleらしくない失敗作)

ちなみに、iPadのプレゼンテーションアプリ「Keynote」は、
Mac版と違って著しく機能が劣るので、
iPadでプレゼンをしようと思っている人は考え直したほうがいい。
Macをプロジェクタにつなげて、操作はApple RemoteかiPhoneのKeynoteアプリで、
というのが現時点では最高のソリューション。

◆◆◆

ごく個人的な趣向を交えたどうでもいい見解としては、
白が出た+オレンジのカバーが出たのがぐっとくる、というあたり。
あんまり薄いのは手に刺さるし、重さはいまのでちょうどいい。

容量が128GBになって、Retinaディスプレイになるあたりがほんとうの買い時か。
いつになることやら。

◆◆◆

それから、日本のApple Storeでは、iPad 1を特価販売中。
一般のユーザーにとっては、おそらくこれがいちばんのビッグニュース。

48,800円だった16GBモデルが35,800円というのは、
最近買ってしまった人は発狂モノの大バーゲンでは。
Apple製品は在庫管理がかなりシビアなこともあって、
こういう値下げはほんとにめずらしいのだけど。

アメリカではこんな無茶なセールをしていないことを考えると、
日本では新モデルに合わせて在庫がはけるほどには人気がないということなのかもしれない。
(追記:アメリカでも$100値下げしている模様)

カメラなんかの新機能が要らない人は一考の価値あり。
新モデルの発売日が3/11(追記:日本では3/25とのこと)ということもあり、
在庫限りのはずなのであまり迷っていると無くなってしまうと思うが。